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2015年11月の16件の記事

大阪支部の報恩講法座

華光会館を会場にした大阪支部の報恩講法座。

京都や大阪支部だけでなく、遠近各地からのお参りがある。

最近、ぼくの身の回りで起こっている人生の実相、無常の具体的な姿をとして、大経の三毒段の愼恚・愚痴のところで味わった。

座談の時、ある方がいわれた。

「人間だけが無常ではなく、犬やネコでも死ぬことには変わりはない」と。

 まったく当たり前のことだ。よく死が分かるのは人間だけだといわれるが、ほんとうのところ、ぼくたちは、どれだけ死を分かっているのだろうか。本能的には、動物だって、自らのいのちの危険が迫ると必至に抵抗する。人間と畜生を分けるのは、また無常繰り返していくのか、生死を超えていく道を歩むのかの違いではないか。仏法は、人間にしか聞くことができない。もし、人間に生まれながら、仏法を聞くことがないのなら、生まれて死んでいく、動物と大差がないということだ。

 

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勧修寺から随心院へ(2)

Img_0670_2 勧修寺から、1キロ足らずで、小野の随心院へ。
地名が示すとおり、小野は、小野一族、中でも絶世の美女、小野小町のゆかりの寺だ。ここは、有名な小町と深草少将との悲哀の地でもある。勧修寺同様、平安時代に創建された真言宗の大本山で、梅Img_0679_2の名所でもある。

 ここはお寺にあがって、書院からお庭を眺める。今日は、夜間拝観もあるようだImg_0743が、ちょうどその間際で、ここも静かである。が、板の間に足が冷たすぎで、長居はちょっと厳しい。

Img_0726_2 夕暮れが迫っているが、紅葉の色もいまひとの感はある。それでも、ここもまた門跡寺院として優雅な佇まいはある。今年は、紅葉の見ごろが早いようで、もう1週間ほImg_0705ど前だったら、もっと美しかっただろ。

 随心院には、小町の晩年の姿とされる卒塔婆小町像があるが、なぜか、源信僧都Img_0668_2の作と伝えられている。

 近場にありながら、二つの門跡寺院は、ともに真言宗十八本山で、静けさの中に、Img_2731_2雅びで、上品な佇まいだったのが、印象的。

 何より、母が喜んでくれたのが、いちばんうれしかった。

 今日は、母の80回目の誕生日の祝いを兼ねていたので、夜は、Rちゃんも誘って、夜は外でお祝いした。
 毎年のことたが、母の誕生日は、華光大会に重なって、回りも忘れらがちになる。裏方に徹してきた母らしいといえば、いちばんそうである。今年も、慌ただしい華光大会の前日のことで、バタバタとその日過ぎてしまって、思い出したのは、大会が終わってから。恥ずかしながら、親のご恩なんて、上っ面だけのことだなー。
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勧修寺から随心院へ(1)

Img_0531_2恒例の秋の紅葉狩り。

今年は、父がいない。子供たちもいない。それでも、まだ母が元Img_0536_2気なうちは、楽しみにしてくれている。ただ坂道や石畳を歩くは不自由だし、あまり広くないところとなると、選定が難しかった。

Img_0562今年は、会館から20分ほどの山科の勧修と、すぐImg_0591_2近くの小野の随心院へ。 

母が長期入院していた深草の昔のImg_0538_2国立京都病院を抜けて、山科の勧修寺地区へ。
地名は「かんしゅうじ」だが、お寺の名称Img_0578_2は、「かじゅうじ」と読むらしい。

平安時代、900年頃の創建されImg_0599_2た長い歴史がある真言宗の大本山で、昔は、時の最高権力者とも争Img_0597_2う大寺だったという。宸殿は、江戸時代の御所が移築される門跡寺院でもある。水戸黄門からの灯篭の周りには「ハイビヤクシン」が、不思議な形態で覆っている。しかし喧噪とした京都の観光地ではなく、拝観者もまばらで閑散としている。静寂のなかで、ゆっくりと回遊式のお庭をみせていImg_0618ただく。借景も美しい。こんな場所に由緒ある門跡寺院があるのが、京都の奥深さである。今年の紅葉は例年より早く落葉が始まり、しかも前日までは雨や風も続いて、見ごろは過ぎていImg_0627_2る。それでも、門跡寺院の雅びで、上品Img_0640_2な雰囲気があるお庭に紅葉が映える。

