3月の聖典講座~自利利他円満の徳~
月1回の聖典講座も、『大無量寿経』にはいって、2年目が経つ。「如来浄土の因果」「衆生往生の因果」と進んで、今回は「衆生往生の果」の最終回にあたる。来年度(4月)からは、場面が転換し「釈尊の勧誡」に入るので、ちょうどきりもいい。
ほんとうは、前回、一気に「衆生往生の果」を終えるつもりだったが、さすがに無理だった。
今回は、衆生が弥陀の浄土に往生し、聖者(菩薩)として受ける果報(果徳)が広く説かれる「衆生往生の果」を、大きく五段に分科するうち、(4)説法自在の徳と、(5)自利利他の徳を窺っていった。本願寺註釈坂聖典なら【三十】のところである。
(4)説法自在の徳は、第25願成就文である。諸仏や本師仏から聴聞した往生者の説法も、阿弥陀如来の仏の智慧に相応し、執着の心なく、慈悲の心をもって、自在であることが述べられる。第二十五願は、説一切智の願で、「あらゆる知識を演説させよう」という願文。二十九・三十願も関連する。
一方、その内容から、第十願成就文とも窺える。六神通の最後で、漏尽通の願とも、不貪計心の願ともいわれる。一見、説法自在の徳とは、無関係のように思えるが、阿弥陀如来や諸仏から自由自在に聴聞して、また自由自在に説法することができるその境地の静けさは、まさに不貪計心である。その心境の尊さに、みな心打たれた。思わず、「これはどんな心ですか」という質問がでるほどだった。
(5)は、自利利他の徳について述べれている。
まず、自ら利益すること(自利)の行と、他の衆生利益すること(利他)の行の二徳を述べて、さらに二行の徳の円満が述べられる。
次いで、さまざまな譬喩をもって、自利・利他の徳を讃える一段。「最初~蓮の花」まで が自利の徳、「大きな乗り物~最後」までが利他の徳と分類できる。
そして、二利の徳にちなみ、特に利他の中から説法の徳をあげる一段が続き、
最後に、結び(結歎)として、当面は、菩薩の自利利他の徳を結び、広くは、往生の果全体を結んで褒められるとみることができる。最後は、そのお徳は、「百千万劫かけても説き尽くせない」のだと結ばれていく。
以上で、衆生往生の果が終わると共に、「如来浄土の因果」「衆生往生の因果」が説き終わった。 これ以降は、阿難尊者から弥勒菩薩へと主聴衆に代わり、「釈尊の勧誡」がはじまっていく。
講義の最後に、「説法自在の徳、自利利他の徳」を声に出して通して読んだ。来月の予告として、「貪欲」の一部の「有田有宅」の部分も、引き続いて読んだ。すると、あまりにも自分の姿、人生の実相に触れて、あちこちから笑い声か聞こえてきた。如来(浄土の聖衆)と凡夫の比べることがことができないほどの境地が違うのである。
ほんとうに自利利他円満した行は、南無阿弥陀仏である。今回、輪読した世界は、まさに南無阿弥陀仏のおこころそのものである。しかも、親の宝は、子の宝だ。泥凡夫の私が南無阿弥陀仏のお力で、浄土に往生したならば、南無阿弥陀仏となって働かせていただくのである。こんな不思議があろうか。
★次回=4月10日(日)昼1時30分~5時
「釈尊の勧誡」に入ります。
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