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2016年3月の27件の記事

3月の華光誌輪読法座

   70年前の悟朗先生、21歳の時の投稿である。同時に、記念すべきて初編集の華光誌でもある。時代は、終戦直後、まだ1年も立たない混乱期のこと。

 「五劫思惟」と題されている短文たが、とても難解な表現で、皆さん、かなり困っておられた。華光の方でも、一読しただけではなかなか理解し難いだろう。仏教語といより、漢語表現だったり、いい回しが難しいのだ。

 ただ、その中でも、老いた(まだ六十過ぎだが、当時ではすでに老婆だったのだろう)母親へ愛情を通じて、母と子の関係、弥陀の本願の親心と、それに対する衆生の反発や疑いの関係を語っておられる。吉田松陰の故郷への遺文に、
  「親思ふ こころにまさる 親心 けふのおとづれ 何ときくらん」
を通じてのお味じわいでは、それぞれの思いを語られた。ぼく自身も、この歌には思い出があるが、そのことはまた触れるとして、今回は、悟朗先生とお母様の温かな関係が、まぶしいという声があった。そこから、子供時代に遡り、かなり具体的に親子の関係を語ってくださる方も多かった。親子の関係は、温かいものばかりとは言い難く、理想的な親ばかりでもない。虐待ではないが、貧困やつらい子供時代を過ごしたり、親に対する怨みや畏れなどの感情も含めて、かなり複雑なものがあることが話題になった。理想的であれ、複雑であれ、結局のところ、この世の中にあって、親子関係ほど緊密で、また大切で、そして難しいものはない。好意や憧れもあれは、反発や無視、軽蔑に反面教師もある。いずれにせよ、老齢期になっても、子供時代の親との関係が、いまでに影響を及ぼしているのである。 

 また、最後の「久遠の大悲招喚に感電」の言葉が、皆さんに響いたようで、特に、実際に、仕事中に、市電の高圧電流に感電し、九死に一生を得た方の話は、とても面白かった。実際に、体験がなければ、語れないことである。

○『療養と求道』「久遠の親を求めて」の最後に、
「獲信は、大悟徹底のような華やかなものではない。久遠の親に抱かれて、親の膝下で声をあげて泣く慟哭だ」
という文に突き当たって、再び念仏と共に、涙下る。げに親心こそ、親思う子の心の如何にかかわらず、思い続けたまえる、絶対のものなのではないか。

○久遠の大悲招喚に感電し、五劫思惟の泣に当たるのである。
  智慧の念仏うることは
  法蔵願力のなせるなり
  信心の智慧なかりせば
  いかでか涅槃をさとらまし (『正像末和讃』)

次回の華光誌輪読法座は
 ☆4月13日(水)昼1時30分~4時30分

 4月発行の華光誌の誌上法話と、聖教のこころを読みます。
  平日ですが、奮ってご参加ください。

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東京支部法座~歎異抄をいただく~

三月の東京支部法座は、講習会と重複をするが、歎異抄をいただくことにした。
2日間で、第十一章、第十二章を二つの要点だけをいただき、別に法話も二回考えていたが、いろいろと深いりして、時間が足りなく、この二章だけで終わったしまった。いつものような法話-座談という形式ではなく、最初から、車座になり、質問や問いを発しながら、また皆さんからの疑問に答えるという形で進行していった。

皆さんにとって、数あるお聖教の中でも、正信偈と並んで、『歎異抄』は、親しみがあるお聖教だ。だから、歎異抄は、一通り目を通したことがあるという方も多い。またしばしばご法話でも、取り上げているので親しみがあるようだ。しかしである。それは、前半の聖語篇(唯円房の耳の底に残る、聖人のお言葉)が中心で、後半の異義篇は、目を通しても、サーッとしたものでしかないという方が大方だった。それに、前半に比べると、長い。前半1~10章よりも、後半の12章と13章の2章だけの方が、長いのである。今回も、11章と12章を続けて、何度か声に出して読んだが、「古文の勉強のようで、難しい」という声もあった。内容も、いささか込み入っている。

第一、一見、今日の異義や異安心とは、まったく別世界のように感じられる内容もある。
中には、これは今日では無関係なので、異義篇は、要約のみを掲載します、というある会の解説書を見たこともある。

しかしである。異義篇を顕すことこそが、唯円房の真意であって、聖語篇は、いわばその正しい目安なのだという説まであるのだ。
ならば、歎異抄の真意は、この異義篇にあるといってもいい。
その八章を大きく分けると、要は、「善・悪」にこだわるか、「智・愚」にこだわるかにあると見た。弥陀の本願とは、善悪も、智愚も超えた不思議な働きなのであるが、悪を廃して、善を求め、もしくは、愚を離れて、智を求めるこころこそ、仏智不思議を疑う正体ではないだろうか。

たとえば、今回の第十二章にように、学解往生の異義を読むと、単なる知的理解の誡めを超えて、私がなんのために聞法するのかが明らかになってくるのだ。それは、名聞(名誉欲、褒められたい、認められたい)でも、利養(利益、貪欲、設けたい)でも、また勝他(他を負かしたい、負けたくない)でもないのだが、私は、この3つの心で聞法してはいないか。
ご法座では、おとなしく、頭を垂れて聞いているが(所詮、人事としか聞いていない)、でも、実際に、噂話でも、華光の教えや集いを批判が耳に入ってきたらどうか。または、私のことではなく、恩師の増井悟朗先生を非難する声が聞こえてきたらどうか。しかもそれが、明かな誤解や間違った根拠から起こってきたらどうだろうか。きっと私は、我が正しいと反論せずにおれないだろう。しかも、それは、我がよしの心ではなく、それが弥陀の本願だとか、聖人のお心だとか、正論をきどるだろう。または、迷っている人達に真実を伝えねばならないというかもしれない。しかし、その腹底は、なんとか相手を打ち負かそうとする心だ。そうしないと、わたしの気持ちが収まらないのである。

しかし、法論のあることろに、必ず煩悩や謗法が起るというのが、聖人の仰せだといわれているのだ。そのことに対して、いやそれどころか、流罪になり、罪人となった聖人が、そのことを厳しく戒めておられるのにもかかわらずである。
そんな体質をもった人達が、私達の集まりにおられないだろうか。最近、気になるところである。

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四十八願のこころ(10)第十九願文

「たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、菩提心を発し、もろもろの功徳を修して、至心発願してわが国に生ぜんと欲せん。寿終るときに臨んで、たとひ大衆と囲繞してその人の前に現ぜずは、正覚を取らじ。」(第十九願・修諸功徳の願)

 「わたくし法蔵が仏になるとき、全宇宙の生きとし生きる者が、さとりを求める心を起し、さまざまな功徳を積み、心の底からわが国に生まれたいと願うのなら、その命が終わる時に、わたくしは多くの聖者たちと共に、その人の前に現れて浄土に迎えましょう。もしそうでなければ、わたくしは決してさとりを開きません。」

 四十八願の中で、すべての人々をお浄土に生まれさせたいと、「十方の衆生よ」と呼びかけておられる願は、十八願、十九願、二十願の三願しかありません。阿弥陀様が、私たちに直接、働きかけてくださる願いです。つまり私たちがお浄土へ生まれるには、三つの道をご用意くださいました。

