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2016年2月の25件の記事

カンボジア紀行(5)トレンサップ湖

Img_2781  遅い昼食のあと、近くのオールドマーケットで買い物を楽しむ予定でいたが、山登りに苦戦して、買い物時間は、予定の半分ほどしかImg_2072なかった。ぼくは、小さな仏像をいくつか買った。日本ではあまりお見かけしないが、インドや東南アジアで好まれているモチーフである「ナーガ(龍)のブッダ」である。
 少し急いでいたのは、次ぎが湖上からのImg_2083落日を眺めるためだ。

Img_2074  山歩きのあとは、ボートに乗る。
 トレンサップ湖は、東南アジア最大の湖だという。乾季と雨季では、大きさが3倍以上も変わるのだが、面積だけでなく、雨季には深くなって、周辺の道路や田畑を飲みこのだそうだ。茶色く濁った水だが、豊かな漁場でもImg_2090ある。しかし、ここが面白いのは、この湖上に、カンボジアン人だけでなく、ベトナム人などが、湖上生活をしている村がある。土地代は不要、固定資産税もかからない、それどころか、水道代もいらない、トイレも、洗濯も湖Img_2122ですませ、家の中から魚も取れる。ワニだって、食べるというのである。湖上には、家だけでなく、学校もあれば、教会もあImg_2093る。湖上で遊んでいる子供たちもいたが、親の手伝いしながら、こづかい稼ぎをしているようだ。内戦の影響で、年配者を少なく、逆に、たくさん子供たちを見かけた。小学校は2部制で、1部は早朝から始まり、お昼Img_2155るに終わるのだと聞いた。

 今日は、早朝のアンコールワットを背景にした日の出にはじまり、トレンサップ湖に沈む夕陽で終わった。東の空には、月も昇っていImg_2170_2る。

この後、中華料理を楽しんで、希望者で、カンボジア式(?)マッサージのお店へ。暗い部屋で、みんな一斉に)マッサージを受けたが、暗くて、横になっているので、周りは見えないが、周りの雰囲気は伝わってくる。僕は、生まれた初めて経験だったが、みんなで一諸というのが、面白かった。

 長い1日だった。これまで遺跡めぐりばかりだったので、変化があって分、皆さんの印象にも残ったようだ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%AC%E3%82%B5%E3%83%83%E3%83%97
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   ▲湖上の小・中学校
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とにかく楽しかった寒中仏の子供大会

Img_3093_2  第4回目を迎えた寒中仏の子供大会。
 前身の春の1泊子供大会から数えても、歴史は浅いですが、良いも悪いも、とにかく印象深い出来事がおこる集いです。

 今年のテーマは、夏の子供大会の予習を予て、「自分を知る」というテーマでした。Yちゃん、Rちゃんが、法話でも、進行やゲームでも、大活躍! 二人が、交代交代で、大会を盛り上げてくれました。Img_3015ぼくも、最終日に、「あなたは誰ですか」のワークをしながら、このテーマでお話をしました。子供向けの法話ですが、仏青や大人の方も、感激しながら、ご法話を聞かれ、分級座談会でも、少人数で、じっくりと進んでいったと思います。

 ただ、今年は子供の参加が少なかった。残念というぐらいの人数。それでも、仏青(もともとは寒中仏青の枠)と、大人(付き添いも含む)の人達が多く集ってくれて、子供班、仏青班、大人班の3班が作ることができたので、大いに盛り上がりました。

Img_3054 班活動がないと、1泊とはいえ、仏の子供大会とはいえない。おかげで、大人も、子供以上に、すごく盛り上がりました。
 楽しみの夕べ(ゲーム大会)では、子供にマケズと、平均年齢では、高齢者になっている大人も、走り回り、飛び回り、競い合いました。体力の限界まで闘い、知力を絞り、最後、まるで福笑いのような絵心のない似顔絵をかいて、大人班は、ダントツの最下位いでしたが、楽しかったことは、一番でした。

 2日間だけなので、キャンプファイヤーはないので、スタンツは、テーマ別の仏教説話の寸劇を行いました。これがまた、面白かったです。
 子供班は、ジャータカにある「シビ王とタカ」。仏典どおりに、秤の小道具も作っての熱演でした。
 仏青班は、雑阿含経にある「四夫人」を、悟朗先生の親指のふしのバImg_3156ージョンで。ところが、予想外の演出で、四夫人ではなく、イケイケギャルが、四人のカレシと繰り広げるバージョンへ。お笑いぽいけど、それそれ、体(わが身)、お金、家族、そして業魂の特色が、うまくいかれていていとても感心しました。むしろ、こちらの方が、伝えたい中味が伝わってくるような、彼女と、彼氏たちの関係がよかったです。
 そして、ぼくら大人班は、「群盲、象を撫でる」で、障がいの方に配慮しながらの演出をしました。すごく久しぶりに演出をして、またまた超久しぶりに出演もして、王様役で進行役を予てやりました。いーや、演技は楽しかった。連れ合いも王様に仕える家来の役で友情出演。よくよく考えてみると、彼女は、本職(プロ)の舞台女優なのですから、夫婦で競演できたことは,光栄の極みです。

 今回は、仏典説話なので、お笑いに走らず、真面目におこなうことにしていましたが、それが逆に面白かった。内容が、内容だけに、皆さんが、まじめにやればやるほど、面白い。練習の時から、お腹を抱えて笑いました。象役も、いろいろと耳や鼻、しっぽなどもつけると、象に見えてきます。ただ演技するだけでなく、この説話が、なにを伝えたいのかを、掘り下げて考えることもできました。結局、部分だけを触れて、全体をみる智慧がないという話ですが、問題は、ほんの一部でも、自分は実際にこの手で触れているという体験が、他ののものの声を聞くことを妨げているわけですよね。その体験は、決してデタラメではないから、捨てることができない。ただ知恵がないので、ほんの一部だけしか触れていないということに、気付かないわけです。まあ、これってぼくの、そしてあなたの姿そのものですよね。そんなやつに、いっぱいっぱい会ってきています。
 そんなことを話し合いながら、ほんとうに和気あいあいと、真剣に、楽しくおこないました。真面目にやって、笑いが取れました。皆さんの意外な一面を見せてもらえたと思います。
 とにかく楽しかったなー。

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カンボジア紀行(4)バンテアイ・スレイからクバール・スピアン

Img_1950 3日目は、実にハードというか、盛り沢山の1日となった。
 5時起きをして、アンコールワットを背景にした日の出を観た。
 その後、少し足を延ばして、クメール美術の至宝といわれるバンテアイ・スレイへ。けっして大きな遺跡ではないが、もっともきれいな状Img_1902態で保存さていた。しかも、赤い砂岩で作られているので、その他の遺跡よりも華やいでみえる。しかも、この遺跡は、アンコーImg_1918ルの至宝ともいうべき女神像。東洋のモナリザと称されるらしい。遠目からかもしれないImg_1923が、正直、うーん、こんな感じかという印象。それImg_1963より建物全体を飾る細やかな細工や、ヒンズー教を題材とした浮彫り彫刻は、ほんとうにすばらしかった。
 ただ、ここは日差しを遮るものなく、午前Img_1966中とはいえ暑くて、少々疲れた。

