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2016年4月の24件の記事

小冊子第4弾!『師に握拳なし』発行!

永代経法要に合わせて、小冊子第4集を発行した。
小冊子は、春と秋の2回目標にしているが、昨年は、父が亡くなり、華光大会が追悼法要となって、秋は見送った。

テーマは、一昨年の永代経で、継職法要を兼ねた永代経の時のものである。まだ比較的新しいが、誌面の都合でカットしたご文の引用を増やしたり、かなり追記をしたので、長いものになった。

Img_3953題字も、ぼくが書いた。
釈尊の臨終間際の「師に握拳なし」の精神が、浄土教のお祖師方、法然聖人の遺言である『一枚起請文』や、親鸞聖人の晩年の歎異抄第二章の対人的態度にも貫かれていることをお伝えしたかった。これぞ、自力(聖道門)、他力(浄土門)に関わらず、仏教を貫く精神だと思ったからだ。

その時は、強く意識したわけではないが、このご法話を、継職法要の時の法座でお話させてもらったことは、意味のあることだったと思えるので、誌上法話としてはとても新しいものだか、小冊子として問うことにした。

皆様、どうぞよろしく!

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永代経の準備

Img_3939永代経の準備が始まる。

法名軸の記載の申込み者の粗供養を求めて、本山前の芝川骸骨堂へ。先代とは、いろいろとご縁のあるお店で、2度も中国旅行をご一緒しImg_3949ている。しかし、いまは、ここも先代は引退して、代替わりをしている。

Img_3951連日の陽気で、西本願寺のツツジは少し早く満開になっているかと思っていた。きれいに咲いているが、、満開は、連休中になImg_3929りそうである。

念珠店から、蝋燭屋による。法要の時は、和ロウソクを使っている。

会館では、連日、掃除やおImg_3927みがきが始まっている。
ぼくも、法名軸のご記帳を開始する。なぜか、今年は、8月と、11月

Img_3936に亡くなった方が多い。とうとう父の法名も書き込むことになった。

事務所でも、買い出しや宿食の準備が始まった。

永代経法要に向けて、慌ただしく、しかし確実に動き出している。
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京都支部法座~仏教とは何か~

華光会館での京都支部法座。
会所は、家庭ではないが、施主二人が担当し、ご法礼やお菓子代を負担して家庭法座を開いてくださる。担当者は、一人でも多くの方にお参りいただたいと、お声をかけれることもあって、京都支部法座にしては、賑やかな顔ぶれとなる。初めてご主人を連れてきてくださる方あったりで、一般の法座にはない良さがあった。

さて、ぼくはこのところの法話の傾向してと、講師からの問いに対して、皆さんから応えていただくという形式で行っている。これは時に評判はよくないこともある。皆さんにとっては、問われることは、邪魔くさくなるというのである。でも、皆さんひとりひとりの聞き方が問われるという意味で、問答形式で進めていった。

「仏教」とは、一口でいうとなんですか。仏教辞書には、どう定義されていますか。
では、「仏」とはどんな御方ですか。
また、仏教の教えを簡潔に四文字熟語で述べるとどうなりますか。
などといった基本的なことを尋ねていくのである。といっても、決して知識を問うているのではないので、スラスラ応えられたからそれでいいという話しではない。分かりきったことや簡単なことほど、分かったつもりになって聞き流して、ひっかかりがない。しかし、改めて問われることで、当たり前だと思っていたことを、少し深く味わっていただきたかった。
特に、今回は、仏教の基礎から、その精神が、利他行や大慈悲心として、浄土真宗の他力廻向のおみのりや南無阿弥陀仏として結実していく道筋をお伝えしたかったのである。
仏教とは、
1)「仏の説いた教え」
2)「仏に成る教え」
であるが、他にも
3)「仏即教」で、「釈尊のいいつけ・命令」という項目があるのだ。仏の教えとは、「いいつけ」であり、「命令」なのだということを改めてお聞きした。
そして、この3つをそれぞれ、浄土真宗の立場から、窺った。
つまり、真宗でいうお釈迦様は説かれた教えとは? 真宗では、仏に成る方法は? そして、釈尊のご命令は?
といった具合である。答えをかいては意味がないので、皆さんも、よくお考えください。

座談会の未信者へのアプローチとも絡んで、僕自身もいろいろと考えさせられた法座となった。

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会議

土曜日は、二週続けて自治会の会合(会議)があった。
先週は、上部組織の役員会が小学校であり、今日は、町内会の会合があった。昨年から、華光会館を会場提供している。華光会や真宗カウンセリング研究会の会議もあっても、会館で世間の会議に出ると、何か不思議な気持ちがする。世間の会合の進行も、なんとなく滑稽でもあり、また面白くもある。

さて、今年度の地域や町内会の行事の日程が決まってくる。予め予想していたので、法座日程を決める時に、用心をしていた。だいだいそのとおりになっているが、残念ながら、連合会体育祭(運動会)が、10月の法座とかぶってしまった。連れ合いも、天草に出張中で、出席が微妙という。仕方がないので、法座の日程調整に入った。何かと、ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします。