 この第十九願は、菩提心-真心から仏になりたいという心で、さまざまな善行を自分の力で励み続け、そして阿弥陀様の浄土に生まれようとする者を、その臨終の時に、聖者方と一緒にその前に現れて救うと誓われています。

 ご本願、第十八願は、極重悪人の私をそのまま救いたいという大悲のお心から出ました。阿弥陀様のご本心は、その十八願ひとつで、すべての人を救いたい。そのための五劫のご思案や兆載永劫のご修行でありました。にもかかわらず、第十九願では、善人のためのお救いも用意されました。それはなぜかというと、この私が、自分は善人で、正しく、能力があると、自惚れているからです。たとえ悪人を救うと言われても、悪人が人事としか聞こえない。そんな善人も、必ず救いたいと、臨終来迎まで誓われたのです。「善人で力がある」と自惚れる私に、「お前は特別待遇だよ」と誓うことで、身の程知らずの私のプライドを傷つけず、なんとか真実の第十八願に誘引したいがための、これもまた深い深い大悲のお心から起こったのです。もしその親心を聞き、私の本当の姿を知ったなら、わが力を励む第十九願には留まってはいられませんね。南無阿弥陀仏

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3月の伝道研究会~二種深信~

伝道研究会は、増井悟朗先生の講習会の「真宗の基礎」を取り上げている。
教義篇に続いて、安心篇になり、第1章の「名号論」から第2章の「信心論」に入って、第1節「三心一心」、第2節「信心正因」、そして第3節「二種深信」と進んできた。その「二種深信」も今日で終わり、「信心論」も終了だ。

今月は、「二種深信」の中でも、二種深信にまつわる異義、異安心について学んだ。
異義を学ぶことで、逆に正意安心が浮かび上がり、初めて、二種深信の論題が何を伝えたいのかが、よく分かったという声もでた。

主に、信機自力の邪機(機の深信は自力で始まり、その後、法の深信に至って他力になるとの誤解)、
信機正因の邪機(地獄一定のところで、往生が定まるという誤解)で、共に、二種一具のお心を取り違えている邪義である。
また、信後には「信機の相-つまり地獄一定の相はなし」という邪機。初一念は、二種深信でなければならないが、往生一定に定まった後には、地獄一定の相は滅するというのである。これは、現在においても、さまざまに形を変えながらも残る根深い異安心だ。最近、「有り難い、有り難い」と自己暗示のように喜んでいる方を、たまにお見受けするのだが、どこで喜んでおられるのかが、分からない。ただ本願があることを喜んでおられたり、もしくは、ちょっとした煩悩を捕まえ、こんな浅ましい奴のお救い程度での、つまり縁他力の喜びに留まっていはいないだろうか。

初一念も、また相続も、地獄一定(信機)と往生一定(信法)は、二種一具であるということや、初後不二のところは、よくよく味わわないといけない大事である。

※4月6日(水)夜7時30分~9時50分
次回から、称名論にはりいます。増井悟朗先生の最後のテキストです。

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桜の開花

Img_3388 新幹線で東京に向かう。
 今日は、カードのポイントが溜まっているのでグリーン車だったので、ゆっくりすることができた。晴れていたが、残念ながら富士山はImg_3446頂きは雲の中で、見えなかった。今週の月曜日には、まだ車内改札があったのに、今日から、指定席やグリーン車の車内改札が廃止になっていた。東京駅につくと、北海道フェアで、弁当やImg_3402土産物が売られている。北海道新幹線の開通で、青森から函館まで伸びたのだ。ちょうど昨年は北陸新幹線のImg_3442ブームだったが、実は、こんなにたくさん新幹線が増えていた。
 結局、東京一極に拍車がかかるばかりではないか。

 林野会館に向かう公園では、桜がチラホImg_3430ラ咲いている。京都より、少し桜の開花が早い。このところ、少Img_3426し肌寒いので、見ごろは、もう少し先の感じがするので、長く楽しめそうだ。都会の真ん中だが、このあたりは、公園や緑も多くて、野鳥もImg_3423花につられてやってくる。
 林野会館の隣のお寺には、梅も色を添えていた。

 法座のおやつはには、世話人が、北海道フェアのお菓子を出してくれた。今年は北海道公演があるので、連れ合いはよき札幌に行くが、土産に、このお菓子を買ってきてくれた。今度は、ぼくが、東京土産にすることにした。

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佐川美術館

Img_3327 姉からもらった関西エリアの美術館パスの期限が迫っている。母も一緒に、前から関心があった滋賀県守山市にある佐川美術館に向かう。湖西を経由し琵琶湖大橋の渡ってすぐなのだが、山科での渋滞が激しくて、80分はかかった。

Img_3339 水に浮かぶ建物は、美しかった。 

 さてこの美術館は、分野の異なる3名のImg_3335芸術家の作品が展示されている。
 まず、日本画家の平山郁夫氏。
 もうひとりは、彫刻家で佐藤忠良氏。
 そして、楽吉右衛門氏は、陶芸家として有名だ。
Img_3340 日本画、彫刻、陶器と、それぞれ分野はが異なる、日本の第一人者である芸術家に特化して作品が集められている。

 加えて、今回は特別展として、「華麗なる美人画の世界」と題して、明治以降、大正、昭和初期の日本美術で描かれた美人画を、東京画壇、大阪画壇、Img_3354北陸画壇、そして京都画壇と、体系的に分類して展示されていたが、どれも華麗な絵で美しかった。

 平山郁夫館には、東西架け橋としての広義のImg_3359シルクロードの風景や人物が中心に展示される。インドや中国、シルクロードなどは、ぼくも足を踏み入れた場所が多く、親しImg_3373みをもってみせていただいた。中でも、有名な廃墟の都、楼蘭の三部作が、見事だった。

 また、楽吉右衛門館は、建物、展示方法ともに贅沢で、お洒落だった。作品は、何代も続く伝Img_3369統の中に、アフリカの大地からのスブリッツが融合された茶碗が展示されていたが、その作品を際立たせるたそに、展示空間や照明も含めてひとつの作品のように思えた。

 もっとも、今回、一番関心したのは、まったく心になImg_3343かった佐藤忠良氏のブロンズ像たちだ。身近な子供や女性たちがモデルになっているが、命があるかのような息づかいが感じられる作品で、すごいと感じつつも、今に動きだし、語りかけてくるような錯覚も生まれて、ある意味でゾッとしたりもした。彼の紹介ビデオもみせてもらったが、実は、よく知っている作品(絵本の大きなかぶ)の作家だったり、ぼくが無知なだけで、立派な作品を生み出されている方々がおられるということだ。勉強になりました。

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祖母の熱情

 今月は、なぜか若い人達が、親などに連れられて、会館にお出でくださったり、御参りくださることが、多い月だった。
 今日は、広島から、おばあちゃんが、医学生である孫二人を連れて、御参りくださった。次男坊が、4月から国立大学の医学部に通うことになったのをきっかけに、ぜひとも、京都に連れてきたかったというのである。

