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華光大会

 華光大会も、盛会のうちに終わりました。

 通年の華光大会や総会の準備に加えて、追悼号や記念品の作成、「親指のふし」の再版、そして追悼展示に、追悼法要法座と、偲ぶ会の準備、それに伴うさまざまな事務作業と、短期間の間に、入念な準備が必要だったので、かなりたいへんな状況で、華光大会を迎えました。
 名古屋の姉も、何度も来館しては、宿泊で「み跡を偲ぶ展」の準備を行ってくれました。

 それでも、皆さまのご協力のおかけで、終わってみれば、とても尊い、それでいて楽しい集いとなりました。

 一時に比べると、人数は減りましたが、仏青の若い皆さんの活躍がまぶしかったです。「若いっていいな」という声が、あちらこちらから聞こえてきました。

 法話も、それぞれの先生の悟朗先生の思いと共に、レリーのバトンが次々とわたるように、ご法が取次ぎされていくようでした。

 二人の若い先生方の表白も、法要での追悼文も、定型の文章ではなく、それぞれの篤い思いが伝わる内容でした。その場にいなければ、なかなか伝わりづらいものでしょうが、これは次号の華光誌に掲載したいです。さっそく、今日から華光誌新年号の準備に入りました。

 夜の偲ぶ会も、予定を1時間オーバーして、参加者のそれぞれの「如是我聞」を聞かせていただきました。口々に讃える言葉は違っても、最後は、法に統一されるかのようでした。

 個人的に尊かったのは、父の定位置だった3階講師室での分級座談会での一こま。

 自己紹介を待たずに、「後生がわかりません!」と、全力で分からないことは、頭を下げて聞くという姿勢で、ぶつかってくださる同行の姿勢に、心が震えました。きれいごとの往生極楽だけを握って、卒業したくても、そう問屋は卸しません。常に、「地獄一定すみかぞかし」の身に定めていただく、わが身の地獄を引き受けなければ、ほんとうの安心はないのです。結局、念仏も捨て、聞いたもの捨て、助かかるも捨て、すべてを捨てた時に、何が立ち上がったくるのかです。そして、聞き手が真剣にぶつかってくれるのなら、こちらも裸になって話させていただきました。そんな尊い場こそが、華光の法座です。
 最後に、皆さんで眺めの称名念仏を申させていただきました。「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」とお念仏のの声が響き渡ったる中で、その皆さん方の口称念仏から、一瞬、父の姿が立ち上がり見えたような錯覚に陥りました。もちろん、それはぼく個人の感覚的なものにすぎません。それでも、念仏の法座には、南無阿弥陀仏となって影向しておられるのだと、お念仏のお働きを感じさせられました。

 お世話の皆様、ありがとうございました。

 

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