お悔やみ
7月末、京都の同人を見舞った。かなりお悪いという話が耳に入ってきて、娘さんの近くの病院に転院される前に、お顔を見たかった。少し前にお手紙をいたいだが(今号の華光誌に掲載)、信仰の上で少し気にかかるところもあった。しかし、苦しい病床にありながら、後生について、これまでにないぐらい晴々したお顔になって、涙を流しながらお念仏する姿に、ぼくのひっかかりも氷解して、笑顔でお別れをすることができた。
その様子は、ここにも触れている。
http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-026d.html
転院後、落ち付かれたら、またお見舞いに行こうと思いながら、父が死んで、バタバタとした日々を過ごしていた。
結局、あの時、両手握ってお別れしたのが、今生での最期となった。
先日の日曜礼拝、娘さんがおいでになって、そのお母様が8月17日に亡くなったというご報告があったのだ。父の死から、10日後のことで、もう四十九日もすんだいうのである。
ここでも、「またね」はなかった。無常の厳しさが突き刺さる。
「分からない。分からない、胸が承知しない」と、何度、涙されたことであろうか。最後まで悪戦苦闘し、どんなに厳しく関わられても、病床を身をおして、ここ数年、もっとも熱心に御参りされていたおひとりだと思う。加えて、一昨年の華光大会を縁として、娘さんの相続のために、年忌法事を兼ねた家庭法座をもってくださったのも、永代経法名軸の記載やご喜捨にしても、寿命の尽きることが分かっていたかのように、精一杯をしてくださっていた。
最近は、父のお悔やみを受ける立場であったが、今日は、高槻の娘さんのお家まで、お悔やみに窺った。もし、家庭法座を兼ねた法事をもったれなかったならば、娘さんとご縁を結ぶことはなかった。お孫さんも、喜んで日曜礼拝に参加してくださっているのだ。
今日も、娘さんやお孫さんが、一緒に聖典を開き勤行し、お念仏をしてくださる。家庭的には次々と死別の悲しみが連続する一生、ご自分も、病苦に悩まされながら、70代の前半というまだこれからという時に、静かにご往生されたが、人には言えない辛いことも多かったであろう。しかし、最期に、後に残る大切な人達の胸に、彼女の宝だったお念仏の火を灯されたのである。まだ、その火は、小さく、微かだ。しかし確かに、娘さんやお孫さんが手を合わせ、口からは「南無阿弥陀仏」と称えるご縁が、ここにはあるのだ。必ずや、しっかりとご法のご相続もしてくださることであろう。南無阿弥陀仏
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