12月の聖典講座~往覲偈(2)~
往覲偈の段落分けは、表になっているので、講座のプリントを参照してもらうとして、簡単に往覲偈の各行の大意を述べよう。
(1)菩薩の往覲(菩薩の往覲に寄せて、広く浄土往生を勧める)段
(一)菩薩の往覲と供養(1~7行)
無数の十方諸仏の国の菩薩たちが、阿弥陀如来の浄土に参詣し、如来を拝し(往いて覲るので往覲)(1・2)、華・香・衣を捧げて如来を供養し(3・4)、その徳を歌(口)で称え(5・6)、身で称え(6後)、自らの国土もこのような浄土にしたいと発願をする(7)。
(二)聞法と授記(8~15行)
そこで、阿弥陀如来が瑞相を顕すと(8・9)、聴衆は歓喜し(9後)、観世音菩薩の問いによって(10)、阿弥陀如来の説法が始まり、聞法する聴衆に、かならず仏の悟りをひらかせ、願いをかなえさせようと約束をされる(授記)(11~15)。
(2)諸仏の讃嘆(諸仏の讃嘆を通じて、聞法・聞名の重要さが説かれる)段
(一)得益と讃信(16~20行)
そして、十方の諸仏もそれぞれの自国の菩薩たちに、阿弥陀如来の浄土に往って、「法を聞いて悟りを開け」と勧めから始まり(16・17)、阿弥陀如来の本願力によって、名を聞くことにより、不退のご利益が得られることが説かる(18・19~20)。
(二)難信と勧信(21~30行)=〈梵本や『如来会』では、この部分は、経末の流通分に置かれている。前半と結合し、釈尊も諸仏の中の一人と見て、繰り上げられ諸仏のお勧めを説く箇所に組みこまれたと思われる。〉(参照・藤田宏達氏説)
もし善根を積まねば、この経を聞くことができず、宿世に諸仏にまみえる者は、進んでこの教えを聞こうと願うこと(21・22)、驕慢や邪見や懈怠の者は、本願が信じることが難しいと諭される(23)。如来のお心や智慧は、深く広くてはかり難いことを述べ(24~27)、人身を得、仏に遇い、その教えを信じることは極めて得難く(28)、その教えを仰いで大いに慶ぶ者は、わが(=釈尊)善き親友 であり(29)、ひるまずに聞法するなら必ず仏道が完成すると結ばれる(30)。
特に18行目の「其仏本願力 聞名欲往生 皆悉到彼国 自致不退転」は、重要だ。
古来、「破地獄の文」とも呼ばれる(法然聖人『和語燈』)。盆参でも勤行されている。
親鸞聖人は重視され、『行巻』大行釋に引用。『尊号真像銘文』*で釋されて、如来の本願力による、現生(此土)での聞法不退と頂かれた。
第十七願、第十八願、第十一願の三願意の場合。
第十八願意の場合。
*「又言 「其仏本願力 聞名欲往生 皆悉到彼国 自致不退転」(大経・下)と 「其仏本願力」といふは、弥陀の本願力と申すなり。「聞名欲往生」といふは、「聞」といふは如来のちかひの御なを信ずと申すなり、「欲往生」といふは安楽浄刹に生れんとおもへとなり。「皆悉到彼国」といふは、御ちかひのみなを信じて生れんとおもふ人は、みなもれずかの浄土に到ると申す御ことなり。「自致不退転」といふは、「自」はおのづからといふ、おのづからといふは衆生のはからひにあらず、しからしめて不退の位にいたらしむとなり、自然といふことばなり。「致」といふはいたるといふ、むねとすといふ、如来の本願のみなを信ずる人は、自然に不退の位にいたらしむるをむねとすべしとおもへとなり。「不退」といふは仏にかならず成るべき身と定まる位なり。これすなはち正定聚の位にいたるをむねとすべしと説きたまへる御のりなり。」(尊号真像銘文)
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