京都支部法座
法話は、『往生要集』の等活地獄について。もっとも、すんぶんそれ以外のことも話した。最近読んだ、『本願寺白熱教室』という本から刺激を受けたことにも触れたからだ。要は、三世因果や後生の一大事が影を潜めている現状を嘆いてのこと。
法話と座談の後で、カンボジア旅行のスライド・ショー。写真を絞ったつもりたが、上映に75分ほどかかって、最後はかなり飛ばした。
いつものことだが、旅行前にはガイドブックや解説書を買い込んでいくが、読んでもほとんど頭には入らない。集中して読めない。ところが、現地を観た後で、読むとぜんぜん違う。百聞は一見しかずである。言葉だけでなく、写真やビデオをみてもらうと少しは伝わるが、暑さや匂い、五感で感じることはわからない。絶対に、現地に立たねばわからないことばかりだ。
翻って、地獄、極楽の話もそうだ。いくら、詳細な話を聞こうが、なかなか頭には入らない。でも、実際に墜ちてからでは手遅れで、取り返しがつかない。元気なうちに、実感があろうがなかろうが、ありまのの事実を阿弥陀様の命の叫びとしてお聞きするかしないのである。
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