仏青~高山支部合同法座
今回の仏青~高山支部合同法座には、遠近各地から大勢の方が集まってくださった。7月の壮年~広島合同支部もそうだが、各支部との合同法座は、地元同人も張り切ってくださるし、遠方からの参加者も多い。今回も、福岡、大分の九州組、高知や広島、関西組と東海各県に、福井や石川の北陸組に、東京からの参加者に加え、遠くアメリカのKさんご夫妻もご参加くださった。
これも仏青の役員(といっても2人)と、高山正副支部長さんたちの頑張りの賜物だ。準備段階から、下見、打ち合わせと、力を合わせてやりとげてくださった。
高山での本部行事は、これで3回目。最初は、平成7年に華光会館が建替中、高山で壮年の集いを開いた。会館の阿弥陀様も、高山に出講中だった。もう20年も前になる。その時、兵庫県日高支部の皆さんが、マイクロバスで大挙参加され、最後には、感極まって高山の皆さんと涙でお別れされたことをよく覚えている。しかし、今回は日高の方は、ひとりもご参加がなかった。これも無常の現実である。 一方で、その時以来、「ありがとうございます。南無阿弥陀仏」と喜べる身となって、高山の方はに御礼申すためにと、大分から20年ぶりに参加された方もある。すべてが法縁である。
法話は、1日に1席ずつの2回。特に企画はなく、同じメンバーで信仰座談会(分級座談会)が持たれた。広島の壮年の集いが、この点では消化不良だったが、今回は、夜座がすべて座談会に当てたられた。長い座談会に、高山の方は心配されていたが、実際は、とても尊い法座となった。
たとえば、ぼくの分級座談。若い人に混じって、98歳を先頭に、80歳を超えた皆さんが、とてもお元気に、法悦を語ってくださった。そこには、理屈を超えて、人を動かす熱情がある。もちろん、ご法に裏付けられた願いだ。だから、グズグズとこの腐った頭で、理屈をばかりこね、一度も頭を下げて聞いたことのない者の、冷たい心も動かされるのである。
最初は、はっきりしたいの欲の心でお念仏されている者に、皆さんが頭を下げ、「どうぞ、聞いてください。お願いです」とたのまれる姿は、そのまま「南無阿弥陀仏」南無の姿そのものだ。それが私ひとりにかけられていると思うと、おもわず、こちらも下らない頭が下ってくる。いや、先手があるからこそ、下げずにはおれないのである。そして、その姿もまた如来様のお力と思うと尊いではないか。
高山の皆さんと悟朗先生とご縁ができて、20年以上が経過した。徐々にここにも高齢化が進んでいる。この法縁をきっかけとして、後に続く者への念仏相続の機縁になる、そんな力を感じさせられる集いとなった。南無阿弥陀仏
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