 が、ここまではいわImg_1972ば基本的な定番コース。もう少し深く触れるために、さらに郊外遺跡に足を延ばした。

 郊外のクバール・スピアンの遺跡へ。山登りがあるとは聞いていた。出発点Img_1983に、1500m先の矢印看板がある。距離はもっともっとある。しっかも岩だらけだったり、木の根がはっていたり、急坂だったりで、足元か悪い。途中、階段が整備されていることもあったが、それは一部。もっもImg_2003と、ぼくとしては、ある程度想定内であったが、年輩の方もおられるので、その方々の足どりがかなり心配だった。遅れる人が出てくる。フラツイてこける人もでる。第一、猛暑日の日中に、こんな山登りすることは、普段はない。なんとか、ゴールまでたどりついた。川中の岩肌に、ヒンズーの神様が彫刻されてImg_2022いる。大きなものを想像してたいが、案外こじImg_2037んまりしていた。かなりハードに歩いたが、眺望が開けるわけでもなく、巨大な彫刻におどろくわけでもなく、また川沿いの山を歩きながら、それぞれの石像の彫刻や、リンガなど見て回ったので、歩いたわりに、ゴールした達成感に乏しかった。でも、ここまでくると観光客の喧噪からは逃れた。ときどき出会う人は、ほとんどが白人だった。まだここでは、中Img_2039国人も日本の団体客も少ない。

 そして、このあとはくだりである。実は、こちらの方が心配になる。滑りやすい場所も多く、急坂のくだりは危ない。転んだり、滑ったりして、みんなに迷惑をかけないかと、結局、健脚組と、後組の二班に分けて、連れ合いは義父を心配していた。おりることにしたが、これが正解。後で、ガイドブックを確かめると、健脚の向きとあった。でも、間違いなく、今回の旅の忘れられない思い出になった。みんなで助け合ったのもよかった。

 早朝からかなり長い日程に感じられたが、まだ遅い昼食の後、夕方の予定が待っていた。
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『エレファント・ソング』

 2月に連続でヒットした観たぼく好みの良質の映画の紹介。2作目は、カナダ映画『エレファント・ソング』(文字どおり、象の歌で、これがキーワードにもなる)

160212 それほど評判にもならなかったし、評価もそれほど高くはなったように思う。しかし、精神を病んだ青年と、ベテラン精神科医(院長)の一対一の、真実をめぐる心理的な駆け引きに、ヒリヒリさせられ、グッと胸が締めつけられるシーンがやってくる。常にミステリーのような謎を残しながら、完全な二人だけの息詰まる密室劇かと思えば、さまざまな第三者(妻だったり、元妻だったり、電話だったり)が介入し場面展開し、青年の華やかで鮮やかな回想シーンなど、見どころも多かった。すべてを知った上で、もう一度みたら、より楽しめるかもしれない伏線が、さまざまに置かれていた。

 精神病院でおこった医者の失踪事件。その真相を知るのは、その医者が担当する患者である美少年。彼の生い立ちは複雑だ。高名なディーバ(歌姫)が、アフリカでの一夜のアバンチュールで生まれた子である。しかも、彼女は母である以上に、常にスポットライトがあたる国民のスターである。さらに、彼の唯一記憶のある父との重大な思い出に、思春期の彼の目の前で起こる母の自殺など、彼の複雑な歩みが、虚実を交えながら語られていく。

 青年の大胆で、狡猾でありながら、時にあまりにも幼稚な態度に、院長は翻弄され続けていく。そして、どこまでがウソで、どこまでは真実か分からない彼の話にますます深い入り、どんどん巻き込まれていく。彼の病理の問題に加え、病院の存亡に関わるような重大スキャンダルが見え隠れしていく。が、彼を受けれいることで、院長自身のこれまでの人生や家庭生活が揺さぶられ、彼が押さえていた心の傷、彼自身の闇が露わになってきたりするのだ。そして最後には、不可解な悲劇が待っていた。なぜ、彼はそんな選択をしたのか、謎のまま残ってしまう。

 人の話を聞くということは、どういうことか。相手をほんとうに理解するとは、どういうことか。そして、相手を信頼し、孤独な、傷ついたこころが開かれていくとは、どういうことか。結局、それらは人を信じたり、無償の愛を求めることにつながるのだろうか。
 ほんとうに話を聞き、理解することは、相手が自分の中に侵入し、その相手に自分の心が占拠されてしまうことなのか。相手を変えるためには、その相手によって自分が変えられていくことに繋がってくるとしたら、これは恐ろしいことでもある。そんなことを思われる二人の行き詰まる駆け引きだった。

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カンボジア紀行(3)アンコール・ワット

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  午前中、「アンコール・トム」から「タ・プロム」と回り、遅めの昼食の後、ホテルに戻ってリフレッシュし、日差しがおさまった夕方、「アンImg_1831コール・ワット」遺跡に向かう。

 巨大な堀が巡らされ、長い城壁に囲まれた、まるでお城のような佇まい。西参道から西塔門Img_1655の長い参道を歩き、左右に経蔵を観ながら、第一回廊の西門に到着した。十字回路をとると、もともとはヒンドゥー教寺院であったImg_1675が、後に仏教寺院ともなったので、ビImg_2534シュヌ神などの神々と、ブッタが混在しながら祀られていた。ポルポルト時代に、破壊されたブッタ像が痛々しい。そして、第二回廊を抜けて、聖なる第三回路に登るために長蛇の列に並ぶ。多数の外国人観光客で賑わっている。中国Img_1707人や韓国人の団体客が、横からどんどん入ってきて、先を越されてしまった。彼らのマナーの悪さには、あっちこっちで遭遇しImg_1746た。ここは入場制限があるので、最Img_1684終時間には間に合わず、並び損となって、最終日にレベンジすることになった。

 最後は、第1回廊の壁面を飾るレリーフをImg_2552念な説明と共に、観てまわった。アムリタ(甘露)を巡る天上界(神)と阿修羅の戦い、天地創造神話でもある神と阿修羅の綱引き、乳Img_2554海攪拌などは、物語としても面白かっImg_2544た。そのなかでも、地獄の描写や、閻魔王の審判を待つ姿などはなかなか迫力がある。日頃の往生要集の地獄の話とも類似する点も多く、つながりを感じられた。

 回廊を出ると、遺跡は夕陽に照らされていImg_2596た。ちょうど、西の空に夕陽が沈むところである。
  翌朝は、5時起きをして、日の出を眺めた。残念ながら、アンコールワットを背にした朝焼けとはいかImg_2561なかったが、朝日が美しかった。

 そして、最終日の午Img_2559前中に入れなかった第三回廊に向かう。オフ時間である午前中でも、長蛇の列だ。須弥山Img_1877を模した巨大な中央祠堂を四つの祠堂が取り囲んでいる。今度は、リベンジに成功。急な階段を上ると、思った以上に広い回廊には、立像と涅槃のブッタの像が四カ所におまつりされている。9分9厘観光客だが、丁寧にブッタの前でImg_2599_3五体投地で礼拝される巡礼者もあったのに、感銘を受けた。
Img_1851_2 個人的には、入場を待つ間、Cさんは信仰の相談ができたのが、有り難かった。今回の旅行は、仏教遺跡の巡拝とはいえ、勤行も法話もなかったので、まるまる観光気分だったが、この時だけは、カンボジアの日差しのもと、こんな場所で真剣な話題がでたことが、なんとも不思議な気分だった。
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『最愛の子』

