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「玄奘~迷いつづけた人生の旅路」展

Img_9254先日、会期末を前に、龍谷ミュージアムで「玄奘三蔵と薬師寺」を観る。実は、この名は仮題であって、正式名称は、「玄奘~迷いつづけた人生の旅路」という冠されていた。ただ、このサブタイトルには少し異論がある。若い時にはいろいろと迷いのあった玄奘さんだろうが、その生涯は求法の道を歩み続けられ、インドからの帰国後は、翻訳の一大事業に、一生涯、全身全霊を傾けられたからだ。「求法」とImg_9260「伝道」、つまり、生涯を「法」を中心にした旅路で゛その方向には一点の迷いもなかったのではなかろうか。

それはともかく、玄奘さんの生涯に多角的に光をあてた展示で、(1)「どんな人?」、(2)「その伝記」、(3)「仏教に出会う」、(4)天竺に旅する、(5)唐に戻り訳経に挑む、(6)死してなお…の六章仕立て。さまざまな面の玄奘三蔵さんが映し出されていた。地球一周がImg_92554万キロだが、彼の旅は、最低でも3万5千キロというのだから、ほぼ地球1周近い旅というのも凄まじい。また翻訳事業の功績も凄まじく、中国で翻訳(漢訳)された経典のうち、1/4は彼の仕事だというのである(75部-1335巻・鳩摩羅什さんは、74部-384部)。それには、膨大な資金が必要で、中国の皇帝のみならず、西域や印度の王などからも、惜しみなく援助を引き出すだけの政治力を兼ね備えていたというのである。

ぼくの心に残った2、3のことを記すと、

ますは、チームでなされていた経典翻訳の「訳場」のイメージ図を眺めるImg_0104と、翻訳がどのようになされたのかが想像しやすくなったこと。
旅の守護者は、弥勒菩薩であり、観音菩薩であるが、もうひとり「深沙大将」という神で、後悟浄のモデルになっるのだが、さまざまな絵画や単立でもおまつりされるようになっているが、時にに荒々しく、時にユニークな像は微笑ましかった
最後に、玄奘三蔵さんの尊敬するは、「菩提流支」三蔵さんで、鳩摩羅什さんじゃないんだなー。

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