 いつものことだが、強信で有名なおばあちゃんの口調は、とにかく篤かった。一方的ではあるが、孫二人のお念仏への篤い思いを語り続けて、二人の孫は、ただ圧倒されるばかりである。しかし、おばあちゃんに促されて、広島から京都まで来て、会館の後は、本願寺にお参りするというのてあるから、おばあちゃん孝行でもある。

 おばあちゃんの「どうか南無阿弥陀仏と称えておくれ」の思いが、文句なく尊かった。
 理屈や計算、効率ばかりの世の中で、こんなストレートな思いの伝え方も、また悪くない。

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『サウルの息子』

 2月に連続でヒットした観たぼく好みの良質の映画の紹介。

   4本目は、昨年のカンヌをを征したハンガリー映画、『サウルの息子』
 久しぶりに震えた。ほんとうにいい映画である。間違いなく、今年度のベスト10に残る1本だ。

160204 アウシュヴィッツを取り上げたホロコースト物は、年に2、3本は見る。封切られるのはもっと多くて、正直、食傷気味で、パスにもことも多い。既視感が強いからだ。しかし、この映画は、これまでみたホロコースト物とは、明かに一線を画している。

 まず、素材がいい。ゾンダーコマンダーという、ユダヤ人の中から選ばれて、同胞をガス室に送り込むナチの殺戮工場の協力者に仕立てられる、ハンガリー系ユダヤ人の男が、主人公だ。
 そして、カメラワークがいい。その彼の視線が中心なのだが、完全な主人公の一人称ではない。彼自身も映り込むからだ。といって、常に彼の視点から見える範囲の出来ごとなので、いわゆる神の視点や第三者からの映像はない。
 当然、全体の視点も異なってくる。たった2日間の限られた時間の設定もあって、緊張感が漂った不安げな雰囲気が、バンバン伝わてくるのだ。
 まさに、アウシュヴィッツは、まさに殺戮のための効率を優先された工場だ。どんどん囚人が送られ、大量殺人と、死体を始末するための流れ作業が、延々と続ていく。。ナチスも、ドンツ人に、汚い仕事はさせたくない。ユダヤ人のその仕事をさせ、普通の囚人よりも若干の自由もある。しかし、大量殺人の証拠隠滅のために、彼らもまた3ケ月ほどの周期で、ガス室に送られていくことになるのだ。
 この世に、地獄があるとしたら、ここだ。そんな中で、人間性を捨てさせられ、精神を破壊された男が、『自分の子供』の死体発見したことから、人間性を回復していくのだが、、、。謎や不可解な部分も多い。
 もう出尽くしたかと思っていたホロコースト物であるが、映画自体にも、新しい風が吹き込んだようである。

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カンボジア紀行(8) ~ベン・メリア遺跡~

Img_2619 カンボジアの旅も、観光最終日を迎える。
 午前中は、自由行動で、オールドマーケットでの買い物組と、時間切れで見えなかったアンコールワットの第三回廊リベンジ組とに分かれた。

 少し遅め目の昼食後、この旅の最後の遺跡となるベン・メリアに向かImg_2760_4う。宮崎駿監督の天空の城ラピュターのモデルになったとも噂されている遺跡である。もっとも、ガイドのキムさんは、きっぱりとは否定していた。映画が完成したころ、この遺跡はまだポピュラーではなかったからだ。

Img_2655 三重の回廊をもったImg_2652広い遺跡は崩壊しているので、探検気分でかなり歩いた。ここは観光客がそこそこいる。ただ、連日35度を超える猛暑も、今日は少し一服し、しかも木陰は風も吹いて、しのぎやすく、こImg_2658こちよかった。木陰で、座りながら、ゆっくり見学できたので、からだは楽だった。遺跡の崩壊具合が神秘的で、落ち着いた雰囲気がしたし、細かな彫刻も、Img_2708けっこう残っていた。ヒンズー教の遺跡なので、日本人には素材となる物語の基本を知らないのだがら、キムさんが、丁寧に教えてもらった。特に、ラーマーヤナのラーマ王とサル王が、幽閉された妃を救出するシーンと、その後、王の妻への嫉妬心から起る顛末の話は、面白Img_2689Img_2697かった。

 夕方までたっぷり遺跡を回って、その後、タイスキ(鍋料理)の夕食を食べて、夜の便で、ホーチミン~関空と戻ってきたのは、翌日の早朝のことである。

Img_2704 北海道に戻る義父母と、アメリカに戻るK夫妻と空港で、お茶を呑んだ。まだまだ長い旅が続く人がいるのである。ぼくは、まだお腹の調子がよくなく、そのあと、しばらく調子を崩したままだった。日本と寒波襲来で、とても寒かった。カンボジアは、1月にしては、猛暑だったので、からだに応える。そして、よく歩いたが、皆さん、無事に、日本に帰国でき、いや、ホッとした。

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役員

 今回の出張法座の間、気がかりなことがあった。町内会の役員改選である。役員後の猶予期間が終わり、選挙名簿に名前が出たからだ。すでに投票は終わって、この週末、華光会館で開票作業がある。三役は覚悟している。ただ町会長だけは勘弁してもらいたい。平日ならばお手伝いはまったく厭わないのだが、町会長になると、さまざまな会合が週末に入ってくるからだ。前回は、父が元気だったので会長でも、なんとかやくりくも出来たが、一昨年からは週末は目一杯法座がある。幸い同年度に会長の適任者もおられるので、なんとか会長だけは外れほしいと願っていた。

 高山から戻ると、メモがあった。
 副会長である。

 やれやれと胸をなで下ろした。開票結果も届く。顔ぶれは予想通り。会長が26票、ぼくが23票と、わずかの差しかなかった。いやー、あぶないところだった。法座も、予めこのことを見越して、金・土曜など工夫もてしているが、多少の影響もでるだろう。

 今生事のお付き合いもたいへんである。

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連戦~広島支部法座~

 高山から京都で途中下車して、広島法座に向かう。
 今回の広島法座は、いつもと少し違うスタイルで行った。
 だいたいは、法話(60~90分)の後は、自由に座談会を行う。ただ広島は、人数も多くて一巡すれば時間切れになったり、誰か一人に集中して終わってしまうこともある。1時~5時の4時間の法座では、なかなか深めていくとうことは難しい。

 今回は、法話と座談会の区分をなくして、最初から車座に座り、法話をしながら皆さんに問い、また皆さんからの問いに答えて進行するという形式にした。

 取り上げるのは、『歎異抄』十一章。味読し、現代語や解説も詳しく交えてはいくが、けっして講義とか勉強ではない。要は、ひとりひとりが、結局、私は何を信じているのかを突き詰めて問う、とてもいい機会になったのではないか。歎異抄か生まれてきた背景や、では正意とは何か、異義とは何か、なぜ、私が喜びが真実信心と言えるのか。単なる個人の心理的体験でも、また主観でもなく、また権力(教権)からのお墨付きでもなく、真実だと言い切れるのはなぜなのか。そこを、正解を教えてもらうのでもなく、皆さんの心に、さまざまな疑問や問いかけが残る形で進んだ。ひとりひとりが考え、答え、また歎異抄にあたることで、皆さんの心に一筋の爪痕でも残った、そんな法座になったのではないかと、その成果を、自負している。

 来週の東京や、北陸法座などでも、しばらくこの形式で行っていこう。お楽しみに!

