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2016年6月の23件の記事

『般若心経』

 先日の大乗経典の不思議な世界の講義の最後に、般若系の経典としては大した意味もなたいが、参加者の関心が深いだろうと、『般若心経』に触れられた。

 『般若心経』は、一般に膨大な『般若波羅蜜多経』のエッセンス、空の思想を抽出したものとして、浄土真宗以外(もしかしたら日蓮宗も?)の日本仏教では、宗派に関わりなく広く取り入れられている。一般の人にしても、写経と言えば、『般若心経』、他宗の僧侶が合同で勤行するときも、『般若心経』という具合である。

 しかし、一般に言われるような、『般若波羅蜜多経』のエッセンス、空の思想を抽出したものではなくて、有名な「色即是空・空即是色」も、意味不明な文法だというのである。なぜなら、「空」は梵本では「空性」となって、「空」なら形容詞、「空性」なら抽象名詞なのに、それが=色というのでは文法的には成り立たず、実は、単なる言葉遊びにすぎずないというでのある。

 では、どんなお経なのか。実は、これはお経ではない。お経の一部を借りて(お飾り)として、最後の1行の真言(ダラニ)、すなわち呪文を繰り返し唱えることで功徳があるというのである。だから、玄奘三蔵も、天竺への苦し旅をつづける間、このれを唱え続けてきたという。

 ところが、その有名な最後の1行、「即説呪曰」以下の 

「羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶」

を、中村元博士はこう日本語訳されている。

「往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に全く往ける者よ、さとりよ、幸あれ。」

と。ぼくは、さすが、かっこいい訳だなと思っていたが、講義では、ダラニ(真言・いわば呪文)を訳しては、まったく意味がない。つまり、最後の1行(呪・ダラニ)を、そのまま唱えることに意味があるのであって、それまでの文章も最後の文章のためにいわば装飾的なものであって大した意味がないのに、みんな有り難がっているというのである。要は、この経の本質を中村博士は分かっていないということになるのだろうか。

 でも、なぜ、どの宗派でも重要視されるのか。
 それは、短くて手頃だからというのである。
 手厳しい指摘だったが、いろいろと勉強になりました。

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七本槍

 七本槍といえば、賤ヶ岳の合戦での福島正則や加藤清正、片桐且元などの秀吉子飼いの武将たちのめざましい武功を称えたものだ。湖北は、戦国時代の遺跡の宝庫でもある。長浜は、秀吉が統治した城下町であり、石田三成の故郷であり、佐和山城跡もtも彦根近くにある。淀君の父、浅井長政の小谷城や姉川の古戦場も近い。今、放送中の真田丸の登場人物たちである。

Img_4604_2 でも今は、お酒の話である。地元、長浜木之本の地酒『七本槍』を差し入れくださる。純米酒で、精米歩合が80%のものだ。

 この銘柄は、結婚のお祝いで初めていただいた。美食家の北大路魯山人も絶讃した銘酒で、彼のデザインしたラベルも使用されている。テレビでも取り上げられていたこの銘柄のお酒について話したことがある。それを覚えていてくださっていたのである。

 純米酒で、精米歩合が80%というである。
 精米歩合とは、簡単に言うと、白米のその玄米に対する重量の割合Img_4606をいうもので、精米歩合の数値が低いほど、より高度に精米されているのである。当然、精米歩合の数値が低いほど割高になるということだ。その割合によって、大吟醸だったり、吟醸酒だったりする。大吟醸で50% 吟醸で60%である。純米酒でも70%である。一度だけ、40%という高山の幻の日本酒を飲んだことがある。精選された部分を使うほど純粋になるので、味が円やかで飲みやすい。いい意味で水のように飲みやすくなることもある。

 それが逆に、あえて精米歩合の数値が80%と高くしている。それには、これにあったお米も選ぶ必要もあるのだ。

 いまの流行りとは違って、かなりくせがある味だ。お米そのものの穀味感もある。流行りの喉こし爽やかではなく、強く喉にひっかかるのである。

 久しぶりにパンチの効いた日本酒を頂きました。

 何でも燗で一層美味しいらしので、楽しみです。

 

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くもの糸と、浄土の大菩提心

Img_4614  長浜での東海支部と京都支部との合同法座。京都と東海以外に、奈良や日高、そして東京からの参加もあった。連れ合いは、長期の北海道公演を終えて神戸空港から、夜に直接会場入りした。

 初日は、死生学の藤井美和先生の死に行く時の別れのワーク。ほんとうに大切なものとの別れのワースでもある。ワークそのものも大切だが、その中での気付を6名グループで分かち合うことに主眼Img_4616をおいている。グループ分けには、東海や京都支部で固まらないように配慮した。テーマがあると活発に話し合いがなされたようだ。分級座談会に分かれて、長めの座談会も持たれた。

Img_4610 朝は、O先生のご法話を拝聴。親鸞聖人の最晩年、最期のお手紙をもとに、「愚者になる」「愚痴に還る」というテーマで、ご自分を開いたお話だった。

 2日目の昼から安明寺に移動。前席では、芥川龍之介の『くものImg_4618糸』を読み、その後、昨日の6人グループで活発に味わっていただく。なぜ、くもの糸が切れたのか? お釈迦様の御心は?をテーマにした話し合い。

 後座は、昨年10月の高山・仏青法座の法座でも取り上げたが、カンダタの話の時に、下品の懺悔をされた(正確に、そのような状態になりかけた)方の、その後の信一念の体験と、壮絶な大歓喜、懺悔体験の手紙を紹介した。要は、くもの糸が切れたのは、単なるエゴとか自分中心ではなくて、自分の正しく正義と思っている聞法や求道の姿勢こそがカンダタそのものではないかという問題提起である。それを、親鸞様が『信巻』で引用される帰三宝偈の一文から頂いた。「各発無上心」と「同発菩提志 横超断四流」の違いから味わった。
 つまり、おのおの(各人)が起こす菩提心は、いわば自力の菩提心。カンダタのように、くも糸を竪(たて)に竪(たて)に、自分の力で修行して登っていくかしないのである。自力の菩提心であっても、上求菩提と下化衆生が離れていては菩提心にならない。だから、竪に登る修行の最中に「降りろ、降りろ」と叫んだ瞬間にクモの糸は切れたのである。絶対に、私の力では助かる道はないのである。同時に、それは諸仏としての釈尊の精一杯のご教化でもあるのだ。

 しかしである。阿弥陀様のお救いは横超である。横ざまに超えさせていただくのである。浄土の大菩提心は、他力廻向のこころであるがいえに、願作仏心だけでは、一切衆生に利益をもたらす度衆生心でもあるというのだ。

