10月の伝道研究会~唯信独達~
信心正因にはいって、今日は、なぜ「信心」(三信)が正因で、「称名」(乃至十念)は正因にならないのかを、十八願や本願成就文から窺う段。ちょうど、先日の聖典講座で、詳しく説明した箇所とも重複するので、聖典参加者には復習になっただろう。
結論からいれば、「乃至十念」は、
(1)「乃至」の二文字をかぶせていること、
さらに(2)機受の極要である成就文には、その行が省かれ、聞による信のみが説かれているということから、
「乃至十念」として示される称名念仏は往因にはならず、「信心」(三信)のみが正因となるのである。
しかも、この十八願の信心は、他の十九願や二十願のように他の行の助けはまったく必要がない。つまり、一切の邪因や余因(雑行や雑修、称名など)を簡(えら)ぶもので、この信心ひとつ以外には何も必要がないというのである。そして、この信心ひとつでによって、往生成仏の最高の証果を得ることが、明かになる。これが、親鸞さまが明かされた浄土真宗の特色のひとつである「唯信独達」の肝要である。
次回も、この続きから.
11月4日(水)夜7時30分~夜10時まで
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