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3月の東海支部法座

 12月、1月と東海支部法座の出講が続いた。

 仏教一般で言う、葬儀のあとの七、七の法要、四十九日法要の意味に触れながら、浄土真宗での法事、法要の意義を窺った。これは、各支部でお話申しているが、大半の方が、意味も分からずに法要されているので、関心を持って聞いてくださる。しかし、本題は、葬儀の時にあがる添引和讃でもある「本願力にあひぬれば、むなしくすぐるひとぞなき」の「本願力にあう」というところを聞いていただいた。

 30名弱が車座になって、座談会をおこなう。会場の都合で、70分ほどしかない。もし一人一人に尋ねっていったらそれだけで終わってしまう。といわうで、ご自由にということになった。初参加者が一人あったが、あとは、いつもの顔なじみのメンバーだが、これだけの人数がいると、なかなか自由に発言できないという話が、あとの懇親会で出た。確かにそうであろう。貴重な時間なので、何か大切な質問したり、信仰上の疑問を出したり、もしくはご示談のような場面を想像する。または、初めての方やご縁の浅い方の時間だという遠慮もおこる。結局、みんなが黙ったままだったり、話しづらい雰囲気となって、誰かの個人的な話を長時間聞いて、終わってしまうこともある。下手をすると、その話題が、みんなの関心や興味がない場合もある。
 もし特に話題がないのなら、思い切って法話を分かち合う時間に限定してはどうかと思った。最近、何かを分かち合い、共有しあうことの大切さをつくづく思う。形式的に回して、なおざりに(当たり障りのないことを)一言話して終わりというのではなく、しっかり分かち合うのである。これがもともとの原点だったはず。ただ体験して、誰にも話さず、共有することがなかったら、どんどん忘れ去って、もしくは新しい経験が上書きされて忘れ去られるのでは、勿体ないのではないか。

 その分、皆さんも、緊張感をもって、ご法話を拝聴しなければならないだろう。
 次回の高山や広島から実践してみたい。

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