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連戦~高山支部法座~

 例年、春の彼岸の連休は、講習会だ。でもその日程では、3連休のうち1日が無駄になる。それで、今年は、3日間の有効利用を考えて、講習会を1週間早め、この連休は、土曜・日曜日は高山支部法座、月曜の振替休みは広島支部法座と、高山-広島と連戦することにした。

Img_3305 先の講習会への参加がほとんどなかったので、歎異抄の教材をもとに法話をするつもりで考えていた。
 が、現地について、新しい方の参加があると聞いて、一から考え直すことにした。
 というのも、その方とは、12、3年ぶりに会うのだが、その時、彼女は、まだ小学校に入る前くらいだった。それが、今年の4月からは、大学生になるというのである。
Img_3307すっかり大人になっていて、びっくりした。彼女も、ぼくのことを覚えてくれていてうれしかった。ほかにも、高校生になる方や、学生世代の方が3名あった。それぞれ4月から高校入学、大学入学である。

 先の寒中子供大会で法話した、自分を知るをテーマに、「あなたは誰ですか」のワークなどを行ったが、おかけで、座談会でも活発に意見が出た。ちなみに最高年齢は、98歳! 一番若い方が15歳というのだから、年齢差は83歳もある。孫どころか、曾孫である。それが、一緒の法話を聞き、同じようにゲーム(ワーク)に参加して、それぞれが意見を述べてくれImg_3312たが、それが飾らないの、個々人の一面が現れてくるようで、とても面白かった。

 午後からは、「仏教とは何か」という問いから、「仏に成る教え」-では「仏」とは? 皆さんに問いながら進め、最後に、阿弥陀様の智慧と慈悲の円満した広大なお心に触れていただいた。

 若い皆さんが、ほんとにう真剣に聞き、答えてくれる姿に、こちらが励まされ、ご法話も熱が入ってきたように思えた。皆さんから、新しい教材のヒントをいただき感謝しています。

 それにしても、若いということは、その可能性だけでも、まぶしいものだな。

 F家の前を流れる宮川も、春の日差しにきらきらしていた。

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ひったくり

 今日も朝から来客が続いた。
 故障した電話の対応で業者と確認の電話をしていたら、書道教室の生徒さんが、父が亡くなったことを聞きつけお悔やみにお出でくださる。その合間に、印刷業者への華光誌を渡しもすませる。これで一安心。午後には、4月からの新しい事務(PC関係)の方の面接。来週にも引き継ぎのためにきていただくことになった。Rちゃんの同級生だが、外部の方。それでも、いろいろと浅からぬご因縁がある由緒あるのでお寺の方でびっくりした(そのことにはまたぼちぼちと触れていきます)。でも、ここまでなら記事にすることもない、日常業務である。

 慌ただしい1日も、一段落した4時前、ヘルメット姿の警察官が訪ねてきた。
「防犯カメラはありますか」
 別に、カメラの設営を調べるためではない。前の道でひったくり事件が起こったので、犯人が写っていないか確認に来られたのである。
 その時間は、事務所にいたが、そんなことがあったとは、まったく気付かなかった。ご近所でひったくりとは穏やかなことではない。しかもである。

 前の道といっても、実は華光会館の前で、その被害者がピアノ教室の生徒さんのお母さんだったことが、分かってきたのだ。今日は、ピアノ教室で、子供たちを送る日である。後ろからバイクに乗った外国人と思われる男に、バックを引っ張られて、その弾みで自分も引きずられて、頭や手、足にケガをされ、松葉杖ついて、現場検証をされている。バックは無事だったが、ひったくりが傷害事件になったので、警察も入れ代わり立ち代わり、何度も同じ質問をされ、被害者の方も痛いからだで、大変である。

 白昼堂々、家の前で、しかもまだお若い、知り合い方が被害者というので、果然、人事ではなくなってきた。

 会館の戸締りが厳重になったのは、言うまでもない。 

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『カール・ロジャーズ』

 3年間かけて、ブライアント・ソーン著の『カール・ロジャーズ』を味読してきた。監訳者の諸富先生によると、本著は、世界でもっともよく読まれているカール・ロジャーズのそしてクライエント中心療法に関する入門書であり、本書によって、ロジャーズのエッセンスが正しく理解されることを願って刊行されたという。幸い、研究会には、本著の翻訳者の皆さんと一緒に、イギリスでブライアント・ソーン氏のワークショップに参加された方も参加いただけた。

が、入門書というものの、けっしてやさしいものではない。翻訳のせいなのか、かなりわかりづらい表現も多いので、読みこなすのに苦労した。また、ロジャーズの言葉と、著者の見解が入り交じっているので、ロジャーズが言っているか、ソーン氏が言っているのかが、わかりずらい個所が多かった。それに、1冊の中に、ロジャーズの個人史、理論の概観、実績と、その影響、そして批判に、その批判に対する反論が収めているので(これだけ多岐にわたると仕方ないことだが)、総花的になって、読む側にすると説明不足でよく分からないという思いが強く残ってしまった。特に、本書を選んだのは、晩年のスピリチュアルな側面にこそ、ロジャーズの理論や実践の核心があるという視点に、興味をもったが、正直、そこが一番わかりずらかった。

 その中で、個人的には、第1章のロジャーズの生涯を追うことで、ロジャーズ自身が、真に自己自身になっていくプロセスは、一緒に彼と人生を旅をしているかのようで、ある種、感動的でもあった。

 5月からは、西光先生の本を予定している。

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電話不通の顛末

ここ数日間、オリックスとソフトバンクに、何度も連絡した。
別に、プロ野球とは関係はない。電話のことである。

火曜日の夕方まで電話は通じていた。後で分かったが、夜から電話が通じなくなった。こちらが気付いたのは、水曜日の朝。まったくつながらない。発信音もない。内線は通じているので、電話機の故障ではない。この界隈でも故障の報告はない。その時、ぼくは留守にしていて、事務所で大騒ぎして、対応してくれた。NTTに連絡したが、ここではないといわれる。少し前にソフトバンクに乗り換えたのである。すぐソフトバンクに連絡したが、修理は夕方になる。回線を分けている分波器がダメになっているのが、すぐに分かった。回線の故障ではなく、回線を分ける分波器の故障なので、ソフトバンクでは修理はできないといわれた。

こうなる厄介だ。分波器は、オリックスからレンタルしている。連絡を入れたが、再リースで、故障すれば、契約終了だという返事。では、もともと契約した会社に連絡してみたが、すでにの無くなっている。では、分派器を購入しようと、ネットを調べたがヒットしない。大手の家電量販店に連絡したが、どこにも扱っていない。結局、またソフトバンクに連絡した。対応できないと言われたが、事情を話している内に、代理店を紹介してもらうことになった。木曜日に、その代理店と連絡がつき、部品を取り寄せてもらって、金曜日の昼過ぎに、やっと修理が完了した。工事そのものは、あっという間に終わった。