   2月は、立て続けに心揺さぶられる映画を観た。ハリウッドの大作ではないが、ぼく好みの良質の映画である。心の闇や社会の暗部を見つめる映画は、単純な勧善懲悪とはいかない。その分、すっきりした爽快さはなく、一筋縄ではない分、あとあと余韻を残す佳作が続いた。それが連続して6本続くのは、ぼくにしても珍しい。ちょっことだけ、ご紹介。

 まず1本目は、中国映画『最愛の子』である。これは、今年のベストテン級の作品といってもいい。
 ネタばれになると面白くないので、あらあらで語るが、子供の誘拐がを巡る問題が、二つの視点で描かれている。二つのというのは、前半と後半で、それぞれ視点が異なるのだ。

 前半は、誘拐された子供を探すサンペンス調の展開である。

 事業に失敗し、妻とも離婚して、負け組となり、都会の底辺にいる男。生きがいは、小さなわが子である。離婚した妻は、裕福な事業家と再婚し、子供との面接にくる。その狭間で、子供が誘拐されてしまう。しかも、身代金目的ではないので、手がかりは途切れる。必死に子供を探す元夫婦。懸賞金までだしたが、先々で、トラブルに巻き込まれていくも、年月が経つと、その詐欺まがいの情報も途切れてしまう。その後、同じ子を誘拐された境遇の親の会と出会い、会合にでるよになる。ここでも、一人っ子政策の親の葛藤が分かる。誘拐された子供を諦めない限り(つまり死亡者と認定する)、次ぎの子供が作れないのである。誘拐されただけでも、親に落ち度があるように感じるのに、その上、自ら子を殺すことになるので、深い葛藤を抱えることになる。特に、この会のリーダーの苦悩の逸話は、なかなか秀逸たった。
 誘拐を扱うときには、加害者、警察の立場に、被害者も、誘拐された子供と、親の立場などがそれぞれがあるが、今回は、被害者側の親の立場だけで、物語が進行していくのが特徴だ。
 そして、3年後、まずしい農村にわが子がいるとの有力情報で、子供を奪還する。

 これで、一件落着かと思うが、しかし、物語は、これからが第二部に入って、意外な人物が中心となっていく。誘拐犯の妻、つまり違法行為で、子供の育ての母親となった女が主人公になる。しかも、これが、誘拐した子供をめぐりつつ、もうひとりの妹をめぐっての母の物語となるのだ。この視点は、まったく予想外だった。そして、登場する脇役にも、それぞれ苦悩や問題があることを絡めながら展開していく。そして、最後の場面、予想外で、ここよかった。

 実話にを基にした映画だが、要は、単なる誘拐犯のハラハラドキドキという展開ではなく、それぞれが抱える人間の苦悩や闇をかいま見せる手法なので、いくつもの物語が生まれそうな、濃厚な内容となっている。誰かひとりに焦点があたると、見るほうは楽だし、感情移入もしやすい。その分、脇役の描写はあっさりと薄くなる。逆に、いろいろな人に焦点があたると、見るものは煩わしく、ときに散漫となって、結局、何が言いたいのが分かりづらくなるものだ。その点、この映画は、主題が明確で、そんな煩わしさがない。監督の力量だろう。

 大都会と農村部の貧困問題に、都会のなかでも勝ち組と負け組の経済格差。一人っ子政策さまざまな弊害に、子供や女性の誘拐や売買などが絡む。底辺には、現代の中国の社会問題、闇が横たわっているのだ。

 ただ、唯一分かりずらいのが、誘拐された子供の心情が、置き去りになるところ。もしかして、これも狙いなら、これはこれですごいな。

 

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東京支部法座~新しい試み~

  東京支部法座は、毎回、その法座の担当者(世話人)が代わって、お世話するシステムだ。これは、とてもいい制度だと思うし、積極的に担当者が手を挙げておられる様子だ。
 今回は、初めてTさんがお世話役だった。そのTさんから事前に連絡をいただいた。今回の法座に際して、2点要望があるという。こんなことは、滅多にない。だいたい、おまかせというか、受け身がほとんどだ。
 ひとつは、ひとりでも発言の機会が増えるように、座談会を2つに分けて、分級座談にしてほしいということ。
 これは、これまでも機会あれば、東京支部ではやってきたことで、ぼくも大賛成だ。司会役の方も、力をつけることができる。もう一部屋確保できるのなら、分級座談会をもつことになった。
 もうひとつは、いつも先生がもってきた話題をお聞きして、分級座談会で味わい、それから各自の問題を話題にしていくが、初めから参加者の問題や要望を聞いて、それを中心に、お話をしてもらえないかということだった。質疑応答はあっても、法話のお題なり、聞きたいことを先に出してもらって、それをもとに法話するというのは、新しいし、面白いと思った。この時点で、特別テーマはなかったが、夜座は、この形式でやってみようということになった。

 一問一答とはせずに、聞きたいこと、疑問点、法話のテーマなどを、その場でいろいろと尋ねた。それを板書して、それに関連しながら、答えたり、法話をする形をとった。これが、ぼくにとてっも、皆さんにとっても面白いものとなった。

 大半の方は、黙っておられたが、まだご縁が浅く(他の会での聴聞歴は長い)、今回が報恩講に続いて2回目という方が、何名かおられた。その方々から、自己の心境を語りながら、聞法や求道の不審点が次々とだされた。ほんの一部だが、たとえば、「聴聞を重ねていくうちに、自力の心は無くなるものですか」とか、「聴聞をしている時は、阿弥陀様の広大なお心に触れて、涙溢れるほど勿体なく思う。しかし、それほどの尊いご方なのに、御恩報謝の心が起こってこないのはなぜか」とか、「如来様のおこころを聞けといわれるが、すぐに我が心を問題にしてしまう。どうすれば、仏様のお心が聞けるか」、「喜べないのは、仏願の生起・本末を聞くといううち、我が自性、つまり生起が聞けていないからなのか」とか、または「信前は勤行もし、念仏も励んだのに、いまは、気楽になりすぎて御恩報謝の念仏も怠り気味になる。どうすればいいか」といった質問が寄せられた。

 質問の後、1時間以上かけてお応えしていった。結局、みんな、我が心の善し悪しを問題にして、悪しの心をなんとかしようという問いばかりであった。血で血を洗うことができないように、自力で自力を計らうことはできないのだが、未信の時は、それしか聴聞の手立てはないので、みんな、わが心を頼りに、わが心の変化を頼りに聞いていく。ほんとうは、あれこれ心の出来不出来の詮索をやめて、頭を垂れ、おのれ心をむなしくして、「ああ、そうですか」と聞いていきしかないのだが、これがどうやら一番難しいようだ。
 どうやら、凡夫はすぐに手応えがほしいし、有り難い心境や念仏といった、おのれの証拠を握りたいようである。少しでも心に変化があると、いい法座ということになるようだ。

 今回、ひとりぐらい、広大な仏徳を讃嘆する話題がでてもよかったが、(自称)獲信者が、黙っておられたのではいかし方なしたか。

 でも、おかけで、いろいろと話させていただいた。あとの懇親会までも、分級座談会のように、たっぷりとご法の話題が続いた。問われることは、まだまだ未熟な点が多いが、真剣に求められるる方がおられると法座は、活気づくようである。いいご法座になりました。

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黄檗宗の葬儀

先月に続き、またまた町内会のお悔やみである。
同じ隣組の101歳の女性。先月が、105歳の方、昨年8月に亡くなった父は90歳と、もう1軒あった葬儀も89歳と、この町内はかなりの長寿のようである。

