浄土五祖伝を読む~道綽伝(2)~
4月から、「浄土教祖師伝を読む」と題して、法然聖人の『漢語燈録』に収めれている『類聚浄土五祖伝』を講読を受講している。
http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2016/04/post-6dc3.html
道綽伝に入って3回目。今回は、迦才の『浄土論』にある道綽伝を読んだ。
迦才さまは、善導大師とだいだい同世代の方だか、道綽さまの主著『安楽集』について、その構成なども不十分であると厳しく指摘されているという。『安楽集』は、道綽さまが『観経』の講義をされる時の講義録をまとめたもので、『観経』の註釈書だと考えられているが、そうだと言い切れないのではないか、という異論も出されている。しかし、浄土教の教相判釈として聖浄二門を判決こそ、浄土経における偉大な教義上の発揮であるには間違いなく、後世に大きな影響を残すこととなった。
ところで、『続高僧伝』では、七十歳で、一度、お浄土に還られかけた道綽さまだが、曇鸞さまのお導きで、蘇生(?)されて、その後は、すこぶる壮健となられ、乳歯まで生え、弁舌もますます巧となられたというエピードが出でいる。しかも、これが記述された時には、道綽さまは八十四歳になられて、まだご健在だという記されている。つまり、ご健在の時からすでに奇瑞を顕しておられたことがしられていたのである。
迦才さまは『安楽集』には厳しくても、道綽さまの業績は高く評価されている。大業5年(609年)、四十八歳で、聖道門(涅槃経)を捨てて、浄土の業行-すなわち「一向専念 阿弥陀仏、礼拝供養相続無間」に専念されたこと(ただし、『続高僧伝』にある、玄忠寺の曇鸞大師の碑文に出会ったことには触れておられない)。そして大原などの三県では、七歳以上の道俗がみな称名念仏に勤しみ、念仏の数を数えるために小豆を用いるが、上精進のものは、なんと九十石をも数えたという。しかも、誰も西を向いて唾を吐いたり、小便をしたりしないどころか、西を背にして座ったり寝たり(お尻を向けない)もしなかったという。それほど、教化を受けた者までも、西方願生し、念仏相続されるほど、念仏の教えを弘通されたのである。
そして、貞観十九年(605年)四月二十四日に、八十四歳でご往生される。白雲がたなびき、浄土から三筋の光が届いてきたという。それは火葬中や墳墓に埋葬する時も同じで、紫雲がたなびき、五色光が三筋の光があらわれるなどの種々の奇瑞を顕れたというのだ。
教義的問題ではないが、そのご教化や往生の有り様を、改めて学ばせていだだいた。
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