後は、レンタルの故障機の返却手続きだ。オリックスに連絡が付いたので、今は書類待ちである。

結局、火曜日の夜から金曜日の夕方まで、電話が不通だった。こんな時、携帯がないのは不自由である。上手い具合にRちゃんが出勤中で、彼女のスマホがあるので助かった。さまざまな業者の連絡をお願いできたし、電話の転送サービスを受けたので、どうにか大丈夫だった。

でも悪いことばかりじゃない。この3日間は、電話がかかってこないのが分かっていたので、気分的にとても落ち着く。ほんとうに緊急の用なら、メールなり、FAX(これは大丈夫)なりで、なんとかして連絡をつけるからだ。

ぼくが携帯をもちたくないのも、このあたりにあるのかもしれないなーと。

いまは、不通から、普通になっています。ご迷惑をおかけしました。

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華光誌編集中

 講習会もおわり、一息尽きたいところだが、中断していた華光誌の編集作業に入る。9割方は終わっているが、「聖教のこころ」と「後記」、そして数行のウメの記事が残っている。聖教は、歎異抄11章を取り上げて、3回に分けて味わいすることにした。夕方に、すべての原稿が揃った。
 明日、明後日で、最終校正をして、余裕をもって印刷所に渡すことができそうだ。

 今号の誌上法話は、一年前の永代経の法座での法話。父の最後の分級座談会での、「空しい~」の「ご説法」を取り上げた。あの時、あの部屋にいた20名足らずの内、父を含めて、その3ケ月後、8、9月と立て続けに3名も往生された。空しい人生の中で、唯、愁嘆の声聞くばかりであったが、この度は、ほんとうに実のある南無阿弥陀仏の呼び声を聞かせていただくのである。

 体験記も新規で2名の方が始まる。一人は、寺院出身者(しかも長男)でありながら、寺院を飛び出しておられる。もう一人は、大学時代にある会から真宗に出会った方で、めぐりめぐって、いまは、僧籍をとられている。その意味では、仏法の取り組みもまったく違い、経過も違うお二人だが、最後は、同じ本願念仏に出会われるというのだから、不思議である。共にぼくにとって、浅からぬご因縁の方である。次号以降が、また楽しみである。
 特集は、カンボジアの感想集。仏跡とはまた違うが、それぞれがお味わいを寄せていただいた。現地に立たねば味わえない貴重な体験をさせていただいた。

 発送は、4月1日の予定だが、どうぞ、お楽しみに。

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充実した講習会

 歎異抄の講習会も、第3回目。
 なぜか、例年以上に参加者が少ない。宿泊もパラパラという状況。講習会というと、勉強会。教義や教学の学習というイメージがあるのか、敬遠される方もある。今回、声かけをしたベテラン同人でも、「勉強は、もういいかという思いです」と、ハッキリ断れた方がある。〆切後も、呼びかけをしてもらって、ボチボチと増えてきた。地元の京都の方が案外多く、広島からは参加はないが、あとは各支部の代表という形で、アメリカ同人もお出でくださった。

 準備が済んでいるので、あとは楽だが、できれば独りよがりにならないで、皆さんとのうまく歯車がかみ合うようにすすめていかねばならない。

 座席も講義形式ではなく、コの字型に座って、これまでのように小グループでの分かち合いや感想の時間をもちたいと願っていた。残念ながら、時間的にも、内容的にもそれは難しく、こちらから全体に投げかけて答えるという形になった。

 今回は、別序から11、12、13章だが、これまで2回でいただいた序章~10章よりも、分量が多い。どの章も長くて、最初に異義、そして端的に批判し、そのあと主題の歎異があって、ここで終わったらまだ分かりやすいが、そのあと別視点から第二、第三の歎異が続くので、その関係が、難しく、混乱されたりもした。第一、古文の文章に馴れていないと、戸惑うこともあったようだ。

 それでも、2日間、たっぶりと歎異抄の世界にしたることができた。
 講義だけでなく、いつものようなご法話にもなり、結局、何を頼りにお聞かせに預かっているのか、なぜ、真実信心と言えるのかを常に意識しながら、この3章を聞いていただいた。

 帰り際、「すばらしかったです!」と一言、感想を言ってくださった方があったが、皆さんも、詳しく説明しろと言われると困られるだろうが、唯円房の歎異抄を通して、広大な阿弥陀様のお働きに触れてもらえた、充実の2日間だったと思う。

 ご参加の皆様ありがとうございました。

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母の想い、子の想い

  華光誌の作業もあったが、この4日間は、歎異抄のレジュメ作りに専念した。朝早起きしたり、夜遅くまで頑張って、なんとか前日の午前3時に完了。ちょっと凝りすぎたかとも思ったが、やればやるほど面白い。結局、自分のためである。

 気分は、完全に明日の講義に向かっている。が、午前中には、用事を入れている。たいへんなことは、初めから分かっていたのだが、お断りしなかったのは、何か大切なご縁がうまれる予感もしたからだ。ただ、頭も気持ちも歎異抄モードなので、切り替えが難しかった。

 来館者は華光同人の方ではない。が、先日のご法話を聞かれて、これまで子供たちに、大切な仏法のご縁、少なくとも自分が喜んできた念仏の教えについて伝えていかねばならないと思われたという。たえとば、ぼくなら、父や母から、後生の一大事の解決、親も子もない。一人一人が、阿弥陀様に会わなければ、一人またこの生死の苦海を迷い続けねばならないことを教えられきたが、そんなことも一度も話していないという。また、自分が死んだら、別に葬式も不要だと思っていたが、先日のご法話で、それではせっかくの子供たちの法縁の芽をつぶしかねないということに、初めて心を及んだというのである。

 各地におられるお子さんが、その講習会の日時に、京都に集う予定があって、土曜日の午前中がよいとのことだが、ぼくも、その時なら時間はとれる。
 お母様のお気持ちはよく分かったが、肝心なのは、お子さんたちがどう考えておられるである。もし、嫌々だったり、付き合いで引っ張られてきてのなら、逆効果になることも往々にしてあるからだ。案の定、3人でお出でになるのが、一人減っている。

 まずはお母様のお気持ち、お子さんのお気持ちをお聞きするのが一番である。それだけで終わってもいいと思っていたが、予想外というか、まったく法話をなどを聞いたことがないという息子さんが、積極的で反応がいい。お母様の発言も、すこしズレ(法話の話題になる話が満載だった)ているところもあって、逆にその問いから導き出され、話しやすかった。

 第13章の勉強を終わったばかりだったので、業縁ということに触れたり、そこから阿弥陀様の願いやその阿弥陀様のお目あてが誰にあるのかを聞いてもらった。うれしいことに熱心に聞いてくださると、こららも話しやすく、熱が入ってくる。気がつくと約束の時間を過ぎていた。

 最後に感想を分かち合ったとき、彼は声を詰まらせて、目から涙がこぼれていた。
 まだまだ聞法の緒ではあるが、子を思う母親の願いを通じて、阿弥陀様のお心のほんの一端でも通じたしたなら、こんな有り難いことはない。
 いいご縁でした。

