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1ケ月

父の逝去から、ちょうど1ヶ月。

早いような、 なにか慌ただしいような、1ヶ月が過ぎた。
お盆参りの日程を数日ずらしていただいた以外、法座や行事は、予定通り行うことができた。

四十九日までは、七日、七日にあたることもあって、各支部の法座などでは、遺影を持参し、お正信偈をお勤め、お焼香もお願いして支部の追悼法座の形をとってもらっている。

他にも、お悔やみの方も、ボチボチだが御参りくださる。遠方の方も多い。

が、なぜか、最近は疎遠になっている方ばかりなのが、不思議だ。勿体ないことではあるが、父のお悔やみも有り難いことだが、できれば日頃の聞法、御参りに来ていただきたいなと思ってしまう。父が最も願っていたことは、誰の人も、まず、まずわが身の後生の一大事を解決せよということだ。もしそれが解決ついたというのなら、これかは、往生の一大事をかけて、ますます聴聞せよという、そのことひとつの人生であったからだ。

せっかくお悔やみにきていただいた方には、たいへん失礼な話したが、中には、父に大恩があると仰りながら、何を聞かれてきたのか不思議になるくらい、今生の自慢話ばかりに終始される方もあった。世間のおつあいあいなら、わざわざお悔やみにくることで不義理をわび、義理もはたせるのだろう。が、そんな今生事のつきあいを嫌い、後生の大事の峻別をしっかり教えてくださった父の遺影を前にすると、とても寂しい思いがしたのだ。

もちろん、そのお示しをよく分かってくださる方が大半で、ご法座に合わせてお悔やみをされる方が圧倒的に多いのだ。

華光会館から、お念仏の声がなくなれば、単なる会館になるように、私の聞法から後生の一大事が外れると、単なる講演会を聞いていると変わらないのである。どうか、父の死を機縁して、お互いが無常のことわりに驚きをたて、一層の聴聞の場が賑やかになることを願ってやまないのである。

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