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広島での三周忌法要

再建の華光会館の建設に、ご尽力くださったMさんの3回忌にお招きいただく。
そのお子さん方やお孫さん、そして従姉妹の皆さんも、華光同人なので、ご縁は深いが、それぞれの連れ合いの方とは、面識はあるが、仏法のご縁はなかった。
単なる法事ではなく、法供養として、また仏縁を結んでもらいたいとの願いから起こってきたので、喜んで参上させていただく。

皆さんと一緒に、声家に出してもらいたいので、お正信偈を勤めさせていただく。その後、浄土真宗の法事の意義についてお話させていただいた。

午後からは、華光同人の方も加わった法座となる。

「生まれてから今まで、お母さんやお父さんにどてことをしてもらいましたか? 思いつくだけ、できるだけたくさん書きましょう」

これが、今日の法座の教案だ。

以前、「親の恩はありすぎてかけません。ただただ感謝するだけです」と書かれた方があった。確かにその通りだが、それだけでは勿体ない。最初は、表面的なことしか思いだせないだろうが、小さなことでもいいので具体的な出来事を思い出していけば、ほんとうに芋づる式に、親のご恩徳が思い出させるのでかあるから不思議である。今回は、皆さん、思いの外、熱心に取り組んでくださった。

故人Mさんの思い出を、一言ずつお聞きしたあとに、親のご恩徳について尋ねる。
これが、まるで大河ドラマのような波乱万丈の話が次々と続き、感動させられた。

たとえば、満州での終戦を迎え、父親は抑留され、母親が5人子供連れて逃げるが、そのうち3名までは途中で死に、自分も弟も栄養失調で、餓死寸前で、足も立たなくなったという。そこからの母親のなりふり構わぬ奮闘で、日本行きの船に乗れたという。しかし、そこには子供二人も連れている親は稀だったというのである。みな子供を亡くしたり、生き別れたり、中国人に預けたりで、やっとひとりだけを背負ってきたりと、まさに山崎豊子の「大地の子」の風景だ。

または、さまざまなご因縁から養父母に預けられ、それが呉の空襲の火の海の中、自分の手を引いて、足が火の粉に触れない様に、飛ぶように手を引かれたという方の体験談も、すさまじかった。

しかも、それが単なるこの世の中の感激的な話に終わらず、その命があった不思議が、いま、ここでお念仏を喜ぶ不思議への大転換していくのであるから、こんな稀な、幸せ人達はおられないのである。

それらの声に刺激を受けたのか、これまで仏縁のなかった親族の皆様からも、とても尊いお話を聞くことができた。なかには、せつせつと両親のご恩を語ってくださり、「ぼくは死ぬのか怖くない。親二人が待っていてくれると思ったならば、こんな有り難いことはありません」と涙ぐみながの真摯な姿に、こちもが感動させられたりもした。

単なる勤行や飲み食いで終わらず、みんなが、心を開きあってみのりある法座を勤めることができた。これもきっと仏なって還相廻向くださる故人の仏徳のたまものであろう。

ありがとうございました。南無阿弥陀仏

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