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大阪支部の報恩講法座

華光会館を会場にした大阪支部の報恩講法座。

京都や大阪支部だけでなく、遠近各地からのお参りがある。

最近、ぼくの身の回りで起こっている人生の実相、無常の具体的な姿をとして、大経の三毒段の愼恚・愚痴のところで味わった。

座談の時、ある方がいわれた。

「人間だけが無常ではなく、犬やネコでも死ぬことには変わりはない」と。

 まったく当たり前のことだ。よく死が分かるのは人間だけだといわれるが、ほんとうのところ、ぼくたちは、どれだけ死を分かっているのだろうか。本能的には、動物だって、自らのいのちの危険が迫ると必至に抵抗する。人間と畜生を分けるのは、また無常繰り返していくのか、生死を超えていく道を歩むのかの違いではないか。仏法は、人間にしか聞くことができない。もし、人間に生まれながら、仏法を聞くことがないのなら、生まれて死んでいく、動物と大差がないということだ。

 

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