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「鈴木大拙研究の諸相」

恩師の口癖に「田舎の学問より京の昼寝」というのがあった。
こんな時は、そう思う。といっても寝ていたのでは、講演が聞けないので、福岡のYさんも誘って、東京大学から、京都の国際日本文化研究センターに移られた(今は、名誉教授)末木文美士先生の公開講演会へ行く。末木先生の講演を聞くのは3回目だが、鈴木大拙師のテーマは初めてである。

Img_3923金沢の鈴木大拙館で、案内チラシを見たのがきっかけだった。会場は、大谷大学で、当然、講堂だと思い込んでいて間違ってしまった。30名ほどしか入れない会議室で、講師も同じテーブルに座っての、講義というより円卓会議のようである。参加者の2割ほどは白人で、英語でのレジュメも配られている。

大拙師は、長らく大谷大学の教授(哲学や仏教学)だった関係で、その大拙氏が設立した東方仏教協会が、今回の主催となっている。
大拙師の没後50年を迎えて、これまでの研究と、再考がなされているという。
Img_3924直接の門下生に、肯定的な研究者に、批判的な研究者、そして新しい動きの紹介があった。

大拙師の評価が難しいのは、彼がさまざまな面持つ、その多重性にあるという。
たとえば、欧米からみた大拙像と、日本からみた大拙像には、ギャップがある。そのギャップがあるからこそ見える一面があるのだ。
たとえばであるが、禅の大家ではあるが、禅師というわけではなく、かといって、研究者と括ってしまえない。実践者であり、研究者であり、(特に欧米では)伝道者である。かれは、欧米での最初の大乗仏教の説明者として位置づけられている。禅とかいたが、同時に、浄土(念仏者)ともいえなくもない。即非の論理ではないが、禅と念仏、体験と理論、普遍的でもあり、日本的でもある。戦争協力者として批判される一面もあれば、ノーベル賞にノミネートされる一面もある。まさに「肯定でもあり、否定でもあり、肯定でもなく、否定でもない」。両者が統合されるようであり、また断絶されているものでもあるのだ。いわば、今日のような「みんなが一つに溶け合っている」という生ぬるい思想ではなくて、矛盾した緊張感がありながら、同時に融合されていくのが魅力だというのである。
また、「ひとへに親鸞一人がためなりけり」の「一人」と、禅の「一無位の真人」の「人」(にん)こそが、両者を結ぶ架け橋になるとのことであった。
久しぶりに『日本的霊性』を読む返してみたいと思った。が、ぼくの書棚には岩波文庫のものしかないが、文庫版や全集ではなく、「完全版」を見ないと、真の意味での霊性論は語れないというのであった。

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寒中子供大会感想集「はちす」

5月の法座案内と一緒に、2月の寒中子供大会の感想集「はちす」を発行した。子供さんだけでなく、先生方や大人の参加者の声も掲載している。担当してくれたのは、熊本のKちゃんだが、ちょうど熊本地震の3日前に届けられた。印刷の予定から、最後は、かなり急いでもらった。もう数日遅かったら、今回の発行は無理だったと思うので、そのことも踏まえてよく味わってもらいたい。

合わせて、7月29日(金)~8月1日(月)の第55回「仏の子供大会」の案内状も同封している。昨年は、2泊3日間の開催となったが、今年は、例年どおり開きたいと、早めから案内し、お誘いしていくことになった。皆さんのご協力と、ご参加をお待ちしています。

他に、5月21日(土)~22日(日)の第14回「真宗法座の集い」の案内状も同封している。久しぶりに案内状を作成した。しかも、案内文は、定型文ではなく、自分の思いを込めて書いたので、またここでも案内したい。詳しくは、ぜひ、ご案内をお読みください。

一部の方には、「壮年の集い」の案内状も入っています。

今回は、4月から新しくお手伝いしてくれている、M君が頑張ってくれた。

同人の皆様には、月曜日ころから、随時、お手許に届きます。お楽しみ!

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真宗カウンセリング研究会「総会」

 真宗カウンセリング研究会は、小さな組織だが、創立より55年の歴史のある研究会になった。
 しかし、最近の活動はますます縮小傾向にある。これまでさまざまな方が集ってこられたが、近頃は、会員や世話人が固定し、参加者もじり貧状態にある。特に、昨年はレギュラーの研修会が、参加者不足で、たびたび中止になったりしている。その上、ここしばらく世話人間でも不審な気持ちがあって、このままなら危機的な状況にある。そのこともあって、総会を前に、二度も世話人会を持ったが、残念ながらうまい打開策がみいだせずに、もぞかしい。原因はハッキリしている。単純な話しなのだが、悲しことにうまくいかず、ますます不信感が募っていく。といって、ないことにし、うやむやにするわけにもいかず、強く迫るわけでもなく、うまい落としどころがないか悩みのタネで、この問題を考えると、ここ数日、悶々とした、不快な気分になる。

 それはそれとして、会合は粛々と進めていきたい。今年も、月例会を担当する予定で、西光義敞先生の著者を読むことにした。定番なら『暮らしの中のカウンセリング』であるが、何度か輪読したことがあるので、『育ち合う人間関係』を読むことにした。第1章に収録されるカウンセリング手引きが、原点になっているからだ。そして、真宗カウンセリングが色濃い部分もあるので、一度、真カ研の皆さんと輪読してみたいと思っていたからだ。

 月例会は、5月から毎月第3水曜日、夜7時~9時に、龍谷大学の深草学舎で開かれる。

 

 

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永代経法座お申込みを!