お知らせには、宗派は「仏教」とだけ書いてある。
一般の遺族席とは別に、銀色の屏風の前の雛壇に、喪主を真ん中に、男の兄弟が座っておられる形式は、初めて観た。

開式の司会は、「皆様ご起立ください。お導師様のご入場です」とあったが、普通、「浄土真宗本願寺派○○寺様」といった紹介があるのに、それが一切なかった。「南無釈迦牟尼~」(最後は遺影に隠れる)とあるから、禅宗なのかなと思いながら、聞き慣れない表白や謡のようなお勤めがあった。「南無帰依仏、南無帰依法、南無帰依仏」という三帰依文は同じで、最後に「喝!」一喝し、弔電が披露された。その後のお経は、たびたび「観音力」と聞こへ、最後は「阿耨多羅三藐三菩提心」で終わったので、もしかしたら『観音経』なのかなと聞いていた。木魚がリズムカルに響く。また謡のような表白がはいって終わった。これまでに経験したことのない様式だったので、興味津々、所作などもみせてもらった。

式が終わり、係の方に宗派を尋ねと、「禅宗です」。「臨済ですか、曹洞ですか」と聞いても、その方はわからず、お寺の名前を教えてくださった。どうやら、禅宗でも「黄檗宗」だったようだ。京都宇治にある万福寺が大本山である。他の禅宗の葬儀とどの程度の違いがあるのかはわからないが、初めて参列させていただいた。

でもね、導師の入退室が終わった、開式と閉式に司会者が、「故人様のご冥福を祈り、皆様で合掌、礼拝ください」と促す以外は、導師は、ただ訳の分からない勤行をあげるだけで、まったくこちらへ働きかけはなかった。他宗派とはいへ、これではちょっと寂しいかなー。

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カンボジア紀行(2)タ・プラム寺院

Img_1624 「アンコール・トム」から「タ・プロム」寺院の遺跡に向かう。
タ・プロムの前に土産物屋で、椰子の実や、マンゴーを食べて、涼をとる。

 林(ジャングル)の向こうに、寺院がみえてきた。12世紀後半に、王のImg_1525_2母の菩提を弔うために建てられた寺院で、最盛期には、1万2千人以上の僧侶が住んでいた大寺院である。「タ」とは、おじいさんという意味で、少しかっこよくいうと、古老ということになImg_1544る。ガイドのキムさんは、「ブロムおじいさんの寺院」という説明があったが、手許のガイドブックでは、「梵天の古老」という意味があるらしい。こちらのほうがしっくりくる。やはり日本Img_1551_2なら平安末期で、法然聖人の時代ということにImg_1588なる。
 
 東塔門から入場したが、その現在の姿は驚異的であった。発見されたまま、倒壊もImg_1541そのまま保存されているが、なにより、ガジュマルの木などの巨木が根を巡らせて、遺跡Img_1555を持ち上げている姿は、圧巻だ。第1回廊から、第2回廊に進むと、木の間に埋もれたままのデヴァImg_1583ター像が、なんとも神秘的。

 それにしても、自然の力、巨木の圧倒的な力には、驚かされ、Img_1586の美しさに感心させられた。もちろん、創建当時は、こんな姿になることは想像もされていなかっただろう。しかし、この南国の地で忘れられたままの寺院は、長い年月をかけて崩壊し、ガジュマルの木々に覆われる姿に変わったのである。一つには、日本のようにImg_1582_2地震が少ないこと、そして、建造物が木造ではなく、石などが主流であったことで、自然と人間の力が合わさった今日の形に生まれかわった。しかし、倒壊の危機にもあるが、木を取り除くことで、パランスが崩れて一気に倒壊する危険があるので、保存はなかな難しImg_1568いそうである。

 中央祠堂の東側には、胸を叩くとエコーが響くお堂があった。このImg_1593後、行く先ざきで、同じようなエコー堂があったが、不思議なことに、頭やお腹を叩いても、音は響かないのに、胸を叩くと、きれいにエコーするのは不思議。なんでも、叩くと胸の悩みが解消するらしいので、あっちこっちで胸を叩いておいた。

 ここは、まだ木々に覆われているので、日陰があるので助かった。が、それ以外は、日差しは強くて、かなり歩いて、止まると汗が吹き出すということの繰り返し。
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鯖姿寿司

Img_2983  博別館をかなり歩いて疲れた。一休みするつもりのカフェは、閉館時間でお終い。向いのお店も工事中と、あっちこっちがダメで、東福寺の近くのオーガーニックカフェで、コーヒーを飲むことにした。久しぶりに訪ねたが、コーヒーだけでなく、砂糖やミルクもオガニックを使用Img_2985するこだわりがあるが、値段は、普通のお店と変わらないのが、うれしい。

 駐車場の近くに、名代「鯖寿司」のお店を見つけたら、名物でよくテレビなどでも取り上げられるしると、母が、「鯖姿寿司」を注文してくれた。

Img_2986 一本、3300円也。大将が丁寧に握り、竹の皮に包んで、包装も丁寧にしてくれた。

 鯖寿司は、ものによっては味が濃厚すぎたり、酢が強すぎたりで、ぼくはそれほど好物ではないのだが、これは正直うまかった。しつこさがなく、なかなか上品な味。夕食の時3人でわけたが、食べ応えも充分あって満足。

 御馳走様でした。

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平成知新館

Img_2972 姉から、関西版の「ミュージアムぐるっとパス」をもらった。関西の美術館などに割引や無料入場ができるパス。期限が3月31日までに迫っているので、母を連れて「国立京都博物館」常設展に行く。一昨年に新しくなってから、平成知新館は3回目になる。が、ふたりは初めてで、その規模や体系だっImg_2974た展示に、ずいぶん驚いたい。特に1階の第1展示室の仏像は、その大きさに圧倒される。今回は、今、法話のネタに使っている冥界(中有)界の姿-閻魔王を中心として十王像と、奪衣婆と亡者、さらに閻魔様の本地である地蔵菩薩が展示されていて、あまりにもタイムリーだった。そのなかでも、いちばん心を引かれたのは、京都二尊院の、「釈迦如来像」と「阿弥陀如来像」。二河譬の招喚と発遣の二尊像であるが、その上品で、やさImg_2976しいまなざしに感心させられた。

 いくつか特別展示があったが、ひとつが「刀」がとありあげられていた。国宝や重文の宝並んでいて、けっこうな人だかりができていたが、どうもその良さは理解できなかった。でも、坂本龍馬愛用だとか、信長の桶狭間合戦の戦勝品だといった歴史的な名剣と聞くと、少し心は動いた。
 
 Img_2981もうひとつは「狛犬と獅子」像が集めれていた。日ごろ神社でお馴染みの狛犬と獅子の像だが、それほど心して観たことはない。でも、京都や滋賀などの有名寺院や神社の重文の獅子たちであって、それぞれが意匠や素材なども個性があって、実におもしろかった。もともと中国や日本では、想像上の動物だったライオンを模したものでるあるが、左のあって、頭上に1本の角があり、吽と口を閉じているのが「狛犬」。右にあって、阿と口を開いているのが獅子だそうだ。http://www.kyohaku.go.jp/jp/theme/floor1_5/shishi_2016.html

 そして今回は、特集陳列として「皇室ゆかりの名宝」として、天皇の肖像や書(宸翰)、宮中の装束、門跡寺院の所蔵の仏画、蒔絵の調度品など、国宝や重文の名品が体系的に並べられていたが、狩野元信による、京都、妙心寺塔頭の霊雲院の障壁画が、気品高く、雅びで、ときに静寂な姿の画が、圧巻だった。http://www.kyohaku.go.jp/jp/project/2016_koshitsu.html

