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『浄土五祖伝』道綽さまと善導さまの関係は?

 法然聖人の『漢語灯録』に収録される『浄土五祖伝』は、二番目の道綽禅師に入って、4回目である。道綽様の伝記のうち、『瑞應伝』などを読んだ。
 今回、前から疑問に思っていた道綽さまの略伝について、すっきりしたことがあった。

 ご自身のご往生を不安に感じられた道綽さまが、三昧発得ができる善導さまに、その可否を問われる。それに応えて、善導さまは入定し百尺あまりの阿弥陀如来に出会い、そのお言葉として(つまり善導さまのお言葉は阿弥陀さまのお言葉として)、師匠である道綽さまの行状を3点を批判(1、経像を粗末にして外に放置したこと、2、功徳を成すに出家の人を使ったこと、3、お堂を修理するにあたり、生き物を傷つけたこと)し、それらついて懺悔(仏に懺悔し、十方の僧懺悔し、そして衆生に懺悔)しなければ、往生はできないと諭されるというのである。

 悟朗先生の正信偈などで道綽さまの略伝に触れられる時、善導さまと道綽さまの往生に関する師弟逆転のエピソードを、不可解な気分で聴いてきたものだ。

 その謎の解明はこうである。

 5つある(『浄土五祖伝』には4つ)道綽さまの伝記のうち、『続高僧伝』や『浄土論』の二つは、道綽さま在世中やご往生の直後の記述であるのに対して、残りは、唐後期や宋代のものであること。これはどの高僧伝(親鸞さまも例外ではない)でもよくあることだが、ご往生直後より、その後年代が下れば下るほど、史実以外の伝承があたかも史実のように語られ、ますます詳細になるというのである。

 この『瑞應伝』は、善導さまがご往生の後、100年後に作られたものである。その時代になると、善導大師の神格化(表現は妙だが、むしろ仏格化か)が盛んになっている。そして、善導さまが称賛されればされるほど、相対的にその師匠である道綽さまの地位が低下し、年齢での師弟関係はあったが、実力は、まったく善導さまが上。しかも、定に入った善導さまのお言葉は、阿弥陀さまのお言葉であると。ごのあたりから、善導さまは阿弥陀さまの生まれ変わりだ称賛されるようになり、法然さまや親鸞さまもそう頷かていくのである。

 おかげて、道綽さまは、曇鸞さまと善導さまを繋ぎ役程度の役割に甘んじ、念仏をしても往生できるからどうか不安で弟子尋ねるような、無能な師匠として描かれているが、実は、これは後世の創作であろうというのである。

 同時に、善導さまを仏格化が、すでに滅後百年あたりから起こっていることを示す資料としていただくことができる。
 なるほど、勉強になりました。

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