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3月の伝道研究会~二種深信~

伝道研究会は、増井悟朗先生の講習会の「真宗の基礎」を取り上げている。
教義篇に続いて、安心篇になり、第1章の「名号論」から第2章の「信心論」に入って、第1節「三心一心」、第2節「信心正因」、そして第3節「二種深信」と進んできた。その「二種深信」も今日で終わり、「信心論」も終了だ。

今月は、「二種深信」の中でも、二種深信にまつわる異義、異安心について学んだ。
異義を学ぶことで、逆に正意安心が浮かび上がり、初めて、二種深信の論題が何を伝えたいのかが、よく分かったという声もでた。

主に、信機自力の邪機(機の深信は自力で始まり、その後、法の深信に至って他力になるとの誤解)、
信機正因の邪機(地獄一定のところで、往生が定まるという誤解)で、共に、二種一具のお心を取り違えている邪義である。
また、信後には「信機の相-つまり地獄一定の相はなし」という邪機。初一念は、二種深信でなければならないが、往生一定に定まった後には、地獄一定の相は滅するというのである。これは、現在においても、さまざまに形を変えながらも残る根深い異安心だ。最近、「有り難い、有り難い」と自己暗示のように喜んでいる方を、たまにお見受けするのだが、どこで喜んでおられるのかが、分からない。ただ本願があることを喜んでおられたり、もしくは、ちょっとした煩悩を捕まえ、こんな浅ましい奴のお救い程度での、つまり縁他力の喜びに留まっていはいないだろうか。

初一念も、また相続も、地獄一定(信機)と往生一定(信法)は、二種一具であるということや、初後不二のところは、よくよく味わわないといけない大事である。

※4月6日(水)夜7時30分~9時50分
次回から、称名論にはりいます。増井悟朗先生の最後のテキストです。

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