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竹田の安楽寿院

Img_4161  GM10日間、京都の非公開文化財を特別公開があった。
  ttp://www.kobunka.com/topics/pdf/hikoukai_h28spring_leaf.pdf

   毎年、春と秋の年2回の恒例行事だが、東寺や知恩院のような有名Img_4162_2観光寺院のお宝だけでなく、日頃は社寺自が非公開のお寺などが公開されることもある。今回は、伏見区を中心した南部の社寺が多くて、ぼくも聞いたこともないお寺がImg_4184_2含まれていた。その中から、近所の安楽寿院と、51年ぶりに薬師如来の扉が開かれた日野の法界寺を訪れ、時間があれば、善福寺にも行く予定にした。
 Img_4164_2安楽寿院にも法界寺にも、有名な阿弥陀如来像があるからだ。

 まずは、会館から3キロほどの南にあるImg_4167_2竹田の安楽寿院へ。
https://kanko.city.kyoto.lg.jp/detail.php?InforKindCode=1&ManageCode=1000011
  この近くをいつも通るのに、あまりにも近すぎImg_4185_2て、未見のお寺の一つである。子供のころは、田んぼやネギ畑が広がるのどかな地帯で、昔の近鉄電車からは、近衛天皇陵の多宝塔が見えていたような記憶もある。それが、今では近鉄と地下鉄の乗り入れ口で、名神と阪神高速も交差する交通要所となっている。しかし、一方幹線道路を入ると、まだこんなお寺や御陵が広がっている。

Img_4194_2 鳥羽上皇の鳥羽離宮の一角に、平安時代に開かれた皇室ゆかりの寺院だ。同じように非公開文化財を公開している城南宮にも近い。今では、ごく普通の小さなお寺に見えるが、もともとは多くの荘園を有する大寺院で、戦火などの影響で衰退するも、豊臣Img_4187秀吉の庇護をうけ、徳川政権にも護られて発展していく。今回その面影を残す、天皇の綸旨や秀吉や徳川歴代将軍の朱印状などが多数展示され、また幕末には鳥羽、伏見の戦いでは総陣地となったことから、合戦の記録も残されていた。他にも江戸期の十二将の屏風も公開されていImg_4186た。日頃は非公開の小さいが趣のある建物とお庭を拝観させていただいた。ただ建物内部もお庭も、もちろん宝物も写真撮影は禁止である。

Img_4169_2 宝物館には、鳥羽法王の念持仏だといわれ胸に卍が刻まれた定印の阿弥陀如来像が安置されていた。思ったよりも小さかったが、穏やかな表情と、均整のとれた体躯の阿弥陀様が、静かにお座りになっておられた。小さな宝物館には、他にも普賢菩薩画像や阿弥陀二十五菩薩の来迎図などの重要文化財も多数展示されていた。

Img_4199_2_2 その庭に平安時代の石造三如来像が安置されていた。阿弥陀三尊は京都国立博物館に寄託されているので、ここは薬師と釈迦如来の三尊仏である。
 また、お寺にゆかりの天皇の御陵が隣接している。 慶長伏見大地震で倒壊し、豊臣秀頼によって再建された近衛天皇御陵の多宝塔が、堂々と立っている。鳥羽天皇の御陵もある。今回は、訪れなかったが有名な白河法王の御陵もすぐ近くだ。鳥羽御陵の隣には、いまは特養施設が立っていたが、その一角に、五輪の塔が立っている。一見、なんの変哲もない石塔にみえるが、鎌倉期の銘が入った重要文化財である。この地でのさまざまな歴史の変化を見てきたのであろう。なんでもない石や建物が、実は歴史の証人だったり、とても由緒のあるものだったりするのに、今ではあまり人知れず、さりげなく立っている姿が印象に残った。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E6%A5%BD%E5%AF%BF%E9%99%A2

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    ↑ 近衛天皇御陵の多宝塔
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    ↑鳥羽天皇の御陵    ↓重文の五輪塔
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