 結局、休みなく2時間半も歩いてかなり疲れてきたので、最後は、かなり駆け足になったが、平常展なのに、来るたびに特別陳列があるので、目新しく見応えがあって満足した。

 

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カンボジア紀行(1)アンコール・トム

0121_21 朝8時30分に関空に集合し、ベトナム・ホーチミンで乗り継ぎ、カンボジアのシェムリ・アップに到着したのは、夜9時を過ぎていた。夕方着の予定が、飛行機の変更で遅くなった。初めてのカンボジア料理(クメール料理)と、アンコールビールを飲んで、ホテルに入ったのは、11時を過ぎ0121_24ていた。5星の高級ホテルだが、 回りには欧米(旧宗主国フランスなど)資本の最高級ホテルが並んでいる。

 2日目から遺跡巡りが始まる。今日は、午前に012131「アンコール・トム」周辺、午後に「アンコール・ワット」と、メーンの遺跡巡りである。

012144 ガイドのKさんは、とても日本が上手く、博識。29歳と若いのに、どんな質問をしても、すぐに答えが返ってくる。きょうだいの二人までが、日本のNGOの支援で、日本留学をしている0121_143が、ご本人はまだ日本訪問がいちばんの夢だとい。まず「雪をみたい」「桜をみたい」、そして「地震を経験したい」というのが、面白い。でもそれは簡単には実現しそうにない。日本のビザがおりるのには、日本の保証人、$1万の預金があることなど、さまざまな制約があって難しいと歎いていた。今回の旅がよかったことの一つは、このガイドのKさん0121_136の真面目な人柄が大きかったと思う。

0121_141 さて、最初に7日間有効でパスを$60で購入。これで周辺の遺跡はすべて入ることができる。「アンコールワット」の前を通って、「アンコール・トム」遺跡に向かう。

 四門出遊ではないが、東西南北の門が0121_115ある。南大門から入場する。ここも四面が観音像である。その左右には、アンコールワットのレリーフにもある乳海攪拌のモチーフで、神と阿修羅がナーガ(日本では竜神)を綱引きする像が立っている。

 アンコール・トムの中心にあるのが、バイアン寺院だ。

0121_162 こちらは大乗仏教の寺院で、日本なら法然さ0121_117まや親鸞さまの頃だ。同じ大乗仏教といても、国家権力や死者供養の色合いが濃い。

 須弥山を模した塔の四面には、観世音菩薩が微笑んでいる。巨大な顔、顔、顔の人012146面塔が迫り、圧倒的なスケールだ。

 日本にいるときは、クーメルの微笑みに違和感は抱いていたが、実際、現地に立ってみると、そのスケールと量的表現に圧倒されて、感動的だ。なかには、「お笑いの京歌子さんに似Img_1507ています」との説明された観音像もあったが、後日、事務所のRちゃんに話したら、「誰ですか?」と尋ねられた。日本の若者が知らない人を、カンボジア人の青年から聞いたのが、可笑しい。

012162 巨大な人(観音だが)面だけでなく、細かなところにも、女神や神、仏などの細工がある。
 特に、第一回廊には、もっとも輝かしい功績を起した当時の王Img_1505_3の偉業を称えて、クメール軍(カンボジア)と、チャンパ軍(ベトナム)の戦いの様子が、詳細描かれている。クメール軍だったり、チャンパ軍だったり、中国の傭兵だったりも描きわけられている。当日、生活をしることもできるImg_1506し、遊び心や動物の様子も詳しい。また、それを詳しく説明されたが、如何せん暑い。1月は乾季で、比較的暑さもましだそうだか、連日35度以上が続いて、日差しも強い。

Img_1511 周辺にもたくさんの大小の遺跡が点在するが、350メートルにも渡ってゾウの彫刻が続く「象のテラス」。象が蓮の花を吸い上げる像や阿修羅像で支えられている。そして三島由紀夫の戯曲でも有名(今現在も公演中)「ライ王のテラス」は、無数の神々が細かく彫刻されていた。いろいろと遺跡を巡り、勝利の門を抜けて、次ぎの遺跡に向かう。暑かったが、最初の遺跡から圧倒さればなしだった。0121_165
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(第一回廊=行進中、亀にお尻を噛ますいたずらと、飲んだくれる人)

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500円玉

Img_2961 念仏者九条の会の全国大会で、初めて「しんらん交流館」を訪ねたのはちょうど1週間前だった。またすぐにここを訪ねるとは、一昨日までは思ってもみなかった。日高への車中、連れ合いからのお誘いImg_2962で、大谷大学の男声合唱団の定期演奏会を聞きに行くことになった。彼女が公演でお世話になっている北海道のご住職も、OBとして登壇されるのだ。

 現役の会員数は10名も満たないようだ。後半、そこに多くのOBが加わった合唱になると、重厚さが増した。中でも、仏教讃歌は、やはりいい。ほとんどは知らない歌だったが、歌詞は、重誓偈だったり、和讃だったりするのでなじみがある。なかでも短い和讃だが、「たとひ大千世界に」が印象に残った。

「たとひ大千世界に、たとひ大千世界に、満てらん火をも過ぎゆきて、たとえ大千世界に、満てらん火をも過ぎゆきて、仏の御名を聞く人は、満てらん火をも過ぎゆきて、仏の御名を聞く人は、ながく不退にかなふなり、仏の御名を聞く人は、ながく不退にかなふなり、ながく不退にかなふなり」。二重三重のコースラが、こうごうしかった。

Img_2964 1時間(実質45分)で公演が終わり、ご住職に挨拶したあと、七条烏丸のリド飲食街の「じじばば」へ。「お久しぶりです」とマスターに声をかけて座るなり、「拾っておきましたよ」と、マスターが500円玉を差し出した。一瞬、何のことか思い出せない。「エー、なんですか」と記憶をたどる。ここは、ずいぶん久しぶりで、7月末にImg_2968興正派のご住職と呑んだ以来だった。どうやら、その支払いの時に落としたことを、だんだん思い出してきた。ああ、半年以上前なのに、ちょっと感激Img_2967した。同時に、その間にもいろいろことがあったなーと、しみじみ。

 たった500円でもこころが大きくなった。しかもここは料理(B級グルメ)もお酒も美味い。その上、たまたま隣の女性が、高校の後輩だということもImg_2969分かり、盛り上がった。連れ合いは、ラインの交換もしている。おかげで、ビールを呑み、ワインも赤と白も呑み、焼酎も「武家屋敷」とか「子鹿」といった限定の芋焼酎を呑んで、神亀酒造のスパークリング(活性にごり酒)日本酒と、ぼくも、随分呑んだ。
 
Img_2970 満足して帰ったが、電車の関係で歩いて帰ることにした。ところが、ちょっとしたことから、犬も食わぬ夫婦ケンカとなった。彼女は絡み酒で要注意だが、お互い酔っぱらうとたまにやってしまう。結局、最後の最後に、嫌な思いをしてしまった。いやはや、反省です。すみませんでした。

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春の陽気が一夜で

Img_2946 午前の法要に合わせて、朝は早目に京都を出たが、4月中旬の陽気で、空気も温かい。各地で20度を超えたというニュースが流れている。早朝までは大雨だったけれど、7時をまわったところで小降りImg_2944になって、雨や風の影響を受けずに、順調に車は進んだ。