受付の方に話を窺うと、春は、桜の隠れた名所で、6月からは、菖蒲、カキツバタ、そして、蓮とつづく、夏は池の回りが見事だという。その時期にもう一度、訪れてみたい気分にさせるたいといImg_0664う雰囲気は充分。

紅葉以外にも、「かぶれます。触らないで」書いてあったらと、触れたくなるような、うるしも赤く染まっていたり、芙蓉(かな、あまり自信なし)が青空に映えていたりと、美しかった。
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四十八願のこころ(9)第十八願文

「たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、至心信楽して、わが国に生ぜんと欲ひて、乃至十念せん。もし生ぜずは、正覚を取らじ。ただ五逆と誹謗正法とばを除く」  (第十八願・至心信楽の願)

「わたくし法蔵が、仏になるとき、全宇宙の生きとし生きる者が、心の底から信じ、わが浄土に生まれたいと願い、わずか十回でも念仏したとして、もしわが国に生まれることがないようなら、わたしくは決してさとりを開きません。ただし、五逆の罪を犯した大罪人と、仏の教え謗るものは除きます。」

 第十八願は、四十八願の中で、もっとも根本の願いなので、ご本願と言われます。もし、この十八願がなくて、他の四十七願だけが素晴らしかっても、本願の意味はありません。それは、「十方の衆生よ」と、すべての人々をわが浄土に生まれさせたいと願われました。それは、人間だけではなく、動物や昆虫などの畜生に、地獄や餓鬼で苦しむ者、天上界で楽しみだけの者など、あらゆる世界の生きる者に対して、「苦しみや悲しみ、差別や争いなどの一切の不安のない、わが安楽の国に生まれさせたい。そのためには、わが身を捨ててでも、あなたを幸せにしてみせよう」という、法蔵菩薩さまの大悲心の結晶なのです。そして、「どうかこの願いを信じておくれ。そしてわが名を称えておくれ」と、呼び続けてくださっているのです。そこに「若不生者 不取正覚」のおこころが光ります。
 最後に「ただし」と、但し書があるのも、十八願だけです。そこに、両親を殺し、僧を殺し、教団の和を乱し、仏を傷つけるものや、仏法を謗るものは除くとあります。「すべての人々を救いたい」の願いと、この「唯除」のお心は、矛盾するように見えます。しかし、この抑止(おくし)の一文は、大恩あるものや仏様に背く、わたしの姿そのものです。そのことで、いよいよこのご本願が、誰をお目当てに建てられたのかが、明かになってきます。みんなを救うご本願は、如来さまに背くわたくし一人のためのご苦労だったのです。

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11月の聖典講座~十九願成就文(2)

 菩提心についても触れました。 
 
 菩提=ボーディー・心=チッタ。仏の悟りに至り、仏智を得ようという心。この心を起こすことを、「発菩提心」という、すべての仏道の出発点です。菩薩道も、「上求菩提、下化衆生」といいますね。

 ところが、法然聖人は、専修念仏の立場から、この菩提心を否定するかのような教えを打ち出したため、聖道門からの激しい弾圧を受けるきっかけのひとつになります。それが明恵上人の『摧邪輪』の批判にもつながり、また、同時に、親鸞聖人が『教行信証』を執筆される動機の一つは、明恵上人の批判への反駁のためだとも考えられているのです。

 丁寧に窺うと、法然聖人が否定されているのは、行としての菩提心です。でも、それは確かに伝わりづらいものです。
そ れに対して、親鸞聖人は、菩提心に、自力と他力を分別されます。分かりやすいところでは、正像末和讃のご和讃にあります。そこでは、如来廻向の信心は、願作仏心(自利)・度衆生心(利他)の徳をもち、浄土の大菩提心である、といのうが浄土真宗の立場となります。