 法然さまは、行として菩提心(菩提心そのものではないが)をきっぱりと否定された。それに反駁されたのが栂尾の明恵上人である。明恵さまは、たとえ行と限定されても菩提心を否定された時点で、もう仏教ではないと断罪されたのである。それに対して、親鸞さまは、菩提心に聖道と浄土の変わり目があることを示されて、横の大菩提心は、横超の金剛心であると明示された。それは衆生の側で起こす自力の菩提心ではない。諸仏のお救いの限界を超えるためには、自ら正覚の座を降り、つまり悟りの世界に安住するのではなく、逆に阿弥陀様の方から私の地獄に飛び込んでくださる道しかなかったのである。だからこそ、「南無阿弥陀仏」ひとつで横ざまに超えていく、頓中の頓で仏となる道をご成就くださったのである。私が、この身このままで、横ざまに速やかに迷いを超えさせていただける。南無阿弥陀仏として成就くださったお救いは、私に他力信心を廻向くださるのだが、それはほかならぬ浄土の大菩提心であり、他力の金剛心なのである。私の中から生まれるはずのない無根の信が、他力のお力で誕生するのである。

 観光気分や物見遊山の気分のご聴聞では、あまりに申し訳なさすぎる世界ではないか。

 

 

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安明寺

Img_4621 仏青や聞法旅行でお世話になって、4回目の訪問。

 回りには田んぼが広がるのどかな風景の中に安明寺はある。こじんまりした本堂だが、蓮如上人にもゆかりの歴史あるお寺だ。もともとは天台宗であったのが、蓮如上人の時代に真宗に転派し、現住Img_4624職で第十八代目にあたる。

 小さな遊具が可愛い。梵鐘は、江戸中期Img_4627のもので、京都釜座から藤原国次が「出吹く」して、この地で造られたものだという。『大経』下巻の悲化段(いま聖典講座で講義中)に因んでらしいが、、日や月、星に加え、ハカリやマス、算盤などが描かれていImg_4626て珍しいもの。経緯はお聞きしなかったが、戦時中の供出を免れた貴重なものだ。

 Img_4623_2安明寺には、蓮如上人ご長男、順如上人が三十六歳の御染筆で、ご本尊の裏書が残っていて、たいへん貴重なものだ。というのも、蓮如上人の直筆のものは多いが、蓮如様の後継者でありながら、病弱で四十Img_4631一歳で入寂された順如様のものは現存例が少なくて、蓮如展が開催されるおりには博物館で展示される文化財なのだ。
Img_4637 その他にも「伝・蓮如上人の直筆の六字名号」が奉安されている。「伝」といっても、戦後、文化財の鑑定で専門家から、蓮如上人のもので間違いないといわれ、K先生からもお墨付きが出で入るとのことであった。

 また安明寺の中興の僧として、巍堂法師という高僧が出でおられる。宗学心に燃えて、広く仏教学ぶために、まず華厳学を修め、後に唯識学の奥義をImg_4639_2習得して、多くの師弟を育てたという。(経過は分からないが)伊勢の高田に移り、高田派の本山専修寺の能化職(いまの勧学)に登り詰めておられる。江Img_4640_2戸の儒学者、荻生徂徠とも親交も深く、寺宝として、徂徠の書簡(手紙)も残されている。

 奥の間に入ると、増井悟朗師の「帰命盡十方無碍光如来」の十字名号が掛けられている。父の十字名号は珍しいので、その経緯を訪ねると、わざわざ六字、九字、そして十字の三幅の御名号をお願いされたというのである。何でも、傷むのを嫌って、三幅を順番に掛けてくださっているのだそうだ。会館にも、九字や十字のお名号は残っていないので、ぼくにとってはこちらにも興Img_4641味をもった。ご縁があれば、ぜひ、三幅揃ったところを拝ませていただきたいと思った。

 ご家族の皆様には、掃除やお茶菓子などの準備で、受け入れもたいへんであっただろう。ご住職は、暑さを心配されていたが、幸い、風も心地よくて、その心配はなかった。いろいろと心のこもったご接待のおかけで、参詣の皆様も、とても喜んでくださり、有り難いご縁となった。

 皆さん口々にM先生やYさんが、ここから京都まで、毎回、御参りにお出でくださり、より身近な存在になったと仰っておられた。

 お世話になりありがとうございました。

 

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長浜別院・大通寺

Img_4536 長浜市での「東海・京都支部法

座」。昨年は、熱海での東海・東京支部法座。一昨年は、掛川でのImg_4541東海・仏青合同法座。これで東海支部の合同法座は、3回目である。

 2日目は、安明寺さまが会所となるが、聞法旅行や仏青で御参りし、これがImg_45424回目。
 宿泊や主の法座会場は、長浜市田村にある長浜ドームだ。少し足を延ばせば長浜Img_4549駅周辺の観光散策かできるが、今回は散策の予定はない。
ということで、京都支部のご夫人方(夫婦連れもあったが)を引率し、法座前に長浜観光をすることにした。
 珍しく時間前にみんな集まり、予定どおりに出発。と思ったが、シートベルトやImg_4546座席のリクライニングひとつで、車中は出発前から大騒ぎである。やっと出発して、名神に向うと、「ああ、手荷物を入れ忘れた」との声。すぐに引き返す。ポツンとカバンが残っていた。やれやれ。これ以降、車中は関西のおばちゃんパワー全開だ。皆さん、一応、長浜で法座があることは理解されているが、どImg_4555何かあるのやらは分かっておらず、そのことでずっーとワイワイ、ガヤガヤと姦しい。雨が降ってきたら、「傘がない」とか「忘れた」とかでワイワイ騒いでる。この先、どうなることやと心配していたが、無事に、長浜に到着。

Img_4557 目的地の長浜別院・大通。大谷派に向う。ぼくは、前回の仏青の長浜法座でも御参りしImg_4563ているが、もう12年以上前のことだ。
b幸い、雨もあがり、その上、風も心地よい。今日は暑さも一服だ。
 
 大通寺の歴史は、信長との石山合戦までImg_4582遡り、慶長年間の東西分派にも深く関わっている。立派な本堂は重文で、もともと秀吉の伏見Img_4568の殿舎が、東西分立の時に、お東の御影堂であったものが、移築されいう大伽藍である。たまたまた内陣の清掃中で、余間に磨かれた仏具が並んでいた。

 せっかくここまで来たので、拝観料を出しImg_4589て重文の広間などを見せてもらうことにした。

 こちらも江戸初期の立派な建物で、書院も、その襖絵も重文に指定されている。思ったより広く立派だった。

 Img_4588また大通寺は長浜御坊、「御坊」で通じる由緒あるお寺なので、門前の表参道にも沢山のお店が軒を並べている。お寺の参詣者向けなのだろう、年輩女性の心をくすぐる服や小物さんが、これまた手頃な値段でいろいろと売られている。ぼくは食事場所を探して、先に進んでいる、ふと見ると誰もついて来ていない。各人それぞれが、傘や帽子を買ったり、服や土産を物Img_4594色したりと、まったく楽しそうである。

 グルグルと曳山会館や黒壁ガラス館などの観光地を巡って、大通寺の門前前の小見藤、長浜名物の「鯖そうめん」をいただく。ここもステキ個室で、ゆっくりお昼をいただいた。Img_4596

