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教行寺永代経法座

Img_9230  教行寺永代経法座に、出講する。

 この夏、広島のあるご住職が仰った言葉が印象に残っている。

「住職が、その一生涯をかけて、必死にご門徒を教化して、その教化が行き届くのは、やっと次の代(息子)になってからだ」と。

  それほど自信教人信の歩みは易くはなく、インスタントな即効性のものではない。同時に、伝統的な寺院が、親から子へと世襲されることにも、意義があるのだとも思った。もちろん、継承するのは、境内地やお寺、門徒だけではなく、儀礼や伝統だけでもない。もっとも大切すべきのが、ごImg_9244法義であることはいうまでもない。

 華光会には、そんな伝統はない。「来るものは拒まず、去る者は追わず」の精神で、多くの出会いと、同じ数の別れを経験してきた。ご縁がなくなれば、この会もなくなるだけのことである。そんな中でも、父は、どんな時も、どんな相手にも、後生に一大事があることを説き続けた。そして、真宗のご信心は、この世の中で、元気なうち、ハッキリとする、つまり自力と他力の廃立があることも、ブレルことなく教示し続けたのだ。
 そのおかげで、今、ぼくが、皆さんの前に立って、お取り次ぎの機会を頂いているのである。

 たとえ、簡単に理解するのも、共鳴するのが難しくても、ここは聞いてもらわなければならない。死んでお終いではない。また誰もが仏る成るのでもない。自分の行いの結果が、自分行き先を造っていくのである。真宗は、後生に一大事があることを伝えなければ、皆さんの前に立つことは詮ないことなのだ。

 そんな気概をもって、父の死を通して味わったことを皆さんにお聞きいただいた。

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