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華光誌編集終わる

華光誌が印刷所に渡った。
これで、10月1日に発送が出来る。

追悼号にしたかったが、記事が集まっている途中なので、当初の予定通りの構成となった。

悟朗先生の正信偈の続き。そして、評判がいい2つの体験記の連載がメーンだ。
この3つの記事を、ぜひ何度も読んでいただきたい。長年「分からない」「分からない」と悩んでいる方は、真宗の信心とは何かが、きっと体験的に分かっていただけると思うのだ。それだけのものが、ここにあると断言していい。
悟朗先生がお説きくださる、善悪も智愚も超えた本願のお救いは、阿弥陀様のお心そのものだ。その阿弥陀様のおこころ体験的に聞こうとされる二人の歩み。
「ストーカー聞法」のNさんがお育てを頂いき、聞法が進んできたと自惚れていたのが、実は、聞き始めも、聞法が進んだ今も、実は自分は何も変わっていないという気づきから、ほんとうの聴聞が始まるくだりもすばらしい。
そして、Yさんの壮絶な体験記。でも、不思議な、人が体験できないことが不思議ではなく、徹底して「後生はどうか」と妥協せずに問いつづけ、そしてその先に、広大無辺の真実信におどりだすくだりは、真宗の信仰体験のエッセンスが詰まっているかのようだ。
未信の方は、自分の信が徹底するまで、この3つを繰り返して読み返してほしいものだ。

ぼくは巻頭言を書いた。いつもにくらべて苦労した。父の死に触れないわけにいかなかったが、あまり個人的なことは巻頭言に相応しくないというのが、父の編集方針である。が、これを避けるわけにいかず、結局、『大経』の「易往而無人」から、何故、浄土は往き易いにも関わらず、往く人が無いのかを、『大経』から窺って、善知識に遇う難しさと、出会いがうべてを決定させた尊さに触れていった。

完成は、9月下旬になる。乞うご期待である。

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