  ところで、この成就文には、菩提心に続いて、「一向専念無量寿仏」(一心に無量寿仏を念じよ)とあり、菩提心のあとで、念仏が強調されて、修諸功徳が説かれていきます。その諸行と念仏のとらえ方の違いで、この成就文の親鸞聖人と法然聖人の見方が相違が起こってきます。

 親鸞聖人は、これは『観無量寿経』の救いで、「諸行往生なり」ととられておられます。

 法然聖人は、これを「三輩念仏往生の文」(『選擇集』)で、念仏往生の成就文とみられました。

 この相違は、義門の不同による相違によるものです。つまり、
 法然聖人は、これを経文の本意からみて、諸行を廃して、念仏を勧めておられる。念仏往生の立場。
 親鸞聖人は、これを経文の当相からみて、諸行・念仏並説で、正助・正傍の立場で、これは諸行往生だとされています。

 もう少し詳しく法然様の見解を『選擇集』から窺いましたが、ここでは、簡単に触れときます。

*「それぞれに諸行が説かれるのに、なぜ、ただ念仏往生と言えるのか?」
 善導大師の『観念法門』を引用し、「一切衆生の根機は不同で、それぞれに応じて、『みなもつぱら無量寿仏の名を念ぜよ』と勧めるためだ」

*「なぜ、諸行を棄ててただ念仏といふ真意はどこにあるのか。」
 一には、諸行を廃して念仏に帰せしめんがために、しかも諸行を説く。
  念仏が立、諸行は廃。廃立。⇒善導大師から、これを正とする。
 二には、念仏を助成せんがために、しかも諸行を説く。
  念仏が正業、諸行は助業。正助。
 三には、念仏・諸行の二門に約して、おのおの三品を立てんがために、しかも諸行を説く。念仏が正で、諸行は傍。正傍。

 「三義不同ありといへども、ともにこれ一向念仏のための所以なり」

ここでは、法然さまは、一の立場、親鸞さまは、三の立場から、ご覧になっているわけです。

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厳しい無常の道理

 今年の大会中、訃報が相次いだ。

 初日を前に、ある同人のお母様の訃報が入る。電話口から聞こえるすすり泣く声は、とぎれどぎに震えていた。これまでのご因縁をお聞きしているので、彼にとって、最愛の肉親の死の意味の大きさが伝わり、胸に突き刺さる。

 同じく、大会中には、参加者のある同人のご子息が、まだ20代で突然の訃報が届き、途中で、帰宅された方があった。今度は、親が子を亡くして、悲しまねばならない。

 時を同じくして、古参の同人で、そのおじいさんからお母さんへ、そしてご本人やご家族へ。それが、お子さんやお孫さんへと華光とのご縁が続く中で、ぼくと同級生の方の訃報も届く。ご家族の中では、いちばんご因縁は浅い方だったが、それでも子供大会や仏青にも参加くださっていた。なによりも、大病以降は、進んで仏教に関心を寄せて、仏書を読みあさっておられたというのである。

 少し前には、ご縁があって、法名を付けさせていただいたが、仏教に関心をもらっておられたその方に相応しいものと考えさせていただいた。

 葬儀は、大会の翌日になったので、生駒の葬儀会館まで参列させていただいた。

 ご家族の悲しみが痛いほど伝わってくる。特に、子供亡くされたご両親の悲しみは計り知れない。厳しい無常の現実に泣き崩れたお父様のお姿が、痛々しかった。静かに背中に手をかけさせていただいた。
まさしく仏説まことを聞かせていただくばかりである。

「人は世間の情にとらわれて生活しているが、結局独りで生れて独りで死に、独りで来て独りで去るのである。すなわち、それぞれの行いによって苦しい世界や楽しい世界に生まれていく。すべては自分自身がそれにあたるのであって、だれも代わってくれるものはない。」(p90・「浄土三部経 現代語版」より)