 

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谷書房

初めから分かっていたことが、今月は、華光誌の編集作業と、講習会の準備が重なっている。やはり2日間、たっぷり一人で講義する講習会は、レジュメの準備がたいへんだ。
講習会当日の午前中には、別件のご示談の予定も入っている。

Img_3295本願寺出版から出でいる「現代訳本」を購入するために、本願寺のブックセンターに向かった。信号待ちで、七条堀川角の谷書店の前に留まって、わざわざ本山まで行かずともいいのだ。少し割引があるし、堀り出しものもあれば、オトクな本もある。最近は、法蔵館での2割引を利用する機会が多いので、ほとんどお世話にならないでいたが、これまでの縁で少しは華光のことはご存じだ。お目当ての本の他に、「大乗起信論」の簡潔な解説書も購入した。
領収書をお願いして、華光会となのると、

「ああ。はいはい。いつもお世話になっています」と、ここまで予想どおり。ところが、ここからはまったく予想していなかった話になる。
「福岡のYさんご存じですよね」
「はあ、よく知っておりますが?」
「ヤマザキイズムを、毎月、楽しみにしているんですね。会計士さんで、大学院にも行っておられるんですね。よく本も購入もしてくださいます」と。
そして、ちょうど手許にあって通信を見せてくださった。あらら、カンボジアに行った号じゃないですか、、。

まあ、たったそれだけのことなんだければ、なんかしならないけど、こちらがまったく知らない方に、よく知られていて、ちょっと照れ臭かったです。

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カンボジア紀行(7)~コーケー遺跡群~

Img_2398  さて、プレアヴィヒア遺跡には、近くにレストランがないので、休憩所で持ち込んだお弁当を食べた。アンコールビールも、ジュースも1ドルだった。
 でも、この頃から、お腹の調子が悪かった。お腹が痛いとか、ひどいImg_2399下痢ではなく、下痢気味で、気持ちが悪いという感じだ。バスに揺られて気分もよくなかったのだImg_2457ろ。

  ここから、コーケー遺跡群までは、シェムリアップまでの戻る道になる。

 プレアヴィヒアにしてもImg_2407コーケーImg_2414にしても、遠方にあるので、観光客の姿は疎らになる。特にアジア系の団体客はなくなる。欧米の個人観光客とすれ違う程度である。静かに遺跡を見学できるし、雰囲気もいい。

Img_2423 まずコーケー遺跡群の「プラサート・トム」に着く。到着したらトイレに行こうと思っていたが、Img_2443あてが外れた。トイレは遠く、先に見学するという。まあ、なんとかなるだろうと歩き出した。この時は、キムさんの説明がやたら長く、辛かった。それでも、「このあたりはポルポトが最後の拠点にしていたところです」といった説明は、耳に残っている。回りは、ジャングルが静かに拡がっている。
Img_2433 朽ち果てた門などを通っImg_2413

て歩くうちに、巨大な七層のピラミッド型の遺跡が、突然視界に入った。

Img_2438_2圧巻だ。これまでの遺とは、また違う。

Img_2452 「これに登ります」と言われた。ヒェー。みんなからも「エー、登るの」という声。でも、ぼくはもちろん別の心配。まだまだ時間がかかりそうだ。みんなと離れて来た道を戻り、遠いトイレに走った。その後、皆さんに追いつくためImg_2462に、急ぎ足で戻った。長い急な階段を休みなく、一気に駆け上った。三度目の旅となる添乗の石田さんが、これほど健脚だと初めて知った。ぼくの方は、最後は息も上がり、足もフラフラしたが、どうにか一気Img_2470に登れた。昔は、祭壇やリンガがあったという。苦しくて、頂上を歩き回る余裕はなかった。すぐに、下に降りることになった。

Img_2447   次ぎに、移動して、リンガのある遺跡と、木々の根が祠堂(プラサットプラム)を覆う遺跡などを見学した。
 腹の調子はよくないが、下痢が続くことがなかったので、無事に見学することができた。いろいろと立て込むことが続いて、疲れがたまっていたのだろう。

Img_2191 それにしても、日本のトイレは、まったく最高だ。関空でウォシュッレトを使って、しみじみと思った。安心したのか、帰国後、1週間は、お腹の調子がずっと悪かった。こんなことが旅の印象とは、まさに泥凡夫。いやクソ坊主か。

http://krorma.com/ruins/koh_ker/
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梅の花を観ながら

 アメリカから同人Kさんが、来日中という連絡が入った。
 兵庫県日高同人の娘さんで、アメリカの華光同人のお宅に嫁がれているのである。
ほくも、訪米したおりには、ご自宅に泊めていただき、ご家族と一緒にディズニーランドに遊びに連れて行ってもらった。

  面白いエピソードのひとつを披露すると、小学校に入学前後の長男と、二人ですこし留守番をしていた。チャンバラごっこをして遊んだ。もともと子供と遊ぶのは得意なので、彼は喜んだ。チャンバラごっこはますます白熱し、興奮してきた彼は、突然、父親の部屋に入ると、「ホールド・アップ」と叫びながら、ほんものの拳銃を、至近距離から、ぼくに向けたのである。一瞬、血の気が引いた。冗談とはいえ、銃の暴発の事故は多い。幸い、すぐに止めることができた。父親に、こっぴどく叱られて、泣きじゃくったのはいうまでもない。

Img_3274出 来れば、京都観光のお連れしたいところだが、連れ合いは公演中で留守だし、ぼくも華光誌編集の最中で、講習会の準備もあって、数日は動けない。それで、聖典講座においでいただき、その後、母たちと4名で会食することにした。

Img_3280 お店には、梅がきれいに咲いていた。

「かりもんブログを見せてもらうのが楽しみです。悟朗先生の亡くなったことも、読ませてもらいました。」と言われた。
 そうなんだなー。遠く離れているからこそ、いろいろと華光の法座Img_3294や、身辺のことに関心をもってご覧いただけるようである。

 先日も、他のアメリカ同人からも応援をいただいた。その方は、更新があろうが、なかろうが、毎日チェックしてくださるというのである。写真も褒めてくださって、素直にうれしかった。

 すごく単純ですが、頑張って続けようと思った次第です。

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3月の聖典講座~自利利他円満の徳~

 月1回の聖典講座も、『大無量寿経』にはいって、2年目が経つ。「如来浄土の因果」「衆生往生の因果」と進んで、今回は「衆生往生の果」の最終回にあたる。来年度(4月)からは、場面が転換し「釈尊の勧誡」に入るので、ちょうどきりもいい。
 ほんとうは、前回、一気に「衆生往生の果」を終えるつもりだったが、さすがに無理だった。
 今回は、衆生が弥陀の浄土に往生し、聖者(菩薩)として受ける果報(果徳)が広く説かれる「衆生往生の果」を、大きく五段に分科するうち、(4)説法自在の徳と、(5)自利利他の徳を窺っていった。本願寺註釈坂聖典なら【三十】のところである。

