11月の聖典講座~三輩段~
下巻の「衆生往生の因果」に入り、まず「衆生往生の因」で、衆生が浄土往生する原因に、他力の念仏往生(11・17・18願成就文)【二二】が示されたのに続き、今回
は、自力での方便化土への往生である諸行(三輩)往生【二三~二五】の段にはいった。
これは、第十九願成就文にあたり、自力の諸行往生には、それぞれの能力(根機)と、行の浅深に応じて、上輩・中輩・下輩の三種に分けられるので、三輩段とも称されるところだ。その概要を窺うと、
(1)まず総説で、諸行往生に三輩(上輩・中輩・下輩の三種)のあることが示され、
(2)上輩…出家者-悟りを求める心(菩提心)を起こし-一心に弥陀を念じ、
さまざまな功徳を積んで、浄土往生を願う者で、
阿弥陀仏の来迎引接がある。
(3)中輩…在家者-悟りを求める心(菩提心)を起こし-一心に弥陀を念じ、
善行し、寺や仏像を造るなどの功徳を積み、その功徳で浄土往生を願う者で、
化仏の来迎引接がある。
(4)下輩…在家者-悟りを求める心(菩提心)を起こし-ひたすら念仏を称える者で、
来迎引接はないが、臨終に、夢中で見仏する。
第十九願文には、「修諸功徳」-もろもろ功徳を修する-とあるが、『観経』では定善・散善にあたり、この成就文では、三段階に区分される。もう少し詳しくみると、
上輩=家を捨て、欲を棄てて、沙門(僧)になる。
中輩=在家のままで、多少の善を修する。すなわち
八斎戒(五戒+衣食住の贅沢を誡める)守る。
堂・塔(寺院)を建て、仏像を造る。
僧を供養し、仏前に天蓋をかけ、燈明、散華、焼香するなどである。
下輩=在家で功徳は修めらないが、無上の菩提心を起こすのであり、
と能力に応じて違いがあるが、いずれもその功徳を仏に廻向し、願生浄土するのである。
つまり、それぞれの能力に応じて、実践行の浅深があり、それに伴う得益も、それぞれ差別がある。俗ぽくいうと、頑張れば頑張る人ほど、仏様の来迎、浄土への旅も、ファースト、ビジネス、エコノミーの差が出るというのである。
差別的であるが、私達凡夫の常識からみても、分かりやすく、常識的な内容なのである。しかし、これは超世の悲願とはならない。
「来迎は諸行往生にあり、自力の行者なるがゆゑに。臨終といふことは、諸行往生のひとにいふべし、いまだ真実の信心をえざるがゆゑなり。また十悪・五逆の罪人のはじめて善知識にあうて、すすめらるるときにいふことなり。真実信心の行人は、摂取不捨のゆゑに正定聚の位に住す。このゆゑに臨終まつことなし、来迎たのむことなし。信心の定まるとき往生また定まるなり。来迎の儀則 をまたず。(『御消息集』一通)735
第十八願は浄土真宗は、信心の定まる時に往生が定まるのであり、臨終来迎はたのむ必要がないのである。
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