 皆さん、ワイワイ楽しい車中と、落ち着いた由緒ある寺院に御参りし、そして買い物とグルメを堪能し、中には昼から一杯呑んでほろ酔い気分の方も。おかげで「旅行気分で楽しかった」「もうこれで満足」と、異口同音に大満足のご様子。

Img_4602 企画したぼくもうれしい限りだ。

 でもね。忘れてもらっては困りますよ。今日は、単なる観光じゃありません。これから本番の聞法が始まることを、楽しさに浮かれて忘れておられるご様子でした。

 楽しかったけどね。

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『二十歳の原点』

 一昨日の京都新聞に特集記事で、6月24日が、彼女の47回目の命日であることを知った。
 わあー懐かしい。急に学生時代に戻った気分になった。

 特集記事には、当日の京都新聞の三面記事もそのまま掲載されていた。「娘さん、線路で自殺」の見出し。二十四日午前2時36分ごろ、午後中京区西ノ京、天神の踏み切り付近で、梅小路行きの貨物列車に飛び込み、即死。身許不明なのて、その特徴が詳細に出ていた。それにしても、こんな記事が残っていることにも、また驚いた。

 昨日から『二十歳の原点』をパラパラ読み返す。
 有名なフレーズは記憶にあったが、あとはみごとに忘れていた。この本の存在すら何十年も忘却のかなたに。彼女が、立命館生だったことも、ジャズ喫茶のことも、そして最後が山陰線での投身自殺であったことも忘れていた。それが、ぼくの身近な場所で起こっていたことに、また驚いた。初めて読んだ当時は、文章が大人で、自立の精神に、同じ世代ながら、なんと我が身が幼く、未熟かと恥じつつも、その純粋で、孤独な心情に共感したものだった。劣るのは人間(根機)だけではない。わずか12、3年前のことなのに、大学の雰囲気も、世間もすでにまったく様変わりした。日本は、高度成長期から、バブルへと突入していく時代である。

 それから年月が流れて、久しぶりに読み返すと、やはり覚めた目で観てしまう。ぼくの中で、学生時代から充分、時が流れたんだナー。
 立命館の広小路キャンパスも、バイト先の京都国際ホテルも、ジャズ喫茶シアンクレールもない。彼女が飛び込んだ山陰線(嵯峨野線)も、京都市内は高架になって、円町駅をすぎたあたりにの踏み切りも、当然ない。全共闘もいまや死語。

 彼女の日記には、宗教の匂いが一切ないことも、時代の流れとはいえちょっと寂しい。仏法を聞くこともなかったのだろう。

 独りであること、
 未熟であること、
 これが私の二十歳の原点である。

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『般若経』は後継者?

 大乗経典の不思議な世界の2回目は、『般若経』。正確には、『般若波羅蜜多経』は、『法華経』とならんで、初期大乗経典を代表するもので、『法華経』が大乗仏教の信仰を担う経典ななら、『般若経』は、大乗の哲学の経典といっていい。『般若経』という単独の経典があるのではなく、大小100種類もあって、それをまとめたものが、玄奘三蔵が訳したいわゆる『大般若経』、実に600巻もあるという。この初期の大乗経典が、初期(原始)経典の体裁はとっているが、その後継者なのか、それとも破壊者なのかという講義。

   あらい結論からいとう、アビダルマ思想に精通した、否定するカテゴリーを理解している専門家(集団)が、言語表現の限界を「空」として表現しいるのであって、既存(原始)教団からの後継者として見ていいという内容だった。

 ところで、「波羅蜜多」=パラミータは、「至彼岸」とか「度」などと訳されて、「彼岸に至ること」、つまり「智慧(この先生は、智慧=知性と常に言い切れている)の完成」(この完成という訳が、定説になりえていない)という意味で言われてきたが、実は、これはかなり強引な訳で、今日の定説てはない。あくまでも「波羅蜜多」は、菩薩の行、つまり六度、六波羅蜜をいうのである。その六番目が「般若波羅蜜」で、「一切を空とみなす知性」のことだといわれた。

 なるほどね。ぼくがこれまで聞いてきたことは、昔の説ということですね。

 ところで、参加者の関心があるということを見越して、最後に『般若心経』の講義があった。
 本題ではないが、これはこれで面白かったので、また改めて。

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6月の華光誌輪読法座

 先月も書いたが、このところの華光誌輪読法座は、顔ぶれも固定している。今日は、平日にも関わらず、会社勤めの方が休暇を取ってご参加くださった。ありがたいことだ。でも、それでも参加者は一桁に留まっている。何も人数の問題ではないが、同じ顔ぶれだと役割や聞法の姿勢もパターン化してくいる。いわゆるマンネリ化である。そのことが、最近気にかかりだしている。

 それで、今回は原点に戻ることにした。輪読法座のよいところは、自由に話し合える場である。しかし、時には輪読内容とは異なる自分の話したい話題や、他の法座の話題などが続くこともある。それも、今生の話題ではなく仏法や法座の話題だと、修正するのが難しい。

 しかし、もともとは華光誌をみんなで区切って輪読し、小さな章の中での疑問点を尋ねたり、味わいを語ったりするだけでなく、その章の要点-大切なところを確認し合う。口下手の方でも、大切だと思う箇所を、華光誌を観ながら読んでいただくだけでも、大切な法座になると思っている。

 でも、長年やってきて、これが皆さんには難しいことだということも分かってきた。聞き言葉は、録音でもしないかぎり、すぐに消えてしまうが、書き言葉(文章)なら、何度も読み返し、その要旨や要点を読み解くことができるのだが、そういう作業に慣れていないと、要点を聞くことはあまり意味がないと思われるようだ。結局のところ、そういう聞き方や読み方を身につけないと、聞くことも、読むこともできないのであるが、、。

 ということで、今回からは、少しだけ進行の仕方を変えた。これまでは順番に、ひとりの人が1章ずつ読んでいたが、あくまでも華光誌を中心にすることで、みんなでその章を声をだして輪読し、その後で、もう1度、ひとりの人が読む。そしてなるべくその中から、要点を探したり、心にひっかかった言葉を発言してもらうようにしたのである。

 一足飛びにはいかないけれど、後の感想などを聞いても、いつも以上に華光誌の誌上法話に集中できたようだ。

  ★7月は16日(土)昼1時30分からです。

 あえて17日(日)~18日(祝)の壮年の集いの前日に開催します。
 遠方の方で、もう1泊してもいいというあなた。壮年の集いに合わせてご参加されませんか。京都は、16日の夜が、祇園祭(前祭)の宵山、17日の朝は、山鉾巡行ですので、輪読~宵山~巡行~そして壮年の集いと、今生も、後生も楽しめるかと思いますよ。

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ご示談

 ご示談のお申し出があった。といっても、時間の半分以上は語たられる心境、苦しみをひたすらお聞きした。

 一般的なことだが、誰もがいまの苦しさから逃れたい。それをなんとか取り除いてもらいたいいうのが、凡夫の切実な欲望である。なんとかしてほしい。そのためには、なんでも利用(家族でも、法悦で、念仏でも)したい。