  (4)説法自在の徳は、第25願成就文である。諸仏や本師仏から聴聞した往生者の説法も、阿弥陀如来の仏の智慧に相応し、執着の心なく、慈悲の心をもって、自在であることが述べられる。第二十五願は、説一切智の願で、「あらゆる知識を演説させよう」という願文。二十九・三十願も関連する。
   一方、その内容から、第十願成就文とも窺える。六神通の最後で、漏尽通の願とも、不貪計心の願ともいわれる。一見、説法自在の徳とは、無関係のように思えるが、阿弥陀如来や諸仏から自由自在に聴聞して、また自由自在に説法することができるその境地の静けさは、まさに不貪計心である。その心境の尊さに、みな心打たれた。思わず、「これはどんな心ですか」という質問がでるほどだった。

   (5)は、自利利他の徳について述べれている。
  まず、自ら利益すること(自利)の行と、他の衆生利益すること(利他)の行の二徳を述べて、さらに二行の徳の円満が述べられる。
  次いで、さまざまな譬喩をもって、自利・利他の徳を讃える一段。「最初~蓮の花」まで が自利の徳、「大きな乗り物~最後」までが利他の徳と分類できる。
  そして、二利の徳にちなみ、特に利他の中から説法の徳をあげる一段が続き、
  最後に、結び(結歎)として、当面は、菩薩の自利利他の徳を結び、広くは、往生の果全体を結んで褒められるとみることができる。最後は、そのお徳は、「百千万劫かけても説き尽くせない」のだと結ばれていく。

  以上で、衆生往生の果が終わると共に、「如来浄土の因果」「衆生往生の因果」が説き終わった。 これ以降は、阿難尊者から弥勒菩薩へと主聴衆に代わり、「釈尊の勧誡」がはじまっていく。

  講義の最後に、「説法自在の徳、自利利他の徳」を声に出して通して読んだ。来月の予告として、「貪欲」の一部の「有田有宅」の部分も、引き続いて読んだ。すると、あまりにも自分の姿、人生の実相に触れて、あちこちから笑い声か聞こえてきた。如来(浄土の聖衆)と凡夫の比べることがことができないほどの境地が違うのである。
  ほんとうに自利利他円満した行は、南無阿弥陀仏である。今回、輪読した世界は、まさに南無阿弥陀仏のおこころそのものである。しかも、親の宝は、子の宝だ。泥凡夫の私が南無阿弥陀仏のお力で、浄土に往生したならば、南無阿弥陀仏となって働かせていただくのである。こんな不思議があろうか。

★次回=4月10日(日)昼1時30分~5時
 「釈尊の勧誡」に入ります。

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3月の東海支部法座

 12月、1月と東海支部法座の出講が続いた。

 仏教一般で言う、葬儀のあとの七、七の法要、四十九日法要の意味に触れながら、浄土真宗での法事、法要の意義を窺った。これは、各支部でお話申しているが、大半の方が、意味も分からずに法要されているので、関心を持って聞いてくださる。しかし、本題は、葬儀の時にあがる添引和讃でもある「本願力にあひぬれば、むなしくすぐるひとぞなき」の「本願力にあう」というところを聞いていただいた。

 30名弱が車座になって、座談会をおこなう。会場の都合で、70分ほどしかない。もし一人一人に尋ねっていったらそれだけで終わってしまう。といわうで、ご自由にということになった。初参加者が一人あったが、あとは、いつもの顔なじみのメンバーだが、これだけの人数がいると、なかなか自由に発言できないという話が、あとの懇親会で出た。確かにそうであろう。貴重な時間なので、何か大切な質問したり、信仰上の疑問を出したり、もしくはご示談のような場面を想像する。または、初めての方やご縁の浅い方の時間だという遠慮もおこる。結局、みんなが黙ったままだったり、話しづらい雰囲気となって、誰かの個人的な話を長時間聞いて、終わってしまうこともある。下手をすると、その話題が、みんなの関心や興味がない場合もある。
 もし特に話題がないのなら、思い切って法話を分かち合う時間に限定してはどうかと思った。最近、何かを分かち合い、共有しあうことの大切さをつくづく思う。形式的に回して、なおざりに(当たり障りのないことを)一言話して終わりというのではなく、しっかり分かち合うのである。これがもともとの原点だったはず。ただ体験して、誰にも話さず、共有することがなかったら、どんどん忘れ去って、もしくは新しい経験が上書きされて忘れ去られるのでは、勿体ないのではないか。

 その分、皆さんも、緊張感をもって、ご法話を拝聴しなければならないだろう。
 次回の高山や広島から実践してみたい。

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お祝い

4月から新年度として始まる、「真宗カウンセリング」パンフレットが完成してきた。

パンフレットの受けりと、打ち合わせを兼ねて世話人が来館される。

Img_3267「おめでとうございます」と花束を渡された。
おもわず「なんでか?」とおもわず尋ねてしまう。
「なんですかって、ご結婚のお祝いです。たんへん遅くなりました」。
ああ、もう1年以上の前のことで、その間に父の葬儀などいろいろなことがあって、まったく過去の話になっている。それと、申し訳ないという気持ちもあって、おもわず、
「もう以前のことなので、いなさらって(すみませんという)感じですImg_3269が」と言ってしまった。
ああ、(すみません)がなくて、ちょっと不適切な表現になってしまった。
要は「申し訳ありません。もう昔のことなので、気をつかってもらわなくていいですよ」ということなんですが。

すると、「花が、奇数になって悪かったですね」。

うーん、こんな時は「対」ということで、偶数がいいですね。門徒物知らず、勉強になりました。
とても立派な花束で、玄関に飾られてもらっています。

ありがとうございました。
Img_3265

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カンボジア紀行(6)プレアヴィヒア遺跡

Img_2202 今日は遠出をして、タイ国境にある世界遺産、プレアヴィヒア遺跡に向かう。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%A2%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%92%E3%82%A2%E5%AF%BA%E9%99%A2

  田舎の風景を見ながら車で3時間ほど走った。遺跡のある山が見えてきたこと、突然、車中に砂ぼこりが充満し、あわせてマImg_2208スクをつける。このあと、ジープ(実際は、トヨタの四輪駆動車)の荷台に乗り換えて、急坂を登っていく。

Img_2210 ガイドのキムさんが笑いながら「日本人は、高いところと、少し危ないところが好きでImg_2229す」と言っていたが、ここはその両方兼ねている。

 が、ぼくの読んだカンボジアのガイドブックには、世界遺産にも関わらず掲載されていImg_2232ない。Img_2376_3もうひとつのものには、タイ名の「カオプラヴィハーン遺跡」として、「現在、カンボジアからは行く手段がなくタイ国境から入ります」と説明されている。
 もともとはカンボジア領であったが、第2次世界大戰の時、日本に占領された時に、日本とのImg_2269同盟国であったタイに割Img_2236譲されたということであった。その後、2011年まで国境紛争が続いてたが、ごく最近になって、カンボジア領に確定したというのである。今は、タイ人の入場が制限されていて、ここに入るのに、パスボートの提示が必要だった。

