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「真に一隅を照らすもの」~東海支部法座~

1Img_2749_22月に続き1月の東海支部は、栄のテレビ塔の近くの会場。

あらかじめ「真に一隅を照らすもの」と題しておいたが、説話部分には阿弥陀様も、後生も出てこない。冒頭は、伝教大師の「国宝とは何か?」から起して、一燈園の先生と余命のない不良少年との出会いの、いわゆる感動的な「いい話」である。もちろん、真に一隅を照らするは私の仕事ではなく、一隅で迷っている私を照らしてくださる御方は、阿弥陀様だということを、最後にお伝えしたかったが、これは物語のインパクトに取られて、あまり伝わっていないように思えた。

予想どおり座談会の反応はいろいろあった。教義的なご法話だとなかなか声がでづらいが、このテーマは、さまざまな反響がある。自分の問題としてご法を味わっていかれる方もあれば、「浄土真宗では、、」とばっさり切っていかれる方もあった。

なかには、「先生の意図はどこにあるのか。どう捉えるのが正解か」と、尋ねられた方があったのは、驚いた。ある会で聞いておられる方々である。正解を求めるのなら、このテーマは話さない。最初に断ったとおり、意図があるとすれば、正解Img_2754_2を覚えることではなく、さまざまな声があるが、その自分のところで感じたままを、できる限り自分に引き寄せて味わい、語り合ってほしいと思ったのだ。

その意味では、信仰座談会が活発だったのはよかった。しかし、だいたいが、不遇な境涯だったが、最後の出会いによって、合掌をして逝った卯一少年の後生を心配する声が多かった。が、誰も、「自分の後生は?」と問わないし、「自分は何のために生まれてきたのか」「ほんとうに『南無阿弥陀仏』と親の名前を呼んだのか」と、物語に沿って自分を問題とした声は、案外少なかった。
大半が、語として聞いて、その善し・悪しを話し合っていたような気がした。もう少し話し合いの時間があると、そこが深められたのかもしれなかったが、時間切れとなったのは、残念。

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