  まなもく永代経法座である。
 今回は、大阪支部の皆さんがお世話をくださる。
 法話の先生方にもお願いしているが、熊本地震の影響で、ご講師の参加が不確定になって、その時の場合のことも考慮している。今夜には、信仰体験発表の方、四名にお声をかけた。あっさり引き受けてくださる方もあれば、強くお断りになったり、困惑される方の方が多いが、それも含めて、今のところをありのままにお話くださばいいのである(もっもとそれが一番難しいが)、そのことで、自分のこれまでの歩みをまとめるいい機会になっていくのである。これは2日目の夜で、先生方のご法話とは違った意味で、いい法縁となるのでは、、。

 宿泊の〆切は終わったが、参加されるだけの方でも、お申し込みいただけると助かるので、ぜひ、多くの方のご参加をお待ちしております。
 詳しくは、以下のHPから。

http://keko-kai.la.coocan.jp/event/2016/detail/05/eitaikyo2016-5.htm

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大分法座中止

  今日からの大分県由布市での法座を楽しみにしていた。大分では、1年半ぶり。しかも、今回は、前回が好評で、大分や日田から初参加も多いようだし、これまで1、2度お会いしただけの方も、初宿泊される。連れ合いも初めての九州支部法座で、これですべての支部に顔を出すことになる。とにかく、新鮮な顔ぶれにワクワクしていた。

 水曜日には、熊本のS子ちゃんとスカイプで念入れに打ち合わせし、細々と相談。露天温泉もある宿舎で、大分の温泉も楽しみだ。法座が終わってから、別府に泊まり、連れ合いの知り合いの無着成恭氏のお宅にいこうかという話もあった。

 ところが、木曜日の夜にあの熊本地震である。震度7という速報に、とにかく驚いた。すぐにS子ちゃんに連絡。動揺が伝わる。次々と余震がやってきて、恐怖のようなものを感じた。熊本空港のある益城町に何度か送ってもらったことがあるが、熊本市内でも、彼女のところは益城町に近い。でも、この時点では、熊本市内のライフラインは、それほど大きなダメージはなかったようだ。

 度重なる余震が続き、不安のあるなかで、金曜日の夜には、大分法座の予定どおり開催を決める。もし、熊本組が参加できなくても、大分や福岡、遠方からの方もあるので、頑張ろうということになった。

 ところが、土曜日(感覚的に金曜日の深夜)深夜に、本震が起こる。京都でも、地震を感じた。早朝、電話が鳴る。彼女からだとすぐ分かる。夜明けと共に、被害の拡大が明かになってくる。これまで経験されたことのない大きな余震が連発している。それでも、彼女は、まだ開催を迷っていた。本震となる揺れで、ライフラインもストップした暗闇のなかで、あっちこっちに連絡をしてくれたようだ。熊本組は無理でも、大分の責任者は、開催に未練があるようだ。宿舎は、いまのところ大丈夫だという。ただこちらでは、状況はつかめない。いろいろな方から電話が入る。あっちこっち情報を探したが、山陽新幹線は博多まで大丈夫だか、在来線不通になっている。まもなく、地震は大分にも拡大して、由布市でも、大地震が起こった。(あとで分かったが)参加者がおられる日田や玖珠、由布でも、土砂崩れで道路が寸断されていた。

 京都駅に確認に行くが、遠く離れた地のこと。悲惨な状況が次々流れるテレビ画面とは違って、ここは何事もなっかたように平穏時間が流れいる。窓口の職員の反応も鈍くて、九州新幹線は不通になっているが以外は、随時、動くのではいとう程度の反応。強くお願いすると、いろいろ調べてくれて、大分方面はやはり不通になっていた。

 とても残念ながら、今回の法座は中止となった。

 どんなに準備万端でも、また熱情や意欲があっても、縁が整わないと、法座は開けないのことを、改めて感じさせられた。

 では、どれだけ一座、一座を大切にしてきたのか。そこでの出会いを大切にしてきたのか。恥ずかしいばかりである。

 

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浄土五祖伝を読む~道綽様~

  一年ぶりに、仏教大学一般向け講座に出席しいた。
 浄土宗教学院の提供講座なので、この講座は無料である。 昨年から法然聖人の『類聚浄土五祖伝』を原文で読む講座が始まっていて、もうすでに曇鸞様は終わっていた(残念!)。今月から、道綽様の2回目に入った。

 『類聚浄土五祖伝』といっても、なかなかピンとくる方も少ないだろうが、浄土真宗では『真宗聖教全集』の第4巻にある『漢語燈録』に収録されている。

  ところで、法然聖人は、すこぶる直筆が少ないお方で、確実に法然様の直筆と言われいるものは、『選択集』冒頭の二十一文字とか、『七箇条制誡』の「源空」の署名と花押とか、若干のお手紙と、金戒光明寺にある『一枚起請文』など、ほんの6点程度しかないという。一方、法然様の遺文集としては、親鸞聖人直筆である『西方指南抄』の価値が高く、国宝にも指定されている。また他には、漢文で書かれたものを集めた『漢語燈録』と、和語(仮名まじり)で書かれたものを集めた『和語燈録』などがある。『漢語燈録』に収録されているのだから『類聚浄土五祖伝』は漢文だ。これを原文で読むのだがら、一般向けとはいえ、少し専門的でもある。