 途中には、塹壕や防空壕Img_2262が点在Img_2312していた。紛争が終わったので、表面的には兵士の格好はせず、銃ももっていないが、国境警備のために、タイ領を観察する兵士もいた。いまは平服だが、一端ことがあれば、みな兵士になるのだと聞いた。長閑なのは、少しお金を払うと、望遠鏡を覗かせてくImg_2331_2れた。
 同時に、ボルボト時代には、大量の地雷があった地区で、(まず地Img_2230雷を見つけ、そこに印をつけ、そして撤Img_2306去する)地雷のどくろマークや、フランスの力を得てこの地区の地雷が撤去されたという看板もあった。中国からの大量に入った安価な地雷は、3ドルほどで大量に埋められている。しか、ひとつを撤去するにも、何百ドルもかかるので、政府の力で無理のなので、外国のNPOに頼っているのが現実だという。しかImg_2324も、対人地雷なのだが、殺すのではなく、片足を失い障がい者とてっな足手まといにさせることが目的だという。運悪く両足を失ったりすると、家族一同に待つのは悲劇しかないと、キムさんが深刻な話をサラリと話していた。
Img_2325 実際に各地の寺院で、地雷で足や視力を失った人達が、楽器演奏をしながら施しを受けていた。

 山の頂上にある遺跡は、広大だった。崩れかけた箇所を補修しながら、復元が難しいものはそのまま放置されている。四つの楼閣を通り、700MImg_2360ほどの頂上にある本堂に着く。本堂の中は入場できなかった。が、外からお坊さんかお祈りをしているのが見えた。なんでも、現世祈祷のまじないがおこなわれているのだといImg_2355う。

山の反対側につくと、カンボジア側は絶壁となっImg_2364ていいて、カンボジア平野が拡がっていた。写真で、すこしモヤで霞んでいるが、実際は壮大な眺めだった。なによりも、日本のように危険を知らせる柵などなく、ただゆImg_2348るいロープがぎりぎりのところにはってあるだけだ。絶壁の下を覗くのは、迫力があった。

 青空と、芝生の緑、そして広々とした開放感の遺跡で、これまでのアンコール遺跡群とは、少し異なる雰囲気があった。
 それにしても、ここもまたすいぶん山登りで歩いたなー。http://krorma.com/ruins/preah_vihear/

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『ディーパンの闘い』

 2月に連続で観たぼく好みの良質の映画の紹介。
  3本目は、昨年のカンヌの最高賞を受賞した『ディーパンの闘い』
 ただ、最後が急にヒーロー物のようになってしまうのが、気に食わない。もちろん、彼の素性が明かにるなどの伏線があってのことだけれど。
 いま、世界の喫緊の課題に、難民問題がある。この映画は、シリアからの難民がヨーロッパに大量に押し寄せる前の作品なので、その分、インパクトは強い。しかも、スリランカからの難民というテーマは、まったく予想外だった。映画でその背景にあるスリランカ内戦については、詳しく触れているわけではないが、いろいろと知る機会にはなった。
 カンボジア旅行中、添乗員からウズベキスタンの旅を勧めれた。ぼくは、スリランカに行きたいと思たりしている。しかし、スリランカの現状については、何も知らなかった。
 スリランカは敬虔な仏教国である。7割近い多数派のシンハラ系の住民は、仏教徒である。伝説では、ブッダ在世中ということになるが、実際は、アショカー王による伝播で、それだけの長い歴史と伝統がある。ところが、すべてが仏教徒というわけではない。主なものだけで3つの民族と、3つの宗教が混雑する多民族国家なのだ。その背景のひとつには、スリランカはセイロン・ティーでも有名だが、これが関係している。英国統治時代、安価の労働力として、インド南部の貧困地帯から、タミル族を連行してきた。彼らは、タミル語を使うヒィンズー教徒で、おおよそ人口の2割を占めている。そのほかにも、イスラム教徒であるムスリムが1割程ある。しかも、英国統治時代は、タミルなどの少数民族を優遇して、多数民族を統治した歴史がある(統治の常套手段。不満は、宗主国より、目の前の権力側の少数民族に向く)。独立後、多数派が実権を握ると、これまでの鬱憤を晴らすかのように、少数民族が冷遇されるようになる。すると、タミル側は、反政府勢力となって分離独立運動がおこり、内戦が続いた。タミルの虎である。紛争が完全に終結したは、ほんとうにごく最近のことである。

 紛争中は、日本でも報道されていたが、一般には関心は持たれていない。内戦終結はしったいが、こんな悲惨な難民が生まれているとは、完全に頭になかった。難民キャンプといっても、実際は、何の援助が届かない。餓死か伝染病での病死を多くの人達が、絶望し、「死」を待つ場所となっている。
 そのキャンプで、家族を失った男と、家族を殺された若い女と、孤児となって娘が、死者のパスボートを利用するために、疑似家族となり、パリに入国する話だ。ほんとうは、いろいろな困難があったのだろうが、入国までのトラブルは描かれず、物語は、同じ組織の縁で難民申請がとおり、バリ郊外の犯罪地区のアパートの管理人としての仕事を得てからの顛末が、主に描かれている。
 ここもまた、先進国でありながら、落ちこぼれた移民の子どもたちが、麻薬などを扱う犯罪者や、貧困者の掃き溜めとなっている場所だった。

 そこで、外からは家族のように見えるが、まったく他人同士である、大きな悲しみを抱えた3人が、反発しあい、学校や仕事で困難に直面し、時にはほんとうの家族のように寄り添ってみたり、また他人に逆戻りをしながら、ほんとうの家族になっていこうとする物語である。同時に、難民の問題に加えて、移民の子供たら-貧困層の若者が抱える問題にも触れる社会派ドラマ。

 貧しくとも、家族との平和で、穏やかな、安らぎを得ることは、罪になるのだろうか。

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講習会のお誘い

 第40回目の節目の講習会は、歎異抄への世界と題する、第3回目だ

 歎異抄は、前半の聖語篇と、後半の異義篇に分かれる。前回までで、聖語篇が終わったので、今回は、異義篇に入る。逆にいうと、前回まで不参加の方でも、今回かは、また新たなお気持ちでご参加いただける。特に今回は、第十一章(誓名別信章)、第十二章(学解念仏章)、第十三章(禁誇本願章)の三章を、2日間かけて取り上げる予定だ。これらは、前半の聖語篇の第一章、第二章、第三章にも対応するところで、後半八章のハイライトと言っていい章だ。それらの構造や関係なども窺うが、本文にもきらりと光る文章も多い。たとえば,

「誓願の不思議によりて、やすくたもち、となへやすき名号を案じいだしたまひて、この名字をとなへんものをむかへとらんと御約束あることなれば」(第十一章)

「本願を信じ念仏を申さば仏になる」(第十二章)

「さるべき業縁もよほさば、いかなるふるまひもすべし」(第十三章)

といったお言葉も、聖語して、じっくり味わていきたい。

 宿泊も少ないし、参加者も、例年よりもまだ少ない。締め切り日をすぎたが、ご参加は、まだまだ大丈夫なので、どうぞ、奮ってご参加ください。少人数なので、座談会が苦手な方、皆さんともっと近づきたい方などに最適です。

http://keko-kai.la.coocan.jp/event/2016/detail/03/koshukai2016-3.htm

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