「生まれ変り死に変りして絶えることのないのが世の常である。あるいは親が子を亡くして泣き、あるいは子が親を失って泣き、兄弟夫婦も互いに死に別れて泣きあう。老いたものから死ぬこともあれば、逆に若いものから死ぬこともある。これか無常の道理である。すべてははかなく過ぎさるのであって、いつまでもそのままでいることはできない。」(p102・浄土三部経 現代語版」より)

「あるときは、一家の親子・兄弟・夫婦などのうちで、一方が死に一方が残られることになり、互いに別れを悲しみ、切ない思いで慕いあって憂いに沈み、心が痛み思いをつのらせる。そうして長い年月を経ても相手への思いがやまず、仏の教えをとききかせてもやはり心が開かれず、昔の恩愛や交流を懐かしみ、いつまでもその思いにとらわれて離れることができない。心は暗く閉じふさがり、愚かにも迷っているばかりで、落ち着いて深く考え、心を正しくととのえてさとりの道を励み、世俗のことを断ち切ることができない。こうしてうかうかしているうちに一生が過ぎ、寿命がつきてしまうと、もうはや悟りを得ることができず、どうするすべもはない。
まことに世間はあわただしくて、何一つ頼りにすべきものがない。にもかかわらず………」(p103・浄土三部経 現代語版」より)

 ああ、「大経』の三毒段のご説教の通り。 だからこそ、いま、この元気をうちに、一刻も早く、真実のお念仏様に会わせていただかねばならない。南無阿弥陀仏

 

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華光大会

 華光大会も、盛会のうちに終わりました。

 通年の華光大会や総会の準備に加えて、追悼号や記念品の作成、「親指のふし」の再版、そして追悼展示に、追悼法要法座と、偲ぶ会の準備、それに伴うさまざまな事務作業と、短期間の間に、入念な準備が必要だったので、かなりたいへんな状況で、華光大会を迎えました。
 名古屋の姉も、何度も来館しては、宿泊で「み跡を偲ぶ展」の準備を行ってくれました。

 それでも、皆さまのご協力のおかけで、終わってみれば、とても尊い、それでいて楽しい集いとなりました。

 一時に比べると、人数は減りましたが、仏青の若い皆さんの活躍がまぶしかったです。「若いっていいな」という声が、あちらこちらから聞こえてきました。

 法話も、それぞれの先生の悟朗先生の思いと共に、レリーのバトンが次々とわたるように、ご法が取次ぎされていくようでした。

 二人の若い先生方の表白も、法要での追悼文も、定型の文章ではなく、それぞれの篤い思いが伝わる内容でした。その場にいなければ、なかなか伝わりづらいものでしょうが、これは次号の華光誌に掲載したいです。さっそく、今日から華光誌新年号の準備に入りました。

 夜の偲ぶ会も、予定を1時間オーバーして、参加者のそれぞれの「如是我聞」を聞かせていただきました。口々に讃える言葉は違っても、最後は、法に統一されるかのようでした。

 個人的に尊かったのは、父の定位置だった3階講師室での分級座談会での一こま。

 自己紹介を待たずに、「後生がわかりません!」と、全力で分からないことは、頭を下げて聞くという姿勢で、ぶつかってくださる同行の姿勢に、心が震えました。きれいごとの往生極楽だけを握って、卒業したくても、そう問屋は卸しません。常に、「地獄一定すみかぞかし」の身に定めていただく、わが身の地獄を引き受けなければ、ほんとうの安心はないのです。結局、念仏も捨て、聞いたもの捨て、助かかるも捨て、すべてを捨てた時に、何が立ち上がったくるのかです。そして、聞き手が真剣にぶつかってくれるのなら、こちらも裸になって話させていただきました。そんな尊い場こそが、華光の法座です。
 最後に、皆さんで眺めの称名念仏を申させていただきました。「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」とお念仏のの声が響き渡ったる中で、その皆さん方の口称念仏から、一瞬、父の姿が立ち上がり見えたような錯覚に陥りました。もちろん、それはぼく個人の感覚的なものにすぎません。それでも、念仏の法座には、南無阿弥陀仏となって影向しておられるのだと、お念仏のお働きを感じさせられました。

 お世話の皆様、ありがとうございました。

 

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追悼号が完成!