 とはいうもののその内容は伝記なので、決して難しくはない。華光の皆さんだって、実は、少しは知っておられる。 悟朗先生の『正信偈講讃』(レジュメ)での曇鸞、道綽、善導、お三方の略伝は、主に『類聚浄土五祖伝』を参照されているからだ。 
 そのなかで、道綽様の略伝は、道宣の『続高僧伝』、迦才の『浄土論』、他に『瑞應伝』『新修往生伝』の4つが引用されている。後の2つは時代が下がってくるので、主に『続高僧伝』と迦才『浄土論』を読む進めておられた。

 前回の復習として、慧瓉師のもとで『涅槃経』の研鑚に励み、禅定と戒律の実践に勤められるも、玄中寺で曇鸞様の碑文に出会い、48歳で浄土門に転じられる。その背景には、廃仏派の武帝によって母国の北斎が滅ばされ、仏教弾圧がおこり、末法思想が現実となったことや、同時代の信行師による三階教の影響も大きかったと言われる。聖道門を廃して、時機相応の浄土門に転じられているが、それを「二由一証」(1大聖を去ることが遥遠く、2、理は深く解(さとり)微なるという理由と、『大集月蔵経』で証明する)をあげておられる。
今回は、『観無量寿経』を講義すること二百遍に及び、常に念仏を申し、また多く老若男女を教化し、邪見誹謗の者までも、その遺徳に打たれ念仏に転じるなどのご教化の様子、さらに、貞観三年四月八日に、命終を告げられ、多くの人達が見守るなかで、七宝船上に曇鸞大師が現れて「浄土に場所はあるが、まだ命は盡きていない」と言われ、化仏が散華をし、その花は七日間枯れることがなかった。そして、蘇生された時、道綽様は70歳だったが、なんと乳歯が生えるなど以前より壮健となられて、ますますご教化に励まれるというところまでを読んだ。

実は、この他に善導様の二河白道のルーツの話などを聞いて感銘したことは、また次回で。浄土宗の視点もあるので、刺激をうけることも多い。今年は、大乗経典の講義も受講するつもりでいる。

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4月の輪読法座~法座にかけられた願い~

4月の輪読法座は、0先生の「巻頭言」「法座にかけられた願い」を読む。

阿弥陀さまは、蓮華座に立って、私達に呼び詰め、招き詰めで、待ち続けてくださっている。
お釈迦さまは、草座(吉祥草)の上で、お悟りを開かれて、その弥陀の本願をお説きくださった。
では、私達は、何に座して聞法しているのか。

私達は「法座」、つまり法の座に座らせてもらっているというのである。
その法座は、如来さまの願力の働きから起ったことに間違いない。
でも、それだけでは凡夫に伝わらないので、具体的な形となって届いてきている。
まずは、聞法の場である法座の会場(会所)となり、法座を開いてくださる施主となり、招かれた知識(先生)となり、そしてお勧めくださる朋同行や共に聞法くださる法友となってくださるのてある。
当たり前ことで何とも思っていないが、当たり前のものは何ひとつないのてある。どんな小さな家庭法座あっても、それが開かれるまでには、そのようなさまざな方のご縁が整って、初めて私が座ることができるのである。

以前、増井先生から、「法座が開かれる所は、如来さまのお命が捨てられてた御聖跡だ」と聞いたことがある。釈尊の娑婆往来八千遍の間に、芥子粒ほどの隙間なく、そのお命が捨てられているというのであるから、その身を捨てたお徳によって、その場に法の華が咲くのである。
私は、如来さまのお命の上に座りながら、座布団を敷き胡座をかき、足が痛いとイスに座り、暑いと冷房、寒いと暖房と、わが身が楽に聞けることしか考えていない。

にも関わらず、私がその法の場に座るご縁を、如来様はあの手この手でご方便くださり、ずっと待ち望んでくださっているのである。そして、「よく参ってくれたなー」と喜んでくださり、さらに「この難信の法をよく聞いてくれたなー、わが善き友よ」と、そんな私をおほめくださるのである。すべて如来の本願力のお働きであるのにも関わらずにだ。
勿体ないことである。南無阿弥陀仏

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生老病死か、老病死か

Img_33783月末のことだが、関西の美術館と博物館の無料パスで、龍谷大学ミュージアムの平常展に行った。

「仏教の思想と文化・インドから中国」と題されるように、インドで生まれた仏教が、シルクロードを経て、中国から朝鮮半島、そして日本へと伝わるまでの仏教2500年の歩みを、大きく「アジアの仏教」と「日本の仏教」に分けて通覧している。そんな広くない限られたスImg_3386ペースで、あまりに広範囲な内容なので、かなりの部分を解説で補いながら、あらあらの総花的な展示になっているはいたしかたない。ひとつひとつは面白いものもあるが、解説や写真だけで実物の展示がないものもある。それでも、一般的にみれば、仏教の誕生から日本で花開く各派のものの大要は、なんとなくわかる仕組み。