 確かに家族や友人も、なんとか助けたいと、アドバイスをし、応援してくれるだろうし、その悩みに付き合って聞いてくださるだろう。仏法を聴くと、一時、心が安らぐかもしれない。しかしである。この娑婆の世界では、自らが造った業の責任は、どれだけ可愛い子供や愛し合う夫婦であっても肩代わりはできない。各人が、各人の業を引き受けていくしかない。自業自得の道理を歪められないのだ。

 しかし、仏縁を結ばせていただいた身には、その宿業を自らの引き受けようとその深淵に向き合ったとき、その暗黒の谷底に、既に大悲のみ親の涙が注がれていることが知らされるのである。深い宿業観は、その深さだけ広大な大悲観へと轉じられていく。
 なかなかひとりではこの歩みには勇気がいる。そこを同行・知識が、お念仏と共にお勧め、ご指南くださるのである。そのご指南によって、自ら、一歩踏み出させていただけるのである。

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『ヤクザと憲法』

 簡単に正解が出ず、葛藤にさられるような秀逸ドキュメンタリー映画を続けて観る。

 その第2弾で紹介するのは、『ヤクザと憲法』である。次々と問題作を深夜テレビで放映し、さらに劇場版ドキュメンタリー映画として上映する東海テレビの8作目。

Yakuza 正直、ドキドキしながら画面を見ていた。ほんとうに大丈夫なのだろうか(上映されている段階で問題ないのだが)という想いがあった。

 「実録」ならぬ、ホンモノの暴力団事務所内部に、カメラが潛入し、密着取材をするというのである。

 テレビ局が放映で、ヤクザ(暴力団)を取り上げることは、最大のタブーのひとつだろう。いや正確には、よく取り上げられてはいる。それは、一方的に暴力団を悪として、壊滅をめざすキャンペーンで、市民団体や警察の取り組み側からリポートされている。そこでは、当然、ヤクザは、一般市民(私達とは)とは違う無法者の犯罪者集団であり、ただただ恐ろしい存在である。その恐ろしいものを排除するために、勇気をだした市民が立ち上がり、警察がさっそうと取り締まり、撲滅をめざす。
 それが、全体公約数のまぎれもない正義であり善なのであると。

 もちろん、暴力団を肯定するのでもない。しかし、怖いからといって、実態を何も知らずに、排除する。しかも、正義を振りかざして、斬罪する。どれだけ国家権力が暴走しようとも、相手が暴力団なら、市民団体も喝采する。
 でも、ほんとうにそれでいいのか。

 これは、暴力団の事務所の内部に潛入し、組事務所の内実を密着取材した映像である。100日、500時間にも及ぶ取材である。しかも、相手は、暴力団対策法が作られるきっかけとなった山口組と清勇会の抗争(一般市民も巻き添えをで死亡)の張本人で、15年の実刑を受け服役を終えた川口会長の事務所である。それでも、謝礼は払わない、撮影した素材は見せない、モザイクはかけないなど、暴力団の利益となる条件はないにも関わらず、暴力団側も協力的である。

 暴力団の側から「ヤクザと、その家族に人権侵害が起きている」との訴えが起ったことが、きっかけだからだ。いま、銀行などで通帳をつくる時、「反社会的な団体とのかかわり」という項目に同意させられる。つまり、ヤクザであるというだけで、通帳は作れない。もし、偽って通帳を作っただけで、まるで大犯罪を犯したように、テレビニュースで取りあげられ、大規模な家宅捜索が行われる。それ以外にも、微細な犯罪で逮捕され、上部組織にまで家宅捜索が及ぶ。

 また、暴力団を弁護する弁護士にも風当たりも強い。いや、ぼくだって、山口組の顧問弁護士と聴くけば、どんな悪徳弁護士で、どれだけボロ儲けしているのかと思ってしまう。しかし実態は、まったく違った。ヤクザを弁護する弁護士というだけで、仕事は減り、世間のバッシッグを受け、さまざまに国家権力から目をつけられて、被告として何度も裁判闘争にあけくれている。結局、彼は廃業に追い込まれる。そうなると、誰もヤクザを弁護しようという弁護士はいなくなってくる。

 撮影中、事務所へのガサ入れ。警察がテレビカメラに気付く。家宅捜索の冒頭を取らせたら、もうそれで充分だろう。出でいけと命令する。ここまではお約束のセレモニーなのだ。しかし、まだグズグズ居座ると、怒鳴り出し、すごむ。そして力で排除しようとする。テレビカメラが居すわられたら困ることでもあるのだろうか。結局、テレビで報道されるのは、この頭ドリの部分だけで、最後まで取材しているわけではないのに、ニュースになっている。

 「出て行け!」とすごむ警察官は、ヤクザより怖い。声や態度、言葉遣いだけでない。もう体質の問題である。正義があり、市民の喝采をえた時の警察の怖さが、この部分の映像を観ただけでも、充分に知ることができた。

 森達也氏が、渦中にあったオウム真理教の内部から撮影した『A』で問題化された構造と、まったくうり二つである。

 この映画でも、暴力団への便宜供与だとか、暴利団を肯定するなどという正義漢からの批判にさらされていくのであろう。けっして、暴力団を肯定しているのではない。しかし、こんなやり方がまかりとおり、こんな社会状況の方が、恐ろしいのではないかという問題提起である。

 結局、ぼくたらは物事をうわべでしか見ていないということである。

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広島支部大会~伊藤康善先生の御恩徳~

 広島支部の法座には、年に8回ほどお邪魔している。いつもは、半日(1~5時)の法座だが、年に1度だけ、1泊2日の宿泊が持たれる。会場は、原爆療養施設の神田山荘である。
 今回のテーマのひとつは、伊藤康善先生の懇ろなご教示をいただいた。
 そのために、1座は『仏敵』の名所の読み聞かせ。もう1座は、「大悲の呼び聲」を唱和し、解説させてもらった。

 『仏敵』の一節にある。同行との厳しいやりとりに疲れて休んでいたら、隣室でご示談が始まりその声で、伊藤先生は目を覚ます。ある声が届いてきのだ。それは

 真実の弥陀の悲心を端的に打ち出した「そのまま来いよ、引き受けるぞよ」の呼び聲をけたたましく発していた。私は慄然として我が心を凝視した。それは昨夜と同じく黒暗々たるものである。あの如来の呼び聲を聞き開かずば、私は同行たちに会わす顔がない。あの呼び聲は、部屋こそ隔てれども、私に向って発せられているのだ。私はとっさの間に意を決した。如来様に対してあいすまぬ姿だと思ったが、夜具の中で、両手を合わせた。如来様! この五里霧中に迷う私をなんとか救ってください! 私は心底からそうした願求を声をあげた。そうして一緒懸命になって、血を吐くがごとき痛烈なる同行衆の呼び聲を聞いた。