 大会を前に、「増井悟朗先生追悼号」が、完成してきた。
 大会以降ということも考えられたけれど、頑張った甲斐があって、なかなかいい出来のものとなった。

 大会にご参加くださった方全員と、華光誌購読者には、すべて行き渡るようになっている。

  華光大会での追悼法要の準備で多忙を極めるが、追悼法要で配布できるよう編集を急いだ。90名の方から玉稿を賜ったが、誌面の都合で、大幅な短縮やタイトルの変更など、かなり修正したことをご了解いただきたい。締切り後に届いた原稿は、掲載できなかったものもあり、とても残念だった。

 たくさんの原稿の入力には、同人のお手伝いがあり、事務所の皆さんも、最後の方は、連日、深夜までの作業となったが、皆さんの頑張りがあったことで、大会までの完成となった。

 題字も、表紙のデザインも、父ものだ。

 どうぞ、お楽しみに。

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アンコール・ワートに行こう!

来年1月20日(水)~26日(月)の日程で、カンボジアの「アンコール遺跡群」を巡拝する計画だ。

いま、広く参加者を募っている。

締め切りは12月10日だが、いまのところ、まだ6名しか申込みがないという。

大会の仕事の合間、あちこらこちらに電話をして参加を促していおる。最初から、予定してくださっている方も、あったが、それ以外は、意欲があっても休みがとれない方、時間とお金があってもまったく意志のない方、意欲や休みはあっても、お金がない方…。お金も、時間も、気持ちもあるのに、体が不調の方などなど、それぞれにいろいろな理由があって、けっこう面白かった。結局、これも縁ということになる。

インドやシルロードに比べると、行程も飛行機もずっと楽だし、費用も割安だ。それでも、なかなか行く人はない。

ああ、「カンボジアは行(往ではない)きやすくして、人なし」だなーと思っていたが、それでもお誘いすることに意義はあった。ひとり増え、二人増え、夫婦で増えてと、とうとう説明会を前に、実施人数に達した。これで計画通り、旅は実現しそうなので、一安心である。まだ迷っておられる方もおられるので、締め切りまで熟考くださって、ひとりでも多くの方にご参加いただきたい。

なお、華光大会3日目、23日(祝)午後0時~1時に、華光会館研修場で、トラベルサライさんによる説明会があります。迷っておられる方やひやかしの方も大歓迎です。

 

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ポストカード

Post_card_1_2 大会当日、「追悼号」と共に、ご喜捨の皆様に粗供養品と配布するポストカードを作製した。
例によって、Rさんに一肌脱いでいただいたが、悟朗先生を偲ぶ意味で、先生の書や絵を選んだ。

 これは大遠忌の時もそうだが、選びたい作品は多いなかで、色紙の作品に絞り、合計8枚を選ぶのが苦労した。
一応、試作品としてほかにも、絵や書も試してもらったが、何枚かは脱落した。
選択思惟である。選び取りと選び捨てをしたわけだが、けっして劣っているものを捨てたのではなく、全体のバランスで、漢字の書だけに偏らず、絵やかなも入れたので、 泣く泣く選から漏れるものが出てきたというわけである。たとえば、この大経の言葉。
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11月の聖典講座~三輩段~

下巻の「衆生往生の因果」に入り、まず「衆生往生の因」で、衆生が浄土往生する原因に、他力の念仏往生(11・17・18願成就文)【二二】が示されたのに続き、今回
は、自力での方便化土への往生である諸行(三輩)往生【二三~二五】の段にはいった。