Img_3375_2 でも、どうしてもいただけないことがあった。冒頭に「仏教とは何か」のパネル解説である。そこに、仏教は、人間として避けられない「老病死」の根源的な苦しみを現実として受け止めて、それを超えていく道を示されたということが書かれていた点に、引っかかった。別にその要旨ではない。苦しみを、「老病死」と限定しているところである。しかもこの言葉が、2度も出てきている。どうやら「生」は意図的に抜かれているようだ。実は、「「生老病死」の四苦ではなく、「老病死」の三苦の言葉は、80年代に出された前ご門主の教書(消息)に同じ問題があって、そこを鋭く指摘くださる先生があり、感銘をうけたものだ。

 仏教は、「生老病死」の四苦を、人間の苦しみの根源と見ている。確かに「老病死」の苦は、いまの私達、誰もが共感する苦しみである。それに比べると、「生苦」(この場合は、生きるではなく、生まれてくる苦しみ)は、今日の世相には相反するものだ。無条件に、生は肯定されていて、出産のたいへんさは語られても、「生苦」は無条件に、いのちの誕生の喜びへと還元されているのだ。もし世の中に迎合しなければ、仏教は伝わらないとお考えなら、それは悲しいことだなー。

 

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伝道院

Img_3912 西本願寺の伝道院は、レンガ造りの2階建で、もともとは1912(明治45)年に、真宗信徒生命保険会社の社屋として建築されたもので、本願寺築地別院などを設計したことで有名な、当伊東忠太氏。Img_3915京都市の指定有形文化財であるが、現在も現役である。このぶろぐでも、しばしば登場している。

Img_3916 事務所のRちゃんが、昨日からここで学ぶことになった。

 4月からImg_39179月までの長丁場、ほぼ缶詰での布教師としての勉学の始まりである。

 今日の勉学だけの型にはめる布教師制度のありようについては、僕なりの違った考えがはっきりあるImg_3385が、学ぶ以上は、しっかり学んでもらいたいものだ。

 その間、事務所のは、しばらく別の助っ人が入るが、そのご紹介はまた後日!

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『写真家ソール・ライター』と雨の東寺

Img_3871木曜日は、朝から春の嵐だった。
雨も強いが、風も強い。これで今年のサクラも終わりかなと思っていたが、案外、その後もしっかりしていて、長持ちしている。

Img_3876会員の更新手続きがあったので、久しぶりに京都みなみ会館によって、手続きをし、映画を1本。

『写真家ソール・ライター』~急がない人生で見つけた13のこと~

Img_3894音楽と映像、そしてなによりも、ソール・ライターの謙虚でありながら、時代に迎合せずに、自然体で一筋通った姿勢がいい。

ガラス越しの写真が、またすばらしい。

「幸福は人生の要じゃない。
 それ以外のすべてが人生なんだ。」

「人生で大切なことは、何を手に入れるかじゃない。
 何を捨てるかということだ」

Img_3898映画のあと、雨に中を、東寺まで歩く。
サクラは青空に映えるが、でも、雨は雨で、また風情がある。
子供の頃から、馴染みが深くて、毎日仰ぎみる東寺の五重の塔。でImg_3900も子供のころとは違って、最近は、サクラが増えてきて、夜間拝観もやっている。
今日は、無料拝観のところから、垣間見得る程度のサクラを眺めさせてもらった。

Img_3901    散るサクラ 残るサクラも 散るサクラ

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4月の聖典講座~浄土は往き易して人なし~

『大無量寿経』の講義も、丸二年間、20回が終わり、三年目にはいり、「釈尊の勧誡」が始まった。

 上巻では、序文のあと、正宗文(しょうしゅうぶん)に入って、「如来浄土の因果」(因=法蔵菩薩が「苦悩の衆生を救おう」と、五劫思惟し、四十八願を建て、果てしない歳月を経て【四~九】、果=自ら光明・寿命無量の 阿弥陀如来となりたまい、この上ない浄土を建立される【十~二一】)が説かれ、
 下巻では、「衆生往生の因果」(因=その浄土に、衆生はどのように往生するのか[他力での念仏往生と、自力の諸行往生]【二二~二七】、果=そして、浄土に往生した者に、どのような果徳が恵まれるのか【二八~三十】)が、詳細に説かれてきた。
 そして、今回より、主聴衆が、阿難尊者より弥勒菩薩に変わり、場面も急転化して、「釈尊の勧誡」(お釈迦様のお勧めと誡めの説教【三一~四六】)が始まる。
 本段はさらに「大悲摂化」と「現土証誠」の二段に分科されるうち、まず「大悲摂化」の一段で、「悲化段」とか「三毒・五悪段」、「浄穢欣厭」とも言われる。

 まず、大悲摂化は、釈尊が大悲のお心で、その仏眼に映る痛ましい人間生活の現実をありのままに説かれた段である。「三毒段」と「五悪段」に分科されるが、今回の三毒段は、さらに細かく、(1)総説【三一】・(2)三毒段【三一】・(3)弥勒領解【三二】・(4)釈迦勧説【三三】に四分科されるのである。