 昨夜は、どれほど「いま出でいく後生となればどうです!」と、厳しく同行に後生の一大事を迫られても、まだまだ自分の考えや想いの毒ばかりを吐き、そのこころを聞くことがきなかった伊藤先生をして、同行の口をとして血を吐くがごとく痛烈に発っせられる大悲の呼び聲は、ただ私に向って発せられているのだと気付かれていくのである。これを境に、先生の聞法に変化が起こるように思える。

 自分の後生の問題になってきたのである。

 そして、水流光明の体験、それに厳しい同人方のご指導、そしてついに、おやゑさんと対峙の後に、とうとう深信に徹底されるのである。南無阿弥陀仏

 この『仏敵』を通して、真宗聴聞の要を尋ねるとともに、真実の弥陀の悲心を端的に打ち出された『大悲の呼び聲』をいただく、豪華2本立ての法座だったが、座談会では、弥陀の大悲の呼び聲に相応し、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」の身となられる方もおられた。

 日ごろ、なんとも感じていないが、これも伊藤康善先生の御恩徳の賜物である。

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『浄土五祖伝』道綽さまと善導さまの関係は?

 法然聖人の『漢語灯録』に収録される『浄土五祖伝』は、二番目の道綽禅師に入って、4回目である。道綽様の伝記のうち、『瑞應伝』などを読んだ。
 今回、前から疑問に思っていた道綽さまの略伝について、すっきりしたことがあった。

 ご自身のご往生を不安に感じられた道綽さまが、三昧発得ができる善導さまに、その可否を問われる。それに応えて、善導さまは入定し百尺あまりの阿弥陀如来に出会い、そのお言葉として(つまり善導さまのお言葉は阿弥陀さまのお言葉として)、師匠である道綽さまの行状を3点を批判(1、経像を粗末にして外に放置したこと、2、功徳を成すに出家の人を使ったこと、3、お堂を修理するにあたり、生き物を傷つけたこと)し、それらついて懺悔(仏に懺悔し、十方の僧懺悔し、そして衆生に懺悔)しなければ、往生はできないと諭されるというのである。

 悟朗先生の正信偈などで道綽さまの略伝に触れられる時、善導さまと道綽さまの往生に関する師弟逆転のエピソードを、不可解な気分で聴いてきたものだ。

 その謎の解明はこうである。

 5つある(『浄土五祖伝』には4つ)道綽さまの伝記のうち、『続高僧伝』や『浄土論』の二つは、道綽さま在世中やご往生の直後の記述であるのに対して、残りは、唐後期や宋代のものであること。これはどの高僧伝(親鸞さまも例外ではない)でもよくあることだが、ご往生直後より、その後年代が下れば下るほど、史実以外の伝承があたかも史実のように語られ、ますます詳細になるというのである。

 この『瑞應伝』は、善導さまがご往生の後、100年後に作られたものである。その時代になると、善導大師の神格化(表現は妙だが、むしろ仏格化か)が盛んになっている。そして、善導さまが称賛されればされるほど、相対的にその師匠である道綽さまの地位が低下し、年齢での師弟関係はあったが、実力は、まったく善導さまが上。しかも、定に入った善導さまのお言葉は、阿弥陀さまのお言葉であると。ごのあたりから、善導さまは阿弥陀さまの生まれ変わりだ称賛されるようになり、法然さまや親鸞さまもそう頷かていくのである。

 おかげて、道綽さまは、曇鸞さまと善導さまを繋ぎ役程度の役割に甘んじ、念仏をしても往生できるからどうか不安で弟子尋ねるような、無能な師匠として描かれているが、実は、これは後世の創作であろうというのである。

 同時に、善導さまを仏格化が、すでに滅後百年あたりから起こっていることを示す資料としていただくことができる。
 なるほど、勉強になりました。

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『なぜ生きる』―蓮如上人と吉崎炎上―

 行きつけの映画館、京都シネマで、『なぜ生きる』を観ました。
  ひどい映画です。
 久々に、見るのに堪えない思いを持ちながらも、エンデングロールの協力者氏名まで、しっかり観ました。

 なにがひどいのか。
 時代考証がデタラメなのです。
 あり得ないことが連発されます。
 もちろん、アニメですから、何も史実どおりに描く必要ないでしょう。盛り上がる演出や伝承も入ってくる、当時のことがすべて分かっているわけでもない。それでも、細かなところで、こんないい加減な脚本、演出では、ほんとうに伝えたであろう大切なメッセージが伝わるわけがない。それらしく見せられないというところで、この映画はまったくダメです。それでいて、歴史的な年号や事件-1465年(51歳)の大谷派却とか、吉崎御坊の造営、多屋のことなどに触れ、1474年(60歳)の吉崎の火災など-を出して説明されている。フィクションならフィクションでいけばいいのにー。

 おかしなところは山のようにある。すべてを言うのも馬鹿げているけれど、気になった主なものをあげると、

 蓮如上人当時のご門徒が、『恩徳讃』(旧譜)を歌われる。これは大正時代に作曲されたものです。和讃の一節を口ずさむならしも、これを一同で歌うというだけで、もう興ざめです。
 
 しかも、本願寺の御本尊が「南無阿弥陀仏」の六字名号、扁額は『平成業成』。そして、大谷派却の時、蓮如様が護ったのが、このご本尊と『教行信証』というのも、ありえない。
 大谷破却で火災に遭い残ったと伝承される「帰命尽十方無碍光如来」が、大谷大学図書館に所蔵されています。第一、本願寺はもともと親鸞聖人の墓所を守るためのもので、その中心は親鸞聖人の木像=真影(しんねい)にあります。それで今日でも、東西ともに、阿弥陀堂より御影堂が中心なのです。それが本願寺です。蓮如上人が、いちはやく避難させたのは、ご真影です。それで、比叡山の山門派と対立していた三井寺・寺門派を頼って、この真影をまつるお堂を建てられます。吉崎建立章にもある「三井寺の南別所をふと忍ぶ出て」のところです。それがないと、堅田の源兵衛父子のなま首のエピソードも生まれてきません。

 そして肝心の『教行信証』。なぜか、親鸞聖人ご真筆(真跡)本まで『教行信証』と書かれているのです。この脚本家は、実物の国宝本をご覧になったことがないのでしょう。国宝本も、西本願寺本も、『顕浄土真実教行證文類』と題字されています。『教行信証・證巻』ではなく、『證文類』なのです。『教行信証』と言い習わしますが、親鸞聖人自ら『教行信証』とは、一言も仰っていないし、題字にはそうは書かれていない。
 
 また葬儀でも、まだ開版される前の『正信偈』を読誦する僧侶。これもおしかしい。『正信偈』が葬儀で使われるようになるのは、蓮如上人のご遺言で、蓮如上人以降からのことです。従来は『往生礼讃』が使われています。

 講演台の前にご法話される蓮如上人、難しい文字はパネルならぬ屏風を使って解説。蓮如様の居間には、『一向専念無量寿仏』の掛け軸。もうギャクとしかいいようがいない。おかしなところは数えたらきりがないです。
 
