四十八願のこころ(10)第十九願文
「たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、菩提心を発し、もろもろの功徳を修して、至心発願してわが国に生ぜんと欲せん。寿終るときに臨んで、たとひ大衆と囲繞してその人の前に現ぜずは、正覚を取らじ。」(第十九願・修諸功徳の願)
「わたくし法蔵が仏になるとき、全宇宙の生きとし生きる者が、さとりを求める心を起し、さまざまな功徳を積み、心の底からわが国に生まれたいと願うのなら、その命が終わる時に、わたくしは多くの聖者たちと共に、その人の前に現れて浄土に迎えましょう。もしそうでなければ、わたくしは決してさとりを開きません。」
四十八願の中で、すべての人々をお浄土に生まれさせたいと、「十方の衆生よ」と呼びかけておられる願は、十八願、十九願、二十願の三願しかありません。阿弥陀様が、私たちに直接、働きかけてくださる願いです。つまり私たちがお浄土へ生まれるには、三つの道をご用意くださいました。
この第十九願は、菩提心-真心から仏になりたいという心で、さまざまな善行を自分の力で励み続け、そして阿弥陀様の浄土に生まれようとする者を、その臨終の時に、聖者方と一緒にその前に現れて救うと誓われています。
ご本願、第十八願は、極重悪人の私をそのまま救いたいという大悲のお心から出ました。阿弥陀様のご本心は、その十八願ひとつで、すべての人を救いたい。そのための五劫のご思案や兆載永劫のご修行でありました。にもかかわらず、第十九願では、善人のためのお救いも用意されました。それはなぜかというと、この私が、自分は善人で、正しく、能力があると、自惚れているからです。たとえ悪人を救うと言われても、悪人が人事としか聞こえない。そんな善人も、必ず救いたいと、臨終来迎まで誓われたのです。「善人で力がある」と自惚れる私に、「お前は特別待遇だよ」と誓うことで、身の程知らずの私のプライドを傷つけず、なんとか真実の第十八願に誘引したいがための、これもまた深い深い大悲のお心から起こったのです。もしその親心を聞き、私の本当の姿を知ったなら、わが力を励む第十九願には留まってはいられませんね。南無阿弥陀仏
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