 そのうち、(1)総説では、前段までを受けて、浄土の聖衆方の御徳や智慧、そして国土の勝れたまを確認し、他力信心の者は、自然の働きで誰もが往き易い、。にも関わらず、人が無いことを歎き、その人間の現実の悲惨なありさまが、以下、詳細に述べられていく。

 つまり、「易往而無人」の一言が大きい。この言葉以前、「易往」までの上来は(本願他力によって往き易いことを詳細に述べておられたが、それも終わり、「而無人」已下は、何故行く人が無いのかが詳しく述べられるのである。
 それには大きく3つの理由が考えられる。今回の法座では、2つの質問をなしたが、まず、なぜ「人が無いのか」を考えてもらった。最近、巻頭言にも触れているので、皆さん、この点は、しっかりと押さえておられた。
 柏原祐義師によると、次ぎの3点を挙げられている。

1)三毒五悪の難の故に「三毒五悪段」=『御消息集』二通
2) 仏智疑惑の難の故に「仏智疑惑段」=『尊号真像銘文』
                          『御文章』二-七通
3) 遇善知識の難の故に「流通分」=『浄土見聞集』(存覚上人)

 そして、もうひとつ質問をした。これより以下、対告者(主な説教の聞き手)が、阿難尊者より弥勒菩薩へと変わる。古来より、二、三の理由をあげて、その意味を味わっているが、それは何故なのか。皆さんは、弥勒菩薩とは、どんな御方と聞いておられるのか? を尋ねてみた。こちもら、皆さん、いろいろと味わっておられたり、弥勒さんのことを知っておられるので、その理由を味わっておられた。

今は、ここでは省略するので、関心のある方は、ぜひ、通信CDで確かめてください。

 次回は、5月5日(祝)1時30分~5時
 今回と同じく、三毒段で、愚痴から始まります。
 奮ってどうぞ。

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春爛漫(3)~三条大橋と瑞泉寺

Img_3850_2二条から四条の高瀬川沿いの木屋町通りの界隈には、歴史的な事件が起こった場所でもある。それを示す碑文やお寺があって、驚くこImg_3851とが多かった。

二条から、三条通りを鴨川によって、東海道五十三次のゴールである、京・三条大橋Img_3852_2から、四条大橋を眺めてみた。
ここもサクラとヤナギ、ピンクと薄ミドリの相Img_3853がいい。
橋の袂には、弥次喜多の小さな像が立っている。この像は、比較的新しい作品だ。ここのシダレザクラは、これからが見ごろ。

木屋町通に戻ると小さなおImg_3856寺が建っている。いーや、知りませんでした。豊臣秀吉の養子となりは関白まで登りつめながら、秀吉に実子が生まれて疎まれ、最後は、三条河原に首が晒され、一族郎党が斬首されたImg_3859_2豊臣秀次の菩提寺、瑞泉寺だ。これまで、何度この前を通ってきたのだろうか。でも、53年間、まったく気付かずにスルーしてきた。しかも、拝観は自由だ。栄枯盛衰の人Img_3744の世の無常に思いを馳せ、墓前(首塚)で手を合わせてきた。外の喧噪はウソように、人影も無い。

Img_3832_2_2ところで、高瀬川は、慶長年間に角倉了以(すみのくら りょうい)が開いた、京都と伏見を結ぶための人口運河だ。大正年間で、約300年間もImg_3698水運として利用されていた。高瀬川一之船入跡は、高瀬舟の荷物を上げ下ろしした船溜所とし史跡に指定されている。

また、高瀬川周辺には、坂本龍馬ゆかりの地も点在しImg_2971_2ているが、龍馬ゆかりの料亭(幾松)や、大村益次郎や佐久間象山の襲撃の地など、勤皇の獅子と新撰組が活躍した幕末の記念碑が、そこかしこ。

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春爛漫(2)~高瀬川のサクラ~

Img_2956 昨年は、都合で父や母をお花見(サクラ)に連れて行けなかった。

 Img_3845今年は、母だけを連れてのお花見になった。それて、なるべく歩きやすさを重視して、高瀬川沿いのサクラにした。木屋町通りが、石畳ではなく舗装されているからだ。
 木屋町二条から五条に向かって下っていくImg_2983が、一面にサクラ並木である。サクラの木も、ソメイヨシノばかりではなく、シダレもあれば、遅咲きでまだ芽が出ているものもある。それでも、いまが見ごろで、ほんとうに見事である。サクラだけでなく、ヤナギの緑との相性もいい。

 四条の前で食事して、最後に、四条を少し下がったところにある、フランソワという老舗喫茶Img_2951_2店でお茶を飲む行程Img_3728_2である。

 このあたりも、海外からの観光客で混雑している。少し時間が早かったので、二条から三条あたりまではまだ歩きやすかったが、そこをすぎると、飲食客も増えるし、歩道も狭くて、母もImg_3693_2歩くのに苦労していた。それでも、最後まで無事に歩ききって、ホッとした。

