« 再開です、たぶん | トップページ | お寺の紅葉 »

宍粟組連続研修会

Img_0793今年も、兵庫県宍粟組の連続研修会(連研)に講師としてお招きいただく。

宍粟組は24ケ寺ほどあるそうだが、団結力があって、ほとんどのお寺が持ち回りで会場(会所)を提供されている。連研は、門徒さんの中心となって法座活動を牽引する門徒推進委員を養成しようというもので、法座を単なる説教の聞き放しではなく、話し合い法座として位置づけられているのである。

しかし現実は、なかなかうまくはいっていない。寺院のなかで、自由な信仰座談会が活発になっているところは、ほとんど皆無といっていい。志があって連研を初めても、結局、作法だっただ、教義や勉強会になったり、せいぜいテーマに添った議論の場(これもなかなかない)であったり、ほんとうの意味で、自由な信仰の悩み、相談をする場になることはなっていないようだ。

その中でも、この組(そ)は、かなり健闘されている。毎回、時間の半分を座談会に当てられ、ぼくが「楽しい話し合い法座」というテーマで伝えた約束を中心に、話し合いの時間を大切にしようと試みられている。

話し合い法座というけれど、話し合うには、よく聞き合うことが先になる。
だからこそ、難しい。
しかし、だからこそ、面白い。
最近、つくづくその凄さを感じている。聞くことは、ほんとうの至高体験をもたらすものであるだが、ぼくはどこまでいっても聞くことが苦手だし、嫌いなんだともつくづく思う。ぼくの連れ合いには、「聞いたふりがうまい」というすごい特技あるが、ぼくは、聞いたふりすらうまくないのである。だからこそ、勉強をしたいとも思っている。その機会をいただいたご縁だ。

参加の皆さんは、逃げ腰だったけれど、人一組の「如是我聞」ゲームをさせていただいた。この評価は、いろいろあった。ご住職中には、こんな法座を持ちたいと思っておらる方もおられるし、反対に「真宗は、仏法(教え)を聞くことが大切なのだから、人間の愚痴を聞いてどうなるのか」と、反論されるご住職もおられる。参加者の皆さんだって、大半は、参加に消極的だけれども、住職に頼まれて、しぶしぶ参加されている方も、かなりおられることもわかる。
まず、そんな声でも、安心して出せる場であることが分かってもらえば、今回は収穫があったのではないだろうかなー。

それにしも、今夜はとても寒かった。ストーブがガンガンと焚かれていたけど、本堂は、すきま風が入ってきて、かなり冷え込んだ。

|

« 再開です、たぶん | トップページ | お寺の紅葉 »

法座と聞法」カテゴリの記事