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東京支部法座~新しい試み~

  東京支部法座は、毎回、その法座の担当者(世話人)が代わって、お世話するシステムだ。これは、とてもいい制度だと思うし、積極的に担当者が手を挙げておられる様子だ。
 今回は、初めてTさんがお世話役だった。そのTさんから事前に連絡をいただいた。今回の法座に際して、2点要望があるという。こんなことは、滅多にない。だいたい、おまかせというか、受け身がほとんどだ。
 ひとつは、ひとりでも発言の機会が増えるように、座談会を2つに分けて、分級座談にしてほしいということ。
 これは、これまでも機会あれば、東京支部ではやってきたことで、ぼくも大賛成だ。司会役の方も、力をつけることができる。もう一部屋確保できるのなら、分級座談会をもつことになった。
 もうひとつは、いつも先生がもってきた話題をお聞きして、分級座談会で味わい、それから各自の問題を話題にしていくが、初めから参加者の問題や要望を聞いて、それを中心に、お話をしてもらえないかということだった。質疑応答はあっても、法話のお題なり、聞きたいことを先に出してもらって、それをもとに法話するというのは、新しいし、面白いと思った。この時点で、特別テーマはなかったが、夜座は、この形式でやってみようということになった。

 一問一答とはせずに、聞きたいこと、疑問点、法話のテーマなどを、その場でいろいろと尋ねた。それを板書して、それに関連しながら、答えたり、法話をする形をとった。これが、ぼくにとてっも、皆さんにとっても面白いものとなった。

 大半の方は、黙っておられたが、まだご縁が浅く(他の会での聴聞歴は長い)、今回が報恩講に続いて2回目という方が、何名かおられた。その方々から、自己の心境を語りながら、聞法や求道の不審点が次々とだされた。ほんの一部だが、たとえば、「聴聞を重ねていくうちに、自力の心は無くなるものですか」とか、「聴聞をしている時は、阿弥陀様の広大なお心に触れて、涙溢れるほど勿体なく思う。しかし、それほどの尊いご方なのに、御恩報謝の心が起こってこないのはなぜか」とか、「如来様のおこころを聞けといわれるが、すぐに我が心を問題にしてしまう。どうすれば、仏様のお心が聞けるか」、「喜べないのは、仏願の生起・本末を聞くといううち、我が自性、つまり生起が聞けていないからなのか」とか、または「信前は勤行もし、念仏も励んだのに、いまは、気楽になりすぎて御恩報謝の念仏も怠り気味になる。どうすればいいか」といった質問が寄せられた。

 質問の後、1時間以上かけてお応えしていった。結局、みんな、我が心の善し悪しを問題にして、悪しの心をなんとかしようという問いばかりであった。血で血を洗うことができないように、自力で自力を計らうことはできないのだが、未信の時は、それしか聴聞の手立てはないので、みんな、わが心を頼りに、わが心の変化を頼りに聞いていく。ほんとうは、あれこれ心の出来不出来の詮索をやめて、頭を垂れ、おのれ心をむなしくして、「ああ、そうですか」と聞いていきしかないのだが、これがどうやら一番難しいようだ。
 どうやら、凡夫はすぐに手応えがほしいし、有り難い心境や念仏といった、おのれの証拠を握りたいようである。少しでも心に変化があると、いい法座ということになるようだ。

 今回、ひとりぐらい、広大な仏徳を讃嘆する話題がでてもよかったが、(自称)獲信者が、黙っておられたのではいかし方なしたか。

 でも、おかけで、いろいろと話させていただいた。あとの懇親会までも、分級座談会のように、たっぷりとご法の話題が続いた。問われることは、まだまだ未熟な点が多いが、真剣に求められるる方がおられると法座は、活気づくようである。いいご法座になりました。

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