 これは、第十九願成就文にあたり、自力の諸行往生には、それぞれの能力(根機)と、行の浅深に応じて、上輩・中輩・下輩の三種に分けられるので、三輩段とも称されるところだ。その概要を窺うと、
 
(1)まず総説で、諸行往生に三輩(上輩・中輩・下輩の三種)のあることが示され、

(2)上輩…出家者-悟りを求める心(菩提心)を起こし-一心に弥陀を念じ、
 さまざまな功徳を積んで、浄土往生を願う者で、
 阿弥陀仏の来迎引接がある。 

(3)中輩…在家者-悟りを求める心(菩提心)を起こし-一心に弥陀を念じ、
 善行し、寺や仏像を造るなどの功徳を積み、その功徳で浄土往生を願う者で、
 化仏の来迎引接がある。

(4)下輩…在家者-悟りを求める心(菩提心)を起こし-ひたすら念仏を称える者で、
 来迎引接はないが、臨終に、夢中で見仏する。

 第十九願文には、「修諸功徳」-もろもろ功徳を修する-とあるが、『観経』では定善・散善にあたり、この成就文では、三段階に区分される。もう少し詳しくみると、

上輩=家を捨て、欲を棄てて、沙門(僧)になる。 

中輩=在家のままで、多少の善を修する。すなわち
 八斎戒(五戒+衣食住の贅沢を誡める)守る。      
 堂・塔(寺院)を建て、仏像を造る。 
 僧を供養し、仏前に天蓋をかけ、燈明、散華、焼香するなどである。

下輩=在家で功徳は修めらないが、無上の菩提心を起こすのであり、

と能力に応じて違いがあるが、いずれもその功徳を仏に廻向し、願生浄土するのである。

 つまり、それぞれの能力に応じて、実践行の浅深があり、それに伴う得益も、それぞれ差別がある。俗ぽくいうと、頑張れば頑張る人ほど、仏様の来迎、浄土への旅も、ファースト、ビジネス、エコノミーの差が出るというのである。

 差別的であるが、私達凡夫の常識からみても、分かりやすく、常識的な内容なのである。しかし、これは超世の悲願とはならない。

「来迎は諸行往生にあり、自力の行者なるがゆゑに。臨終といふことは、諸行往生のひとにいふべし、いまだ真実の信心をえざるがゆゑなり。また十悪・五逆の罪人のはじめて善知識にあうて、すすめらるるときにいふことなり。真実信心の行人は、摂取不捨のゆゑに正定聚の位に住す。このゆゑに臨終まつことなし、来迎たのむことなし。信心の定まるとき往生また定まるなり。来迎の儀則 をまたず。(『御消息集』一通)735 

 第十八願は浄土真宗は、信心の定まる時に往生が定まるのであり、臨終来迎はたのむ必要がないのである。

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有漏の穢身

 「すべての水道を止めてもらえますか。計測時にメーターが動き続けていて、気になります」と、メーター計測員から指摘を受けた。水をすべて止めたが、やはりメーターは留まらない。どこかで漏水しているのだという。すぐに業者を呼んだ。

 会館の回りを点検されたあと、地下にある貯水タンクに直行。すると貯水タンクの中で給水口のジャックが老朽化し、そこから水が漏れていることが、すぐに判明した。まったく目に見えないところなので、気付くことはない。しかもタンクは満水になると、排水する仕組みがあるので、水が外に漏れることもないは幸いだったが、その分、発見は遅れた。
 
 広島法座に出かける前に、工事にこられたが、部品を取り替えると、メーターは留まった。

 目に見えないところで、昼も夜も、常に漏れ続けているとは、まったくわたしの罪業そのものだ。煩悩は、有漏(うろ)と呼ばれるけれど、わたしが感じられる罪悪観など、氷山の一角にすぎず、ほとんどが気にもかけないところで、寝ている間も漏れ続けているのである。

