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2月の聖典講座~「衆生往生の果」(1)~

下巻の「衆生往生の因果」に入り、前回で「衆生往生の因」が終わった。今回より、衆生が弥陀の浄土に往生し、聖者(菩薩)として受ける果報(果徳)が広く説かれる「衆生往生の果」に入る。大きく五段に分科されるが、今回は、二十二願成就の一生補処の徳などを窺った。

 浄土の荘厳は、(1)正報-阿弥陀仏、菩薩衆(聖衆)と、(2)依報-その国土であるが、ここでは正報のうち、菩薩衆(聖衆)の果徳にあたる。実は、上巻の如来浄土の果におていも、「聖者の果報」(眷属果報)で説かれたところである。それを、さらにまとめて説かれいるのだが、最後には「百千万劫かけても説き尽くせない」と釈尊は結ばれている。

その聖者の果報の中心は、[(1)一生補処の徳(22願成就文)並びに21願成就文]【二八】である。
ここは、さらに細かく二分科(正説と嘆徳)されるが、まず正説で、往生者が、一生補処の徳、還相廻向の徳を得ることが述べられる。次いで嘆徳で、特にすぐれた光明を放つ観世音・大勢至の二菩薩の徳が述べられ、両大菩薩以外のすべての往生者も、三十二相の仏の相好を備えることが述べられている。

◎第二十二願=必至補処の願・一生補処の願(以上願文による名称)・還相廻向の願
 一生補処とは、次の生涯には仏になることができる位。一生を過ぎれば仏の位を補うべき地位で、菩薩の最高位。弥勒菩薩を「補処の弥勒」と称する。願文による名称。
 同時に、聖人は、これを還相廻向の願として、「但し、迷える衆生のために、弘き誓願の功徳をもって身を荘厳し、あまねく一切を救おうと思う者は除かれる」と、その深意を頂かれた。いつでも還相廻向によって、衆生済度ために娑婆に向かうのである。

◎特に、すぐれた二大菩薩とは、次ぎのお二人である。
 観世音菩薩=梵語・アヴァローキテーシュヴァラの漢訳。観自在菩薩とも訳される。苦悩する世間の人が観音の名を称えるものを聞き知って自在に救うとの意味がある。
阿弥陀如来の左の脇士。阿弥陀仏の慈悲の徳を顕す菩薩。
 大勢至菩薩=梵語・マハー・スターマプラープタの漢訳。大精進、得大勢とも訳される。智慧の勢いがあらゆるところに到るという意味。
阿弥陀如来の右の脇士。阿弥陀仏の智慧の徳を顕す菩薩。

◎第二十一願=具足諸相の願・三十二相の願
 仏の身体に具わる三十二種のすぐれた姿。相好(そうごう)ともいい、大きな特色が三十二相、細かなものは八十種好と言われる(大智度論による三十二相)。
唯識などによると、三阿僧祇劫といわれる仏の修行の期間を大まかにみると、最初の一阿僧祇劫で、情の煩悩を滅し、次ぎの一阿僧祇劫で、知の煩悩滅して、すべての煩悩を滅しきるのだが、さらに、最後の一阿僧祇劫で、煩悩の残り香までもを滅して、最後百大劫かけて、仏身を荘厳していくと言われている。

 ここでは詳細は略すが、三十二相の一つと一つを窺って、仏徳の尊さを頂いた。しかもそれが、凡夫の身にも、南無阿弥陀仏を信順するひとつで、すべて願力の働きによって、娑婆のいのちが終わり次第、実現するというのである。

[(2)供養諸仏の徳(23願・24願成就文)]【二八】
 浄土の往生人が、十方世界に赴いて、思うままに諸仏を供養する徳を述べる。

 ◎第二十三願=供養諸仏の願(十方の仏方に供養を捧げよう)
 ◎第二十四願=供養如意の願(十方の仏方の求めに応じて、供養の具を捧げさす)

[(3)聞法供養の徳]【二九】
 前(段が、十方世界での供養であったのに対して、自国たる極楽浄土において、阿弥陀如来の説法を聞き、宝樹、天人によって、如来同様に往生者も供養されると説く。

 次回は、3月6日(日)で、(4)説法自在の徳(25願成就文)からである。

 

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