東京支部法座~四十八願に聞く~
今回は4座の法話で、法蔵菩薩が因位の時、世自在王仏の所で起こされた四十八の大願について、第一願から順に四十八願までをいただくことにした。
といっても、丁寧に窺う願と、願名と、誰に願われたかを確かめ、現代語訳をいただく程度の願もあったが、それでも、すべての願を、その順序どおりいただいた。
阿弥陀さまは、ほんらい色もなく、形もましまさず、言葉も絶えた世界から、名乗りをあげ、因果を示してくださった御方である。凡夫の私には、言葉となって届けてくださらなければ、けっして、その真実に触れることはできなかったのだ。ならば、まずは、その言葉、つまり本願として誓われたその中味を、言葉づらであっても理解させていただくことが大切だ。しかし、言葉を頭で理解するだけ終わっては、不充分である。その本願となって現れたきた背後にある、大悲のおこころを聞かせて頂かねば、ほんとうの意味は分からない。四十八願のひとつひとつを知らなくても、本願となって現れた大悲のおこころにひとつに出会わせていただけば、すべて事足りるものである。
ならば、その逆もあるのではないか。その大悲のお心に出会わせていただいた上で、改めて1願、1願をいただくとどうであろうか。
善太郎さんではないが、第一願ナムアミダブツ 第二願ナムアミダブツ、第三ナムアミダブツである。すべて、「お前ひとりを助けるぞ」の大悲のお心から起こっていない願はないのである。
その大悲のおこころ、如来の作願のおこころを、1座目でいただき、
2座目には、「浄土の人々に対する願い」として第1願から11願の11の願を
3座目には、「あらゆる人々を救いとるための願い」として、第12願から20願の9つの願を
そして、4座目で「浄土に生まれ仏となったり、他方の仏国土の菩薩方への願い」として、第21願から48願の24の願を、順序だてていただいた。
48願をひとつひとつを、体系的に味わうのは初めてだという方が大半で、皆さんにとっては、48願を通して、具体的な阿弥陀様の願いに触れていただくご法座になったのではないでろうか。南無阿弥陀仏
「如来の作願をたづぬれば
苦悩の有情を捨てずして
廻向を首(しゅ)としたまいて
大悲心をば成就せり」
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