カンボジア紀行(6)プレアヴィヒア遺跡
今日は遠出をして、タイ国境にある世界遺産、プレアヴィヒア遺跡に向かう。
田舎の風景を見ながら車で3時間ほど走った。遺跡のある山が見えてきたこと、突然、車中に砂ぼこりが充満し、あわせてマスクをつける。このあと、ジープ(実際は、トヨタの四輪駆動車)の荷台に乗り換えて、急坂を登っていく。
ガイドのキムさんが笑いながら「日本人は、高いところと、少し危ないところが好きで
す」と言っていたが、ここはその両方兼ねている。
が、ぼくの読んだカンボジアのガイドブックには、世界遺産にも関わらず掲載されていない。
もうひとつのものには、タイ名の「カオプラヴィハーン遺跡」として、「現在、カンボジアからは行く手段がなくタイ国境から入ります」と説明されている。
もともとはカンボジア領であったが、第2次世界大戰の時、日本に占領された時に、日本との同盟国であったタイに割
譲されたということであった。その後、2011年まで国境紛争が続いてたが、ごく最近になって、カンボジア領に確定したというのである。今は、タイ人の入場が制限されていて、ここに入るのに、パスボートの提示が必要だった。
途中には、塹壕や防空壕が点在
していた。紛争が終わったので、表面的には兵士の格好はせず、銃ももっていないが、国境警備のために、タイ領を観察する兵士もいた。いまは平服だが、一端ことがあれば、みな兵士になるのだと聞いた。長閑なのは、少しお金を払うと、望遠鏡を覗かせてく
れた。
同時に、ボルボト時代には、大量の地雷があった地区で、(まず地雷を見つけ、そこに印をつけ、そして撤
去する)地雷のどくろマークや、フランスの力を得てこの地区の地雷が撤去されたという看板もあった。中国からの大量に入った安価な地雷は、3ドルほどで大量に埋められている。しかし、ひとつを撤去するにも、何百ドルもかかるので、政府の力で無理のなので、外国のNPOに頼っているのが現実だという。しか
も、対人地雷なのだが、殺すのではなく、片足を失い障がい者とてっな足手まといにさせることが目的だという。運悪く両足を失ったりすると、家族一同に待つのは悲劇しかないと、キムさんが深刻な話をサラリと話していた。
実際に各地の寺院で、地雷で足や視力を失った人達が、楽器演奏をしながら施しを受けていた。
山の頂上にある遺跡は、広大だった。崩れかけた箇所を補修しながら、復元が難しいものはそのまま放置されている。四つの楼閣を通り、700Mほどの頂上にある本堂に着く。本堂の中は入場できなかった。が、外からお坊さんかお祈りをしているのが見えた。なんでも、現世祈祷のまじないがおこなわれているのだとい
う。
山の反対側につくと、カンボジア側は絶壁となっていいて、カンボジア平野が拡がっていた。写真で、すこしモヤで霞んでいるが、実際は壮大な眺めだった。なによりも、日本のように危険を知らせる柵などなく、ただゆ
るいロープがぎりぎりのところにはってあるだけだ。絶壁の下を覗くのは、迫力があった。
青空と、芝生の緑、そして広々とした開放感の遺跡で、これまでのアンコール遺跡群とは、少し異なる雰囲気があった。
それにしても、ここもまたすいぶん山登りで歩いたなー。http://krorma.com/ruins/preah_vihear/
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