連戦~広島支部法座~
高山から京都で途中下車して、広島法座に向かう。
今回の広島法座は、いつもと少し違うスタイルで行った。
だいたいは、法話(60~90分)の後は、自由に座談会を行う。ただ広島は、人数も多くて一巡すれば時間切れになったり、誰か一人に集中して終わってしまうこともある。1時~5時の4時間の法座では、なかなか深めていくとうことは難しい。
今回は、法話と座談会の区分をなくして、最初から車座に座り、法話をしながら皆さんに問い、また皆さんからの問いに答えて進行するという形式にした。
取り上げるのは、『歎異抄』十一章。味読し、現代語や解説も詳しく交えてはいくが、けっして講義とか勉強ではない。要は、ひとりひとりが、結局、私は何を信じているのかを突き詰めて問う、とてもいい機会になったのではないか。歎異抄か生まれてきた背景や、では正意とは何か、異義とは何か、なぜ、私が喜びが真実信心と言えるのか。単なる個人の心理的体験でも、また主観でもなく、また権力(教権)からのお墨付きでもなく、真実だと言い切れるのはなぜなのか。そこを、正解を教えてもらうのでもなく、皆さんの心に、さまざまな疑問や問いかけが残る形で進んだ。ひとりひとりが考え、答え、また歎異抄にあたることで、皆さんの心に一筋の爪痕でも残った、そんな法座になったのではないかと、その成果を、自負している。
来週の東京や、北陸法座などでも、しばらくこの形式で行っていこう。お楽しみに!
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