 法要の後は、親族の皆様と、会食をした。何度も豊岡(日高)に来ているが、初めImg_2938_2て「但馬空港」(こうのとり空港)が、こんな近くにあることを知った。レストランは、確かに眺めがよかった。

 みな、子育てや受験、そして親の介護などの共通の話題があって、いろいろ盛り上がった。認知や寝たっきりなど、状況は大変だが、Img_2960みんな明るく、ポジティブなのが印象的だった。

 その夜は、RさんやNさんとまた飲んだ。
 夜になって、冷えてきたなと思ていたが、朝は、みぞれになっている。それが、お参りに行く頃には、雪だ。しかも寒い。春の陽気が一夜で変わって、雪になるのも日本海側の冬の気候だ。

 結局、その夜には大雪警報になったようだが、幸い帰路には、まったく影響はなく、無事に帰宅できた。一夜で、20度近く温度差があって、寒さが応えた1日だった。

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一周忌法要

 昨年二月、五十歳で亡くなった方の一周忌法要に、豊岡市日高町で出向く。彼女は、子供大会に皆勤だったので、いわば幼なじみである。
 お元気なときに、葬儀のご本人からたのまれたのが縁である。具合が悪くなられる前のことだったが、法名や葬儀、納骨のことなど、まだ40過ぎの元気なうちにすべて、自分で段取りされて逝かれた。何か予感があったのだろか。

 今日の御参りは、姉妹や従姉妹の方が大半。だいたい子供大会にでたことがある方ばかりで、40代、50代が中心である。
 一緒に勤行し、40分ほどのご法話をする。
 浄土真宗の他力廻向の教えは、世間、いわゆる追善供養のための法事ではない。世間の常識からみても、意味が違って、亡き人をご縁として、私の後生をお聞かせに預かるご聴聞の機会なのだが、そう理解されている方は少ない。「南無阿弥陀仏」は供養のためではなく、阿弥陀様のわたしへの呼び聲であるという意味をお話して、お念仏を声に出してもらうこと、一緒に、お正信偈をお勤めしてもらうとこをお願いした。法名が、お正信偈から取られているからだ。そして、浄土真宗での法要の意義を中心に、ご法話させていただいた。とても真剣に聞いてくださった。もし、この法要がなければ、絶対に、ここで一同に関して、お念仏を申したり、法話を拝聴されることはなかっただろう。そう考える、亡き人のお働き、阿弥陀様のお力で、みなここに集ったのだ。亡き方を偲びつつ、共に阿弥陀様のご本願についてご聴聞させいただくことほど、尊いことはない。

 それにしても、子を想う親心は深い。
嫁いだ身とはいえ、わが子を亡くされたご両親は悲嘆は大きく、その後、具合を悪くされて、父親は入院生活を送っておられる。1周忌の前に、葬儀があるかもしれないと心配されていたほどだ。通夜の席で、一言も発せられず、通夜振る舞いでも、一口も食べられずに、早めに、肩を落としながら退席されていかれた年老いた父親の後ろ姿が思いだされる。南無阿弥陀仏

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京都支部法座

 法話は、『往生要集』の等活地獄について。もっとも、すんぶんそれ以外のことも話した。最近読んだ、『本願寺白熱教室』という本から刺激を受けたことにも触れたからだ。要は、三世因果や後生の一大事が影を潜めている現状を嘆いてのこと。

 法話と座談の後で、カンボジア旅行のスライド・ショー。写真を絞ったつもりたが、上映に75分ほどかかって、最後はかなり飛ばした。
いつものことだが、旅行前にはガイドブックや解説書を買い込んでいくが、読んでもほとんど頭には入らない。集中して読めない。ところが、現地を観た後で、読むとぜんぜん違う。百聞は一見しかずである。言葉だけでなく、写真やビデオをみてもらうと少しは伝わるが、暑さや匂い、五感で感じることはわからない。絶対に、現地に立たねばわからないことばかりだ。

 翻って、地獄、極楽の話もそうだ。いくら、詳細な話を聞こうが、なかなか頭には入らない。でも、実際に墜ちてからでは手遅れで、取り返しがつかない。元気なうちに、実感があろうがなかろうが、ありまのの事実を阿弥陀様の命の叫びとしてお聞きするかしないのである。

 

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耳年齢

 自力整体の冒頭、CDから流れる高音を聞きながら、耳年齢を確認するテストがあった。
1~6番まであって、どの番号が聞き取れるかのテストだ。
1番、2番、3番と、よく聞き取れたが、4番になるとちょっとあやしくなった。まして5、6番になるとまったく聞き取れない。
あとで1番が70代、2番が60代、3番が50代、4番は40代、5番が30代、そして6番は20代だというのがわかった。

高齢になればなるほど、高音が聞き取れなくなるというのだ。だから、年輩の方には、ゆっくり、低い声の方伝わるというのである。
おかけで、ぼく自身も、しっかり50代を実感させられたが、老眼が進み目の高齢化は実感してたいが、耳も、しっかり年相応になっているには、驚いた。
同じように聞こえている、聞いているつもりでも、聞こえない音域があることが、耳ならぬ、目からウロコの体験ができた。

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広島支部法座~地獄の話~

 先月の広島支部法座で、来月は「地獄の話をしましょう」とお伝えした。「地獄一定すみかぞかし」の言葉をめぐって、ご縁の浅い方から、極めて世俗的な地獄を認識されていたからだ。つまり、後生というより、生活の上での苦しみや悩み、こころの有り様を指して、地獄だと称するのが、一般的である。世俗的な生き方や考え方に毒されている私達には、三世因果や後生といった従来の仏教の考え方は、迷信やおとぎ話に思えて、素朴に信じることは難しいのである。

 しかし一方で、いくら科学や合理主義が第一でも、「死ねばしまい」「何もない」と簡単には割り切れない。そう単純なものでないので、考えないで先送りにするか、「天国で安からに」とか、「風」になるとか「星」になるとか、「先祖」となるとか、なかには、大学生が、「背後霊となって子孫を見守る」などという、それこそ迷信・俗信を安直に信じていくのである。

 今日の浄土真宗の最大の問題点は、時代に迎合するあまりに、本気で「三世因果」や「業道自然」の道理を説けないことだ。それでいて、上座部仏教でもなければ、実践(行)もしていないのに、困ったら、すぐ「本来の釈尊の教えにはなかった」などと古い文献を引っ張ってきて根拠とし、整合性があるかのように取り繕う。そんなことを言い出したら、浄土の教えなども成立しなくなるのだが、こちらは「釈尊の真精神に、すでにその萌芽がある」などと上手いことを言っている。

 結局、信じられるように、こちらの都合で教えを操作し、信じやすいように切り取ったり、都合が悪い部分はなかったことにし、現在の人達にも、スマートに、また現代思想にも合うようにしていても、ぼくには、それはしょせん、自分が納得するだけのごまかしであって、まったく魅力がない。

「私が死ねば、そのおのれ業の報いによって、たったひとり、自分の罪業が生み出した次ぎ世に出かけていかねばならない」という『大経』の釈尊のお説教を、そのままお聞かせに預かれるだけである。

 頭を下に足を上に、頭下足上で、真っ逆様に、真っ暗な世界を、二千年間、ただひたすら墜ち続けていくという。そのとき、悔・懼が交々襲ってくる。「ああ、しまった~」たという後悔と、驚怖に畏れおののく心が、交互に襲ってくるのである。もうその時では、手遅れである。
 