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百カ日法要

華光大会を前に、百カ日法要を営む。 家族だけでのお勤めの予定だったが、ご縁あって、連れ合いのお姉さんが御参りくださった。一同で、正信念仏偈を読誦した。

早いもので、父の逝去から100日が経過したのが、あまり実感かない。 通夜や葬儀の準備は、短時間での作業だったので、あっという間にすぎた。 その後、各支部などでも、追悼のお勤めをさせてもらい、四十九日も終わって、普通なら、少し落ち着く当たりから、追悼法要の準備に、追悼号や粗供養品の作製などが、一斉に始まって、最近のほうがずっと慌ただしい。もろもろある役所や保険などの娑婆の手続きも、もう少し時間がかかりそうだ。

華光大会で追悼法要です。奮ってどうぞ。

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華光大会、締め切り!

華光大会の締め切りです。
早くから告知したこともあって、お申し込みも順調です。
2日目の偲ぶ会も、定員オーバーですが、出来る限り、道場だけで行いたいと思っています。

今日で、食事や宿泊は〆切りましたが、参加のみの場合はまだ大丈夫です。
出来る限り、当日までにご連絡ください。なお、今回は、事前振込なので、ご注意ください。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/event/2015/detail/11/kekotaikai2015-11.htm

なお、華光大会に合わせて、2Fの教室や廊下を中心にして、「み跡を偲ぶ展」~増井悟朗先生 弘法のあゆみ を開催します。

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『親指のふし』の再版が完成

 追悼号のデータを渡した前後して、再版した『親指のふし』が届けられた。
 
 大会を前に、法話集第1集の『親指のふし』が品切れになったのだ。法話集は、その後、第2集『念仏の雄叫び』を法蔵館から、第3集『後生の一大事』を白馬社から発行したが、やはりよく売れるのは、『親指のふし』で、すでに6版を重ねている。

 37年も前のものなので、内容の一部に時代を感じるところもあるが、初の法話集ということで、ご自分の半生や、具体的な事例が多くて、父もいちばん気合が入ってたい一冊だ。

 いちばんの問題は、在庫の収納場所。Tさんも、倉庫の整理に引き続きご苦労くださった。

 ぜひ、これを機会に初めての方にもお勧めいただいたり、あらためてご一読いただくと幸いです。せいぜいご活用ください。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/book/oyayubi.htm

 米国のクライド氏からは、英訳されたデータをいただいている。なかなかうまく活用できていないのが、ぜひ、なんらかの形で日の目をみせたいものだ。

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「追悼号」印刷所へ

華光大会の追悼法要に向けた準備に追われて、ブログもしばらく休んでいた。
11月に入って、聖典や伝道、華光誌輪読に、日高支部などの法座にも触れられていない。

何もかもが、一切に重なってきた。

大会から逆算すれば、それも当然のとこだが、ほんらい予定していなかったことなので、なかなかたいへんだった。

今日は、当日に配布「追悼号」のデータが完成し、やっと印刷所に渡った。
これで前日には完成し、袋詰めできる段取りである。

字数を少し小さくし、行数なども増やしたが、それでも通常の華光誌(40頁建て)の2倍以上の量。実に90名の方から、先生を慕い、偲ぶが一文が寄せられてたが、制限字数をオーバーするものは、短くする必要があって、編集はたいへんで、事務所の皆さんも、連日、深夜までの作業が続いた。華光大会に配布するのは、ぎりぎりのリミットだ。

文章の間には、先生との思い出の写真も入れたが、残念ながら、全員というわけにはいかず、ほんの一部だけ。

それでも、写真一つでも、90年分は膨大だ。かなり戦争で焼けているので、実質60年分だが、かなりの量が残っている。写真好きだったということもあるが、行事や海外への布教などで、撮影されたものも、量は半端ではない。きれいに整理されているものばかりでのないので、すべてを確認したわけではないが、出来る限り、思い出の残るものを選んだが、それでも、父の足跡のほんのわずかでしかないことを、つくづく痛感させられた。

追悼大会にご参加くださる方全員に配り、華光誌購読者には、新年号に同封する予定でいる。

どうぞ、お楽しみに。

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