12月の聖典講座~往覲偈(1)~
『大経』も、下巻の「衆生往生の因果」に入り、まず「衆生往生の因」で、衆生が浄土往生する原因に、他力の念仏往生(11・17・18願成就文)と、自力での方便化土への往生である諸行(三輩)往生が説かれた。今日は、『往覲偈』によって、諸仏方による阿弥陀如来の讃嘆と、衆生への浄土往生のお勧めが説かれている段である。
『無量寿経』には、上巻に「讃仏偈」と「重誓偈」、下巻には「往覲偈」東方偈)の三つの偈文がある(ちなみに『観無量寿経』『阿弥陀経』には、偈文はない)。「讃仏偈」と「重誓偈」は、法蔵菩薩(阿弥陀如来)のお言葉で、この「往覲偈」は、釈尊の説法となっている。
偈とは、梵語の(gatha) =「伽陀」のことで、頌とも訳され、詩句をもって、仏をほめ、又は法義を述べること。必ず、四句をもって一行(一偈)とするが、「往覲偈」は、五言で、百二十句三十行(偈)の詩句となる。
「往覲」(おうごん)とは、十方諸仏国から菩薩が、弥陀の浄土に参り、阿弥陀如来を拝むことから始まる。往(ゆ)いて覲(み)るので「往覲」といわれる。
なお、親鸞聖人は、往覲」の左訓で、「往生し仏をみたてまつる」として、「往生」と頂かれた。このところは、悟朗先生の『三帖和讃講讃』上(59頁)の要点を参照していただきたいが、当面は、修行を積んだ菩薩方が、神通力をもって他の仏国へ往詣するのが普通であるのに、聖人は、如来の本願力によって往生し、阿弥陀仏を拝見するとされた。すなわち、他力によって参る往生浄土のことを示しているのである。
ほとんどの皆さんには、まったく馴染みない偈文だが、実は、遺体を納棺した直後の勤行として用いられるので、通夜の前に勤められることもあるのだ。また断片的な言葉や、親鸞聖人の和讃を通じては、よく聞き慣れた文もある。
偈文に先立ち「長行」(じょうごう=字数を定めない散文のこと)があり、ここでは、
初めに、(1)諸仏の阿弥陀如来の讃称を説かれ、
次いで、(2)諸仏国の菩薩の往詣(おうげい)が説かれる。
それを受けて、「往覲偈」では、その趣旨を重ねられ、
(1)菩薩の往覲と、
(2)諸仏の讃嘆がうたわれているのである。
ところで、十二礼に、往覲の御こころをうまくうたっておられる。
十方所来諸仏子 顕現神通至安楽
瞻仰尊顔常恭敬 故我頂礼弥陀尊十方より来きたれるところのもろもろの仏子、神通を顕現して安楽に至り、
尊顔を瞻仰してつねに恭敬す。 ゆゑにわれ、 弥陀尊を頂礼したてまつる。
それが、子供の聖典では、こうなっているのだ。
ここに集まる御子たちは 仏の力で参りきて、
慶び、敬いたてつまる お阿弥陀さまを拝みます
と、神通力ではなく、本願力とされていて、なかなか味わい深い意訳になっている。
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