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梅だより

Img_2859_2  年末以来の散髪の帰りは、梅小路公園を抜けて戻ることにした。
 この時期、梅がチラホラ咲き始めるからだ。
 
Img_2866 今冬は、記録的な暖冬だったが、1月下旬からは、かなり寒い日が増えた。
 今日も、風は強く、しかも冷たい。
 
Img_2888 ところが、暖冬の影響なのか、梅は、予想以上Img_2882に華をつけていて驚いた。
 紅梅はかなり咲いていたが、白梅はチラホラというImg_2857ことろか。
 
 菜の花も咲いている。
 青空がひろがって、もうここだけは春がきたよImg_2907うである。

 高い木の先には、野鳩だろうか。たくさんのの野鳥が、木の実をついばんでいた。

Img_2918 風が強くて、体感的にはかなり寒く、手袋を外してカメラを持つ手が凍えそうだった。それでも、都会の片隅のオアシスに、気分は、すっかり春。

 夜には、誕生日のお祝いしてもらった。54年前は、雪のちらつく寒い日だったそうだ。

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念仏者九条の会合同の集い~殺さない、殺させない~

Img_2847一年前、華光同人の縁で、お東(真宗大谷派)の九条の会に出席した。

http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/post-ae9e.html

 これまでお西(本願寺派)の念仏者九条の会には出席したことはImg_2848あった。今日は、その東西の九条の会の全国大会があった。お東に、最近リニュアールされた「しんらん交流館」に、初めてお邪魔した。

 開始の勤行(表白)や雰囲気などに、戸惑いながらも座っていた。Img_2846資料には、明確に、自民党や公明党などの与党、もしくは野党ながら、それに組みする政党を名指して非難する文章があったり、衆議院議員「シイカズオ」氏や「ヤマモトタロウ」氏よりのメッセージも届いている。ヘェー、まさかシイさんが念仏者だとは知りませんでした。それをいうなら、お西の「アベ」さん(正確にはお父さんか)や、お東の「モリ」さんなんかは本願寺の門徒総代までされた念仏者(といより有力門徒なのでしょうが)じゃないのかと思いつつ、まあ、僕自身のこれでの信条や行動にけっして反しないし、むしろ近いところにあるのだけれど、何かこの雰囲気の中にいるのは落ち着かず、居心地の悪さを感じていた。社会との接点とは言え、世俗の政治色が強くなるほど、複雑な気分がするのだ。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2016-02-10/2016021004_02_1.html?_tptb=032

 まあ、それはそれとして、

 講演はそれなにり面白かった。

 『世界がもし100人の村だったら』で有名な、ドイツ語翻訳家の池田香代子さんが、「これ、英語でなんて言う?」と題して、安保法制=戦争法の言葉のまやかし、ごまかしを、公式に掲載されている英訳で対比させたお話だった。彼女の話は、初めてお聞きしたが、思ったりよソフトでやさしい口調であったが、対称的に厳しい話題でもある。

 そのあと、元自衛官、泥憲和さんとの対談。ちょうど、北朝鮮のいわゆる「ミサイル」(ロケット?)発射直後だったので、ロケットとミサイルの違いや、北朝鮮の技術力、実際の日本への影響、さらに現政府と自衛隊との関係など、新聞やTVが選別し、巧みに言い換え加える報道では、けっしてわからないよう興味深いお話を聞かせていただいた。

 もっとも、今日いちばん驚いたのは、終了間近に、後ろを振り返ると、真後ろに連れ合いが座っていたことだ。今日、北海道から帰ってくるとは聞いていたが、まさかここにいるとは、ビックリ。第一、開始や再開時には、別の男性がそこに座っていたのだもの。いつのまにすり替わったのだらかな。

 

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札幌「雪まつり」と、サンパウロ・カーニバル

Img_4526_2 今年の「希望舞台」は、6月に北海道での巡業公演に備えて、札幌に事務所が開かれている。連れ合いも、毎月のように北海道入れをしている。
 ちょうど札幌は、「雪まつり」のシーズンだ。当初は、雪不足が心配さていたが、1月半からは冷え込みが厳しい。

 同じ日、ブラジルの子供たちから、カーニバルの様子が送信されてき160209た。
 カーニバルといえば、今年オリンピックが開催されリオが有名だが、実は、各地で行われていて、学校も長期の休みになるのだという。ブラジル最大の都市であるサンパウロのカーニバルの熱狂的な様子を動画で送ってくれた。ああ、こちらは、真夏なのね。すごい熱気だった160211と、興奮して話していた。

 子供が撮った動画ではなく、地元サンパウロの日系新聞の写真。

 僕にはともに、これまで無縁だった話題が、急に身近に、、。

 

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2月の聖典講座~「衆生往生の果」(1)~

下巻の「衆生往生の因果」に入り、前回で「衆生往生の因」が終わった。今回より、衆生が弥陀の浄土に往生し、聖者(菩薩)として受ける果報(果徳)が広く説かれる「衆生往生の果」に入る。大きく五段に分科されるが、今回は、二十二願成就の一生補処の徳などを窺った。

 浄土の荘厳は、(1)正報-阿弥陀仏、菩薩衆(聖衆)と、(2)依報-その国土であるが、ここでは正報のうち、菩薩衆(聖衆)の果徳にあたる。実は、上巻の如来浄土の果におていも、「聖者の果報」(眷属果報)で説かれたところである。それを、さらにまとめて説かれいるのだが、最後には「百千万劫かけても説き尽くせない」と釈尊は結ばれている。

その聖者の果報の中心は、[(1)一生補処の徳(22願成就文)並びに21願成就文]【二八】である。
ここは、さらに細かく二分科(正説と嘆徳)されるが、まず正説で、往生者が、一生補処の徳、還相廻向の徳を得ることが述べられる。次いで嘆徳で、特にすぐれた光明を放つ観世音・大勢至の二菩薩の徳が述べられ、両大菩薩以外のすべての往生者も、三十二相の仏の相好を備えることが述べられている。

◎第二十二願=必至補処の願・一生補処の願(以上願文による名称)・還相廻向の願
 一生補処とは、次の生涯には仏になることができる位。一生を過ぎれば仏の位を補うべき地位で、菩薩の最高位。弥勒菩薩を「補処の弥勒」と称する。願文による名称。
 同時に、聖人は、これを還相廻向の願として、「但し、迷える衆生のために、弘き誓願の功徳をもって身を荘厳し、あまねく一切を救おうと思う者は除かれる」と、その深意を頂かれた。いつでも還相廻向によって、衆生済度ために娑婆に向かうのである。

◎特に、すぐれた二大菩薩とは、次ぎのお二人である。
 観世音菩薩=梵語・アヴァローキテーシュヴァラの漢訳。観自在菩薩とも訳される。苦悩する世間の人が観音の名を称えるものを聞き知って自在に救うとの意味がある。
阿弥陀如来の左の脇士。阿弥陀仏の慈悲の徳を顕す菩薩。
 大勢至菩薩=梵語・マハー・スターマプラープタの漢訳。大精進、得大勢とも訳される。智慧の勢いがあらゆるところに到るという意味。
阿弥陀如来の右の脇士。阿弥陀仏の智慧の徳を顕す菩薩。