 しかし、歴史的な事実を無視するなら、難度海を渡る大船のご法話を評価される方もあるかもしれません。
 「どう生きるのか」ではなく「なぜ生きるのか」。誰も教えくれなかった。それで、みんな家族もお金も、自己の信念などにしがみつくが、生死の苦海の中では、何一つ頼りにならない。弥陀弘誓の船、大悲の願船に乗じる以外にはない。それには善知識に遇って、ただ聴聞する以外にはない。水よく石を穿つで、願船に乗るまで聴き続けるといった内容。

 でもぼくには、脚本の高森氏ご自身で何を言うのもご勝手ですが、蓮如様を利用して、「なぜ生きるのか」が親鸞さまがただひとつだと言わせた時点で、悲しくなってきました。「後生の一大事」とも一言も仰らず、「弥陀をたのむ一念」も一言も仰らない、蓮如上人のご説法がありえません。

 結局、既成教団から弾圧(今日の会への批判も)は、真実を声高らかに説くがためだ。それでも、命懸けで親鸞様の正しい御教を唯一伝える善知識があり、その善知識を中心に、真の親鸞学徒の命がけの活動によって、北陸の地に一大真宗王国、大伽藍を建設される…。

 もう完全に、自分を蓮如さまに投影して、いや蓮如さまを利用して作れたトンデモない映画。

 うーん、複雑な気持ちだったけど、ランチを挟んみ、2本目に観たエルマンノ・オルミ監督の映画が、超名作だったので、こちらで感動。

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「カウンセリング手引き」~孤独な魂~

 先月から、西光義敞著『育ち合う人間関係』を輪読する。
 先月は、A先生の「はしがきにかえて」だったので、実質、中味は、今月からである。

 しばらくは第1章「カウンセリング手引き」である。
 昭和40年(1965年)、西光先生40歳の時の、初めてのカウンセリングの小冊子で、本願寺の伝道ブックスのひとつとして出版されたものを再録されている。

 まずは、一、「カウンセリングはなぜ重要視されてきたのか」である。
 10頁ほどの章で、二節にわかれて、
 「みんな真の相談相手を求めている」は、不安な時代、仏教の反省、孤独な魂、の3編。
 「カウンセリングとは何か一口で言えない」は、むずかつし定義、グループカウンセリングと遊戯療法、の2編だ。

 50年も前の文章である。
 しかし、仏教の反省から、孤独な魂にかけては、当日の西光の深い内省と、あついあつい想いが伝わってきて、こちらも胸があつくあった。
 ここを読んだ時、触発されるように、自然とご自身のカウンセリングや仏教との出会いを、その最初から綿々とお話くださった。まるで西光先生に聴いてもらっているかのようであった。
 カウンセリングの手引きは、けっして難しいものはでないので、ぜひ、皆さんもあらためてお読みくだいさい。

 「孤独な魂」から、先生のあつい(熱いであり、篤いであり、厚い)想いを載せて、その一部を引用します。

「病める者も健やかな者も、おとなもこどもも、現代に生きるものはみんな真の相談相手を欲しています。早い話、もしも全身全霊をもってあなたの言うことに耳を傾け、共感し理解してくれ、しかもあなたを裏切ることは決してない、という人がいて、毎週一定の時間をあなたのために喜んで割いてくれるとしたなら、あなたは、その人に心の底をうちあけたいという気持が動きませんか。わたしは動くのです。わたしは真の聴き手を求めています。わたしの真の理解者を求めています。そしてその願いと同じだけの強さをもって、わたしは真の聴き手になりたい、ひとを真に理解する人間になりたいと願うのです。

 理想としては、御同行と呼び合う念仏者仲間の人間関係こそ、たがいにもっとも深いところで理解しあえる人間関係であるはずです。同朋集団こそ、たがいにありのままの自分であることに安んじきれる集団です。けれども、現実は、およそこの理想とは遠いようです。それがわたしには大問題なのです。どうしてそうなのだろう。どうすれば今までの同朋集団がもっと実質的な同朋集団になれるかということで頭がいっぱいです。

 念仏者こそ、惱める人の真の相談相手、人間の真の理解者であるべきだ、そうなりたいと願っているのに、そうなれない、もしくはそうなっていない自分が大問題です。

 こういう時点で、念仏者としてのわたしはカウンセリングとめぐりあいました。念仏が強い力となって、わたしにカウンセリングを吸収させてくれると同時に、カウンセリングがいま述べたような問題の具体的解決に大きな力となっています。わたしの中で次第に強く念仏とカウンセリングは、結合し融合してきているように感じます。
          『育ち合う人間関係』(西光義敞著・本願寺出版社より)

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源信僧都一千年大遠忌

 華光誌の編集作業が、大詰めとなる。ここからは、印刷所との校正のやりとりが3回続く。順調に進んでいるので、予定どおり発行できるだろ。

 ところで、S先生の巻頭言は、源信和尚(恵心僧都)の一千年大遠忌に触れられたものだ。

http://www.chugainippoh.co.jp/religion/news/20160525-002.html

 法然様や親鸞様の大遠忌については、身近にあるけれども、同じ日本の七高僧でも、源信様の、しかも1000年という節目なのに、まったく知らなかった。
 だいたい法然様よりも200年、親鸞様だと250年前の方ということになる。

 比叡山の方だが、天台宗だけでなく、浄土宗や浄土真宗などの浄土系各派にとっても大恩人なので、各派のそれぞれの法要があるという。『往生要集』というと、単に「地獄、極楽」の書というイメージがあるが、それはほんの一部で、大半は、浄土に往生するための念仏の修行法や、念仏がすぐれていることなど、念仏往生の手がかりがを説かれているのである。
 しかも、この書は、平安貴族を始め当時の人々へも多大な影響を与えている。たとえば、一大権勢を誇っていた藤原道長などもこれを座右の書と、晩年は、日夜、往生極楽を願い、念仏三昧にあけくれ、この通りの臨終行儀を目指してとも言われている。
 もちろん、日本浄土教に中にあっては、法然聖人の先駆けた役割は、計り知れない。

 ということで、今年の九月の聞法旅行(京都の親鸞聖人御旧跡巡拝の旅)でも、比叡山の横川(よかわ)にも足を延ばし、恵心堂にもお参りします。お楽しみに!

