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『二十歳の原点』

 一昨日の京都新聞に特集記事で、6月24日が、彼女の47回目の命日であることを知った。
 わあー懐かしい。急に学生時代に戻った気分になった。

 特集記事には、当日の京都新聞の三面記事もそのまま掲載されていた。「娘さん、線路で自殺」の見出し。二十四日午前2時36分ごろ、午後中京区西ノ京、天神の踏み切り付近で、梅小路行きの貨物列車に飛び込み、即死。身許不明なのて、その特徴が詳細に出ていた。それにしても、こんな記事が残っていることにも、また驚いた。

 昨日から『二十歳の原点』をパラパラ読み返す。
 有名なフレーズは記憶にあったが、あとはみごとに忘れていた。この本の存在すら何十年も忘却のかなたに。彼女が、立命館生だったことも、ジャズ喫茶のことも、そして最後が山陰線での投身自殺であったことも忘れていた。それが、ぼくの身近な場所で起こっていたことに、また驚いた。初めて読んだ当時は、文章が大人で、自立の精神に、同じ世代ながら、なんと我が身が幼く、未熟かと恥じつつも、その純粋で、孤独な心情に共感したものだった。劣るのは人間(根機)だけではない。わずか12、3年前のことなのに、大学の雰囲気も、世間もすでにまったく様変わりした。日本は、高度成長期から、バブルへと突入していく時代である。

 それから年月が流れて、久しぶりに読み返すと、やはり覚めた目で観てしまう。ぼくの中で、学生時代から充分、時が流れたんだナー。
 立命館の広小路キャンパスも、バイト先の京都国際ホテルも、ジャズ喫茶シアンクレールもない。彼女が飛び込んだ山陰線(嵯峨野線)も、京都市内は高架になって、円町駅をすぎたあたりにの踏み切りも、当然ない。全共闘もいまや死語。

 彼女の日記には、宗教の匂いが一切ないことも、時代の流れとはいえちょっと寂しい。仏法を聞くこともなかったのだろう。

 独りであること、
 未熟であること、
 これが私の二十歳の原点である。

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