 サクラは、いまが満開で見ごろだ。天気もよかったし、気候も穏やかで、夜風がここちよい。
 これまで何度も木屋町通りのサクラを見てきImg_3711_2た。しかし、何かのついでなので、北から南に下りながら、お花見したのは初めてだ。

 木屋町沿いは、京都も有数の歓楽街。風情あるお店もあれば、風俗店に、客引きや酔っぱらいもいる。しかし、サクラの並木と、Img_3779_2高瀬川の流れが、清濁併せのんで、夜Img_3717_2の光と共に美しかった。

 そして、この界隈は歴史的な事件が起こった場所なので、碑文や由緒あるお寺もあって、「ヘェー」と思うことがたくさんあった。それはまた項目をあらためて。
とにかく、夜は、ネオンに浮かび上がり、夢のような光景。
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4月の伝道研究会~称名論~

伝道研究会も、教義篇、安心篇と進んできた。
その安心篇も、名号論、信心論が終わって、称名論と、得益論を残すだけとなった。それぞれ、安心の本質、構造、そして展開、最後、価値である。

今回から、称名論にはいる。しかし、悟朗先生のテキストは、この称名論が最後で、しかも未完のままに終わっている。もうこの頃時から、体調が悪く、テキストが途中(1枚のみ)までしか作れなかったのだ。急遽、これまでの称名(念仏)の法話や講話のテキストを集めてきて、急ごしらえで、講義を行ったことを覚えている。次の得益論は、小生が交代することになったので、これが、講習会最後の講義ということになる。

またテキトスの内容も、称名論というより、名号論の緒が中心である。ところが、皆さんには、この違いが分からないと言われた。それで、いちから、「名号」とは何ですか? では「称名」とは何ですか、という基本のおさらいから始めることにした。今回、よく分かったことは、個々の詳細は分かっておられたても、それがバラバラでつながっておらず、大局の視点がかけているおられるということだ。もっとも、基本的なことでも、大きな欠落されるいることもわかった。善導さまの本願加減の文が出てくるので、それを第十八願文に対比して、何がかけて、何が増えているのかを確認するときに、まず第十八願文の文言から、ひとつひとつ説明して、確認しないとけない、ということも分かった。

別に一文不通であろうとも、お念仏のお心を聞かせていただければそれでいい。ただ、せっかく伝道研究会に参加されて、皆さんが、選んだテキストを使っているのだから、このままでいいのだろうかなという点では、大いに疑問が残る。みんなさん皆勤で参加されているのだから、それでいいのかもしれいなが、、。要は、ぼく自身のモチベーションをどこで保つかであるけど、、。次回は、

 5月11日(水)夜7時30分~

 称名論の2回目です。

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法供養法座~火宅無常の世界~

 午前中、 祥月命日を兼ねた、法供養法座。

 昨年十三回忌はすんだので、別に年忌にあたるわけではないが、身内の方にもご縁を結んでもらいたいと、毎年、ご法縁をもらい13年も続いている。

 ご親族の方に向けて、あらためて、死出の旅路や十王の裁きにからめて、なぜ、浄土真宗では法事を行うのかを聞いてもらった。身近な話題で、わかりやすくお話すると、興味をもって聞いてくださった。

 しかし、今年の話題の中心は他にあった。

 お家に入るなり、「玄関のドアが替わったのは分かりましたか」と聞かれた。
 確かに、玄関がきれいにはなっていたが、そこまで気にかけてはいなかったので、事情をお尋ねする。

 阪神高速の真下の大きな幹線道路と、一般道の交差点に角に経っているのだが、右折者と直進者が、衝突事故を起して、その弾みで、車がそのまま家の玄関にぶつかってきたというのである。たいへんな音と衝撃で、思わず外に出ようとすると、玄関に車が飛び込んできているのだがら、たいへんな驚きである。

 しかも、夜の事故で、運転者は、そのまま入院されたので、同意のないまま車がのけられずに、そのまましばらく置かれていたというのであるから、たいへんである。そのうえ、二台の衝突事故なので、どちらが責任があるかがわかるまでは、修理も難しくて、たんへん困ったというのである。それが、この法事の2、3日前にやっと玄関ドアが新しくなったそうだが、回りにはまだあちこちに傷が残っていた。ちょうど修理のために業者が下見にきていた。

 みんな口々に、「玄関にいなくて幸いでしたね」といっていたが、通学や通勤時間帯なら、広めの歩道を完全に乗り上げているので、大きな人身事故になっていてもおかしくはない。

 しかもである。車にぶつかられるのは、3度目とのこと。かなり昔には、たいへんな惨事(事故でプロパンガスに引火して、隣家がまる焦げになる)も経験されているというのだがら、家の中が安全な場所とはいえないようだ。まさに火宅無常の世界だ。

 どうぞ、お大事にしてください。

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春爛漫(1)~兼六園と金沢城~

Img_3598_2 金沢城の沿いのサクラが見事に咲いている。京都から同乗されてImg_3625いたMさんも、思わず、サクラの歌で美声を聞かせてくださる。彼女も満開だったようだが、それほど、サクラが満開だ。同時に「これで青空だったらなー」との一言。確かになー。でも、花曇りでも、またすばらしImg_3613_2い。