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意義深かった支部長研修会

 今年の支部長研修会のテーマは、増井悟朗先生の『親指のふし』に聴くと題した。
 昨年は、『仏敵』に聴くだったでの、ほんとうは、伊藤康善先生の教義の特色で、『真宗安心一夕談』を考えていたが、悟朗先生がご往生されたので、今年は『親指のふし』に決めた。1年前の昨年6月にはまだお元気で、研修会にも顔を出されていたのが、懐かしい。

 進行は、かなり工夫した。いきなり『親指のふし』を輪読するのではなく、6人程度のグループに分かれて、バズセッションといって、6名が協力しながら自由に、活発に話し合をして、華光会に流れる教えの特色や、集いの体質や性格、その強調したい強みなどを出し合う時間を設けた。

 これがとても面白かった。分かりきったことばかりなのに、ボンヤリとしていたことが明かになってきたり、華光のすばらしさを再認識させれる時間となった。もちろん、華光にもさまざまな欠点や弱みはある。でも、そんなマイナスをウジウジと悩んでばかりいないで、もっともっと華光のよいところ、誇れるところ、強みを自覚して、自信を持ってお伝えしていていくことの大切さも学んだ。けっして、うぬぼれではない。それほど先達がしっかりとお伝えしてくださった、それを同人が受け継ぎ、護ってきてくださった、教えの特色や性格を、ひとりひとりがしっかりと胸に刻んで、それう誇りとして、浄土への歩みを共にしていきたいと思ったのである。

 翌日は、『親指のふし』求道の要点を、各グループで自発的に読み合い、話し合った。どのグループもとても充実した内容となった。
 増井先生の特色とては、心血を注いで、とても深い内容を、たいへん平易な言葉で分かりやすくお伝えしてくださっている。特に、ここでは、聴聞の要をしっかりとお説きくださっている。「ただ聞け」とか、「命懸けで聞け」という精神論的な説きぶりではなく、聴聞には、「後生の一大事」と「自力と他力の変わり目(けじめ)」という結び目がないと、いくら熱心に聞いても、すべて右から左へと抜けていくということである。それをしっかり踏まえて、真宗の聞法(求道)の要をお説きくださっているのだ。

 このことひとつを確認するのでも、前日、自分たちの頭で考え、話し合ったことが生きた、いいご法座となった。

 いろいろなところでも実践してみたいです。
 

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6月の聖典講座~五悪段(1)~

  4月から、「釈尊の勧誡」(お釈迦様のお勧めと誡めの説教【三一~四六】)に入ったが、ここから主聴衆が、阿難尊者から弥勒菩薩が変わり、場面も急転化する。この段は、「大悲摂化」と「現土証誠」の二段に分科されるうち、まず「大悲摂化」の一段で、「悲化段」とか「三毒・五悪段」、「浄穢欣厭」とも言われる段を窺っている。
 これは、釈尊が大悲のお心で、仏眼に映る痛ましい人間生活の現実を説かれた段で、大きく、三毒段と、五悪段に分科されている。今月と8月で、五悪段を、三分科(総誡【三四】・五悪段【三五~三九】・釈迦勧説【四十】)して頂いていく。

 その五悪段を概観すると、
総誡………大体において、五悪を去り五常につくべきことを述べ
                                                               【三四】
第一悪……無道にして仁を守らぬもの        【三五】
第二悪……義理に背いて実意のないもの      【三六】
第三悪……礼儀がなくてみだらなもの       【三七】
第四悪……無智でありながら、うぬぼれてるもの 【三八】
第五悪……恩もおもわず、教えを信じないもの  【三九】
などのものが、受けねばならない現在と未来の苦しみの報いをあげて、
釈迦勧説…最後に、再び前の五悪の過ちを説いて厭い捨てるべきことと、善を説いて、勤め守るべきことを勧められる。 【四十】

だいたい同じようなパターンの記述で、
五悪→五痛→五焼 に対して 五善(大善)が説かれれいる。

 五痛とは、五悪をなすことにより、現世で受ける華報(けほう)。
 現世の益たる「福徳」がそれに対する語である。

 五焼とは、五悪をなすことにより、来世で受ける果報(かほう)。
 来世の益たる「度世」「長寿」(上天)「泥●」が、それに対する語である。

 その五善とは、
浄土宗では、 五戒(不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不飲酒)であり、
浄土真宗では、五常(仁・義・礼・智・信)だとしている。

 ところで、親鸞聖人は、直接こここの引用はない。単なる勧善懲悪の道徳生活、(儒教)に留まるのをおそれ、懸念されたとも考えられる。
 また現存の梵本(サンスクリット本)、西蔵訳(チベット訳)、また『如来会』『荘厳経』にもはない。初期の『大経』には相当文がある。その初期の『大経』を参照し、翻訳の時点で、当時の中国的要素(儒学・老荘・神仙思想-たとえば「自然」を多様など)を加味し、人間悪の徹底した追求と因果応報、廃悪修善を強調して、涅槃の獲得を教説したものでないかとの推測もあるのである。

 それでも、信後の世俗生活としてだけで味わうにでなく、本願を頂くべき者、そのお目当ての機、本願成就文でいう「諸有衆生」の実相であり、その内容は、まさに唯除の私と姿である。つまり、釈尊が、大悲のお心で、仏眼にうつった虚仮轉倒の私の姿そのものを明示してくださったと頂きたい。
 
 ある参加者の方が、まさにこれは私の日常の姿であり、わざわざここで読まなくて、いやというほど知らされている、という意味のことを仰った。
 でも、自分でそう知ったと思うのなら、それは自惚れにすぎない。ほんとうに悪を悪と知り、嫌というほど教えて頂けるのは、真実の仏智に照らされた我が身をお聞かせに預かったからである。つまり、これもまた仏説としてお聞かせ預かるからこそ、尊いのである。

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仏教入門講座「大乗経典の不思議な世界」

 「仏教入門講座」~「大乗経典の不思議な世界」と題した12回シリーズの第1回目。その内容である。

 大乗経典は、伝統的な初期原始経典の体裁は踏襲しているが、理論と理性によって(つまり言葉で説明できない、論理的整合性をもたないものは否定する。理論立てて話せば伝わる)すべてが解決れた原始仏教からは、大きく踏み越えていく。理論から、理論を超えた世界への側面が強く、いわば「思議」から「不思議」へと展開していく。それで、「この経を疑うな」「疑うものはもっとも深い罪を受ける」という表現が多くなってくるという。当然、考える(思惟)より、祈りや礼拝の側面が強くなってきたというのである。では、大乗仏教とは何か、それをさまざまな大乗経典を通してその正体に迫るというものである。

 仏教経典についてや、インドの仏教教団の歴史、また大乗経典の代表的な内容などの話があった。
 中でも、大乗仏教の起原説についての話が、興味があった。
 日本では、この世界の権威である東京大学の平川彰説か有力であった。平川によると、
1)伝統的教団(大衆部)からの発展
2)仏伝文学の影響
3)仏塔信仰の興隆
という3点を上げている。ぼくが、大学で学んだころは、このような話を聞いてきた。特に、3)の仏塔信仰説は、大乗仏教を専らとして、出家者である僧侶が妻帯しているわが国の仏教界では、在家者中心の仏塔集団起原説は都合がよかった。

 しかしながら、今日では、この平川説はほぼ否定されている。その口火を切ったのは、北米や南半球から現れてきた。なかでもグレゴリー・ショペンの業績は大きかったという。

 ということなら、書籍を読んでもわかる。実は、今年になってから春秋社からでているシリーズ大乗仏教を、少しずつ読んでいるが、最新の大乗仏教の研究が集められているからだ。でも、なまの講義を聞いて面白いのは、けっして書物にはならない刺激的なつぶやきである。

「平川先生は私達の学会のボスでしたからね。当時の学会ではだれも逆らえませんよね」
「結局、いま日本でも平川説が否定されているけれど、グレゴリー・ショペンの亜流です」
「もし、いまだに仏塔集団起原説としている書物があるのなら、その先生は勉強不足です」などなど。

 で、結局、今日の大乗仏教の起源は確定したものはない。3世紀ころまで、インドでは大乗経典はあったが、大乗仏教はなかったともいわれる。
 その大乗経典を創作したのは、在家信者ではなく、伝道教団の教義に精通した出家者であったといのうが、現在の研究者たちの唯一の共通認識だというのである。

 面白かったです。

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仏教への関心?

