5月の伝道研究会~称名論~
安心篇も、安心の展開である称名論に入っている。
今夜は、称名=口称念仏の「念仏」について、浄土真宗の3つの立場を窺った。
今日の私達は、念仏というと称名念仏、つまり「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と声に出して、口に称えるものだと思っている。しかし、仏教の中では、念仏が、声に出して口称の念仏となるのは、七高僧様なら、善導様の功績というになる。
もともとの念仏は、本来は、1、憶念念仏(憶念仏徳・散心の念仏)であり、
または、2、観念念仏(観念仏身・定心の念仏)であった。2、は『観無量寿経』の第九真身観の念仏である。
それに対して、3、称名念仏(称念仏名・口称の念仏)で、『観経』の下々品の念仏である。
その中でも、善導様は、第十八願を加減されて(本願加減の文)、「我称名号、下至十声…」と、第十八願の「乃至十念」、十声の念仏と明示して下さったのである。その善導様を師匠と仰ぎ、そのお心を受け継がれたのが法然様なので、法然様は、第十八願を「念仏往生の願」と名付けられている。
今日では、当たり前のように、念仏とは「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と声に出して称えることだと思っているが、実は、このような発揮がなければ、念仏=称名念仏のお心は分からなかったのである。
それが浄土真宗では、念仏を
1、名号(念=南無・仏=阿弥陀仏)
「弥陀仏本願念仏 邪見驕慢悪衆生 新楽受持甚以難」(正信偈)2、信心(念=憶念・仏=仏願力)
「憶念弥陀仏本願」(正信偈)3、称名(念=称念・仏=仏名)
「称名念仏」(選択集)
というように、名号を念仏という時もあれば、信心も憶念として念仏とするともある。もちろん、称名を念仏ということもあるのである。
そしてこの名号-信心-称名の展開から、浄土真宗では、「信心正因・称名報恩」とするのである。
つまり、法体である「名号」のお働きによって、衆生の信中に印現して「信心」となり、それが衆生の口業に現れるが「称名」だから、どこまでも、信心正因であり、称名、信後の報恩行なのである。
など、いつもお聞かせに預かっている基本を改めていただいた。
次回は、6月1日(水)夜7時30分~10時で、称名論の最終回(たぶん)。
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