「それはそれとして」
報恩講のご法縁。
ご講師の先生方のご都合で、久しぶりにトップバッタで登壇する。
機法二種一具といわれる二種深信をお取次ぎ。他力回向の信相(すがた)であるので、信一念だけでなく、相続においても変わらない。ところが、最近、ご縁の浅い人のなかで、少しのこころの変化だけで、救われた、往生一定になって、もう地獄一定は卒業したような、軽薄な領解を耳にすることが気になっているからだ。
でも、伊藤先生いわく
「人のことは、ほっときなはれ」
なのであるが、ご縁がある人には、何かお伝えしたいと思いも強い。
もっとも往々にして、そんな人は、すぐにご縁がなくなる。「わが信やいかに、他が信はいかに」の信仰座談会が、怖いからである。
夜座の鈴木大拙師の「それはそれとして」のお話が印象的。
上(かみ)を今生事を殺さず、下(しも)で後生に転換する、お言葉である。
そう考えると、ぼくの言葉は、人を殺すかもしれないな。
伊藤先生、続けていわく
「まあ、いっぱい飲みなはれ」
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