 4月から、仏教大学が行う一般向けの仏教講座を、2つ受講している。
 その一つが、「仏教入門講座」で学ぶ。今年は「大乗経典の不思議な世界」と題した12回シリーズ。仏教大学の松田和信教授や文教大学の平岡聡学長に、気鋭の若手講師も加わっている。

 大学の講義の感覚で15分前(これでも早め)に入ったら、机の席は満席で、後ろにはパイブイスが増設されている。定員は150名だが、たぶん200名近い人達がおられるだろう。平日の昼間、しかも有料の講義なのに、仏教に関心をもっている人がこんなにもいることに、とても驚いた。

 後で触れるが入門講座といっても専門的な話題もでる。それでも、こんな大勢の方が集うのは、仏教への関心に加えて、大学教授の講義というカルチャーの要素も大きいのかもしれない。信仰の問題とは異なる、あくまでも知的なお勉強が魅力なのか。

 でもこれだか大勢の方がおられると、一人ぐらいは後生の解決を真剣に求めている方はあるんじゃないのかなーと。華光会館での講習会や聖典講座にも、お誘いしたいのだけど、、、。

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円空仏

Img_4490 もう一つが、円空仏の展示する円空館である。
 円空は、寛永年間の生まれなので江戸時代前期の修行僧で、当時の蝦夷地(北海道)にまで渡り、文字通り全国行脚して、なんと12万体ともいわれる仏像や神像を造り続けたといわれ、5千体近くが現存していImg_4495る。全国行脚しているが、生まれの美濃や飛騨に作品が多く残っている。晩年は、この飛騨の地にも逗留し、多くの作品を造っている。逗留といっても、下呂の山の中に彼が生活していた窟か残っている。そんな生活から、窟上人とも呼ばれている。そして、64歳で、自ら食を断ち即身仏(ミイラのようなもの)入定したといわれている。

Img_4493 円空の資料と共に、円空仏が並べられていた。円空仏といっても、仏よりも、稲荷神や立山大明神などの神像が多数だった。

Img_4499 素朴で、独特な鉈彫が、力強い。晩年のものだろう、この地蔵菩薩が穏やかで、やさしいお顔。

 法座会場の国府町にも、円空仏をまつる寺院がある。次回は、足を延ばしてみたいものだ。

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影絵劇団「かかし座」 

Img_4408_2 高山法座に会わせて、下呂温泉・合掌村に立ちよる。以前、高山市の「飛騨の里」という白川郷から移築された合掌造りのテーマパークに、子供たちと入った。

http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/post-eac6.html

  Img_4410規模も、内容も、飛騨の里が数段上。合掌造りの建物に関しては見劣る分、ここには違った工夫がなされてる。

Img_4483 その一つが、「しらさぎ座である「かかし座」の公演だ
 ややこしいが、「しささぎ座」という建物で、日本最初の影絵劇団である「かかし座」が常設で公演を行っている。影絵というと、子供向けの地味な印Img_4486象だと思うが、以前、あるテレビ番組で、この劇団の手影絵ショーを見て感心させられたのを覚えていた。連れ合いは、コブクロImg_4461_2の「蕾」のMVで観たという。

下呂や飛騨にゆかりの昔話の影絵劇と合わせて、手影絵の上映があった。子供のときには、誰もが、キツネや犬を作って遊んだものだ。華Img_4423_2光会館には、以前の日曜学校での影絵用の手作りの舞台セット(折り畳み式)がある。もちろん、黒幕も照明セットも揃っていて、ぼくが日曜学校の教師を始めたころまで、花祭りと成道会で、子供たらの出し物があって、高学年では影絵劇をするのが定番であった。
Img_4438_2 プロによる影絵劇は美しかったが、単純に手や腕だけを使って演じる手影絵が、まImg_4418たよかった。動物や魚や鳥などが次々と変化していく。「次はどうなるの? これはなに?」、などとこちらも少し想像力を働かせながら観れるところが、またいい。

 すばらしかった。

 

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高山支部法座~大悲の呼び聲~

 先の永代経のご法話で、伊藤康善先生の『大悲の呼び聲』を歌われた法座があった。

 それがよかったと、高山法座でも、勤行の代わりに、みんなで『大悲の呼び聲』を歌うことになった。それを聞いて、ぼくも急遽、予定の法話を止めて、『大悲の呼び聲』をいただくことにした。

 今度は、節をつけずに、一段落(区切り)ごとに、みんなで声に出して読んで、簡単な解説を加えていった。あらためて読ませていただくと、僕の中でも、よく分からない部分もあり、皆さんにお尋ねしながら読ませていただいた。

 インドのブッダガヤに向う車中で、みんなであげさせていただいて、涙で読めなかったことが懐かしい。

「そなたが座る足元に、八大地獄の業の火が、
エンエンとして燃え上がる。
驚きたたぬそなたより、驚きたてるこの弥陀は、
血潮にそまり紅の、紅の身の砕くるも、
立ちづめ呼びづめ招きづめ、
こいよこいよ出てこいよ……」

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再開します

とにかくいろいろあって、しばらくブログもお休みしていた。

週末毎の法座も続いたが、これはいつものこと。やはり、華光誌と事務的な手続きが重なったのが、大きい。加えて、連れ合い北海道公演中で、家事にも手間取ったりと、いろいろあった。

Rちゃんが寮生活で抜けて、華光誌の準備が2週間早まった。業者に外注するのである。今朝、やっと印刷業者に渡りホッとしたところ。これで終わりではなく、1週間後から校正作業が始まる。先方も初の作業で、やりとりが繁雑になってくる。

平行して、この世俗の約束事も繁雑である。1月から事業所の扱いとなって、厚生年金やら労働保険やらの手続きや調査が続いている。これまで宗教法人は適用外だったのが、方針に変化が起ったらしい。法務局に出向いたり、明日も、年金事務所での実態調査に出向かねばならない。他にも、経済センサスの活動調査やらなんやら、次々と事務報告やら作業がやってくる。

それも一応、明日で一区切りとなってほしいなと。

ブログもたまったものから、ボチボチまとめて再開していきます。

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