福岡からお参りさImg_3637_2れていたYさんが、思わず「ここまで来た甲斐がありました。」と言われて、法座よりImg_3609_2もすばらしいサクラに感動されていて、おかしかった。

無料開放されている兼六園は、外国からの観光客も多くて、ごった返しImg_3631ていた。

江戸時代を代表する回遊式庭園で、岡山の後楽園、水戸の偕楽園と並んで日本三名園の一つに数えられている。国の特別名勝に指定されている。

Img_3642_2日本三名園と栗林公園は、聞法旅行や法座のに立ち寄ったことがある。Img_3630

岡山の後楽園のことは、このブログでも触れている。

Img_3654_2http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-7e71.html

兼六園も2回目だが、桜シーズンは初めただ。岡山の後楽園のサクImg_3655ラは圧巻で見事の一言だったが、金沢のサクラも負けてはいない。

でも、兼六園はサクラだけが見どころではImg_3658なく、むしろ公園の内外のサクラが満開だった。

ただ観光客が多くて、ちょっと疲れたが、法座のおまけで、春を堪能させてもらった。

まさに春爛漫。
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鈴木大拙館

Img_3562北陸法座は、午前中で終了するでの、午後の時間は、金沢の少し観光した。

Img_3567前回、K師より「それはそれとして」の法話を聞いていた。鈴木大拙師の言葉で、掛け軸にもなっているというのだ。

Img_3565金沢は、観光客で溢れていたが、ここ鈴木大拙館までくると、町の喧噪からは逃れられる。それでも、鈴木大拙師を慕うのだろうか。Img_3574住宅街の中にはあって、少々わかりづらいにもかかわらず、白人の見学者が次々と訪ねてきていた。

Img_3590 想像していたよりも、展示空間は、かなり小さなものだった。展示を観るだけなら、あっという間に終わる。しかし、建物の雰囲気は、すばらしい。余白の使い方、空間の間、すべてを含めて、あっちこっちに、禅の精神が溢れているかのようだった。
ぼーっとしながら、のんびりとするには、素敵な空間だ。

今回の展示は「うんとこどっこいしょ」の掛け軸。
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北陸新潟支部法座~春爛漫~

Img_3516久しぶりに北陸新潟支部法座へ。
高台にある会場はサクラが満開だ。犀川沿いのサクラも満開である。
金沢のサクラは、雪を頂いた山々(白山連峰)が借景となって、美しい。

かなり多めに教材を用意したが、参詣の方が多かった。久しぶりにお会いする方もあったが、温かくお迎えくたさったのがうれしかった。
Img_3550ここでも、歎異抄を教材にお話する。

第二章と、第十一章に焦点を絞って、三席でかなり丁寧にお話申し上げた。
親鸞さまの態度、同行の心情、さらには異義者の思Img_3533_2いに心を馳せながら、それぞれの思いを聞いていただいた。

「誓願の不思議によりて、やすくたもち、となへやすき名号を案じいだしたまひて、この名字をとImg_3539なへんものをむかへとらんと、御約束あることなれば…」

という第十一章の一文によって、本願と名号の関係を具体的に考え、そこを中心に、阿弥陀さまの大悲のお心を頂いた。
講習会ではないが、人数も多かったこともあって、日頃より法話が中心となった。座談も、質疑や味わいの分かち合いで、お互いが触れ合うということはなかったが、皆さんからのお声は尊かった。

金沢の街は、サクラが満開で、春爛漫である。そんな中で、この会場には、大悲の本願が満開に咲き誇っているかのようだった。
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緊急地震速報

 自力整体の教室で、突然、何カ所からか警戒音と共に、「地震です! 地震です!」の声が響き渡る。

 最初、ビルの放送かと思って、誰かが「訓練?」と言った。集中していた場面だったので、みんな不安の気持ちのままレッスンが続いた。が、1分もしないうちに、地震が発生。でも、大きなものではなくて、すぐに収まった。
 関西では、珍しい緊急地震速報で、皆さんの携帯が一切に警戒を出したのだ。もっとも、携帯をもたないぼくには、初めての経験だ。
 帰宅して、同じ時、会館の事務所でもいろいろあったと聞いた。連れ合いによると、舞台公演中でも、一度あったという。
 
 こんなシステムのない時に、法話の最中に地震になったことは、何度かある。特に忘れられないのが、聞法旅行で稲田の草庵にお参りして時、朝、そこでご法話をさせていただたいる最中に、震度4の大きな地震があった。

「法話が有り難いすぎて、大地が震動したようです」と切り返した。

会館の行事の時ならどうするか。法要や葬儀の時ならどうするか。ちょっと考えさせられた。

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華光誌発送しました!

華光誌75巻2号発生しました。
遠方の方は、4日、月曜日以降になるかもしれませんが、お楽しみに!

なお、誌上法話は、昨年の永代経法要での、「唯聞愁嘆声」である。

また、4月29日(祝)・30日(土)・5月1日(日)の永代経の案内と、法名軸記載のお勧めのチラシなどが入っています。
こちらも奮ってご参加ください。

なお、この華光誌を使っての輪読法座は

4月13日(水)1時30分からです。まもなくですね。

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