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日野の法界寺

 Img_4233_2竹田の安楽寿院をあとに、日野の法界寺に向う。https://kanko.city.kyoto.lg.jp/detail.php?InforKindCode=1&ManageCode=1000206
 これで何度目だろうか。親鸞聖人のご誕生のご旧跡である。今年9月の聖跡巡拝でも、隣接する日野の誕生院と合わせて拝観予定だ。それでも、今回来たのは、51年ぶりに公開される仏様があるからだ。今回の特別公開の目玉(ポスターにもなっている)である、薬師堂のご本尊「薬Img_4201師如来立像」である。眷属である十二神将像と、日光、月光両菩薩も特別公開されていた。

 安楽寿院は人影もまばらであったが、ここは観光バスも押し寄せ賑わっている。混雑をさけるために駐車場が閉鎖されていて、困ってしまった。

Img_4202_2 ご承知のように、ここは親鸞聖人の故郷、日野家の里である。この法界寺も、親鸞様の曾祖父にあたる日Img_4235_2野資業が創建した日野家の菩提寺である。だから、親鸞様のお父様やお母様の墓所でもある。今回、初めて知ったが、親鸞様の末娘の覚信尼公の墓所でもあるのだ。今日は、参拝できなかったが、次回には、ぜひ御参りしたいものだ。

Img_4211 さて、国宝の阿弥陀堂は、平安時代、藤原氏の全盛期の時代のもので、屋根は檜皮葺の周囲に庇がつけられ、外からは重層建築のように見える趣のある建物だ。
 安置されるでのは、国宝の阿弥陀如来座像Img_4212である。宇治の平等院に近い典型的な定長様で、丈六の阿弥陀様で、弥陀定印を結んでおられる。丸みのあるお顔は幼子のように微笑ましく見える。向背の浮き彫りも有名だが、暗くてよくみえないが、今回は、懐Img_4215_2中電灯で照らしてもらいながらみせていただいた。その阿弥陀如来を取り巻くように、天人の壁画が描かれている。また、四方の柱にも極彩色の諸尊が描かれているのが、日があたる側の柱から窺うことができた。この阿弥陀様を、幼き日の親鸞様が拝んでおられたと思うと、一層の感慨がある。

 法界寺は、別名「日野薬師」と呼ばれて、安産と、授乳の御利益があっImg_4228_2て、古来より薬師信仰の盛んなお寺である。阿弥陀堂のお隣が重文の薬師堂。秘仏の薬師如来が安置されて、実に51年ぶりに公開されるとあって、多くの方が参詣しているのだ。
 Img_4226_2日頃は立ち入れない薄暗い内陣に進む。左右に6体ずつの十二神将像。薬師如来の眷属である。鎌倉期の作品らしく、こぶりながらも勇ましく躍動的なお姿をしている。それぞれ十二支と関連させられていて、その頭には干支が刻まれている。それで、拝観する人達は、みんな自分の干支の神様を探しているのが、面白かった。肝心のご本尊は正面から見えない。内陣の裏手に回って、厨子の仏様を横から拝ませていただく。高さは80センチほどで、それImg_4208ほど大きくはない。横顔も、物静かなやさしいお顔だちだ。白木の像らしいが、衣文に、金箔による截金(きりかね)文様が描かれていて見事だった。前には、日光、月光の両菩薩がお立ちであった。写真は、ここで。
http://www.asahi.com/articles/ASJ4G5648J4GPLZB00S.html

  これでもう見納めだと思うので、もう一回りして、十二神将と薬師三尊を拝ませもらった。薬師様の前(正確に横で)ご夫婦で、盛んにお経をあげておられる方もあった。お庭も、背景のお山も、ちょうど新緑の季節で、緑のグラデーションが美しかった。 駐車場に手間取ったこともあったし、特別拝観は4時で終了ということもあって、すぐ近くの善福寺には行けなかったは、残念だったが、2つのお寺だけ充分に堪能することができた。

 秘仏の薬師如来像は拝観できませんが、9月の聞法旅行で拝観します。
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