◎第二十一願=具足諸相の願・三十二相の願
 仏の身体に具わる三十二種のすぐれた姿。相好(そうごう)ともいい、大きな特色が三十二相、細かなものは八十種好と言われる(大智度論による三十二相)。
唯識などによると、三阿僧祇劫といわれる仏の修行の期間を大まかにみると、最初の一阿僧祇劫で、情の煩悩を滅し、次ぎの一阿僧祇劫で、知の煩悩滅して、すべての煩悩を滅しきるのだが、さらに、最後の一阿僧祇劫で、煩悩の残り香までもを滅して、最後百大劫かけて、仏身を荘厳していくと言われている。

 ここでは詳細は略すが、三十二相の一つと一つを窺って、仏徳の尊さを頂いた。しかもそれが、凡夫の身にも、南無阿弥陀仏を信順するひとつで、すべて願力の働きによって、娑婆のいのちが終わり次第、実現するというのである。

[(2)供養諸仏の徳(23願・24願成就文)]【二八】
 浄土の往生人が、十方世界に赴いて、思うままに諸仏を供養する徳を述べる。

 ◎第二十三願=供養諸仏の願(十方の仏方に供養を捧げよう)
 ◎第二十四願=供養如意の願(十方の仏方の求めに応じて、供養の具を捧げさす)

[(3)聞法供養の徳]【二九】
 前(段が、十方世界での供養であったのに対して、自国たる極楽浄土において、阿弥陀如来の説法を聞き、宝樹、天人によって、如来同様に往生者も供養されると説く。

 次回は、3月6日(日)で、(4)説法自在の徳(25願成就文)からである。

 

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2月の輪読法座~「五劫思惟」(1)~

 四十八願成就して
  正覚の弥陀となりたまふ
  たのみをかけし人はみな
  往生かならず定まりぬ 

 兆載永劫のご修行
  阿弥陀の三字におさまれり
  五劫思惟の名号は
  五濁のわれらに附属せり
         『帖外和讃』

今月の輪読法座は、変則的で、新年号ではなく、「増井悟朗師追悼号」の誌上法話(「五劫思惟」(1))を輪読する。
昭和21年7月、創刊5年目の華光誌の編集を、21歳になったばかりの増井悟朗先生が編集を引き継ぎ、同時に、先生の華光誌に初投稿の記念すべき号(5巻3号)だ。
時代は、昭和20年8月の終戦からまだ1年も立たない混乱期にあたる。後記の記事も、物価高騰や物資不足を歎く文章が綴られている。少部数とはいえ、発刊はたいへんなことだっただろう。
それにしても、今日の二十歳前後の人達の文章とは、まったく異なる格調高い文体だ。漢語表現も多いし、旧仮名遣いなので、今日のものには読みづらい。それを、みんなで、声に出して読み、かみ砕いた説明をすることで、そのお心をいただいたが、聖人の和讃(帖外)を通じて、阿弥陀様のおこころをいただいた。

華光の集いは、お浄土の華光出仏から流れ出るものである。それを身近に具体的にいうならば、伊藤先生の『仏敵』に始まり、「華光」誌の創刊に引き継がれていく。しかし、もし、21歳の悟朗先生が華光誌編集を託されなかったらば、それも一時の活動で終わって、今日の私達にまで続く信仰活動とはならなかったであろう。そして、それ以降、どれほどの人達と法縁を結ばれてきたことだろうか。そして、それは今日もまた綿々と続くのだから、まったく不思議としかいいようがない。

その原点が、ここにあると思うと、なんとも尊い文章である。

来月(3月30日(水)昼1時30分~)も、この続きで、新年号の「五劫思惟」(2)

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2月の伝道研究会~「二種深信」に入る~

伝道研究会は、今月から信心論の第3章で「二種深信」に入る。
ここはご法話などでも何度も取り上げている。1月の報恩講でも、予告を兼ねて二種深信を取りあげた。二種深信の概要を説明をしなから、テキストに沿って進んでいく。

ところで、親鸞様によれば、『観無量寿経』には、穏顕の二つの立場がある。当面、表に顕れているのでは、第十九願の立場で、定善、散善を勧める自力での諸行往生である。しかし、そこに隠されたものは、十八願の他力念仏の勧めである。つまり、『観無量寿経』の三心は、十九願に対応する自力の立場にみえるけれど、法然聖人は、十八願の三信に対応すると観ておられる。つまり、至誠心-至心・深心=信楽・廻向発願心=欲生我国でに当たるとされた。
 
親鸞様も『愚禿鈔』で

「今、この深信は、他力至極の金剛心、一乗無上の真実信海なり」

と、明示されているとおり、二種深信は、第十八願の真実信心のことである。

善導様は、観経の三心のうち、「深心」を、

「深心といふは、すなわちこれ深信の心なり」

とされ、そして「機の深信」と「法の深信」の二種の深信とされた。しかし二種といっても、二種類の信心があるのではなく、一つの信心、つまり信楽の一心を二種に開いて、他力廻向信心の信相を示されたもので、自力を捨てて(機を捨てて)、願力に乗じる(法に任せる)他力信心の姿を示したものである。端的にいえば、捨機託法である。しかし、「地獄一定」の信機と、「往生一定」の信法は、一見すれば矛盾する内容だし、また前後があったり、自力・他力の違いあるようにみえたり、信前・信後でのとり違いなど、よくよくお聞かせに預かるべき、肝要な教えである。

誤りやすい点に触れながら、そのお心に触れていきたい。

次回は、3月2日(水)夜7時30分から。

 

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尾籠な話ですが、、

尾籠な話でたいへん恐縮だが、カンボジア旅行の最後で下痢になった。帰国後、安心したのか、下痢がひどくなる。水分を採っても、それがそのまま出るといった感じである。けっしてトイレ事情が悪かったわけではないが、日本のような至れ尽くせりで、「おしりにやさしい」トイレは、どこにもない。1週間は断酒した。まる1日の絶食や、それに近い形で数日を過ごしていた。とにかく眠く、よく寝た。

付き合うように、連れ合いも下痢になったが、彼女の場合は、熱も出てたりした。義理堅いことである。

頭の方隅に、節制をし、悪いもの出すだけ出すと調子がよくなって元気になれるという思いがあって、水分と梅干し以外の断食も、そう嫌なものではなかった。酒代や食費は浮いた。食事の時間もとられない、支度や片づけはいらないで、けっこうな話だ。3㎏近く痩せたが、動いていたので、体脂肪や内蔵脂肪も大幅に減って、体内年齢は3歳は若返った。体調崩したのに、おかしな話だ。

1週間ほど、飲み食いをセーブするだけで、食への執着が減ってきたのが不思議だった。一時は、このまま夢の1日1食生活に突入できるのかとも、一瞬は思った。
が、そうはなかなかいかない。お付き合いもある。東海支部法座の後、様子を観ながら、久しぶりに飲食をした。同じ旅行組のご夫婦も体調を崩されたらしいが、ご主人は、正露丸を服用しながら、ビールを呑んでおられたのが、おかしかった。

食べるようになると、また食べたくなる。呑むようになると、また呑みたくなる。どうやら、今の食事は、生命維持のためというより、ストレス発散や楽しみ、家族とのコミニケーションといった付加価値の意味合いが強いような気がする。

1週間たって、やっと体調が戻ってきた。ただ少し小食になった気もする。もう一つ続けているのが、カフェインの量を減らすことだ。お茶もノン・カフェインの麦茶にし、コーヒーも朝1杯だけにしている。この方が、よい睡眠がとれる気がするのだが、しばらく試してみたい。

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