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大阪支部法座~老いの現実

大阪支部法座。会場の都合で、華光会館開催となる。

仙厓和尚の老人六歌仙をいただく。父が、しばしば取り上げていたのが懐かしい。
身や心の老いを歌っている。身の老苦はともかく、心は、老害といっていい内容だが、その根にあるのは、寂しさか。
65歳以上の人口が、3300万人を突破し、80歳以上も1000万人を超えたというニュースがあったばかり。日本人の4人に1人以上が高齢者ということだ。
そして、今日の現状の厳しさは、老人六歌仙どころのことではない。むしろ、ほんとうの老苦は、ここから始まるのかもしれない。この歌で歌われているうちは、要支援程度であろうが、次に要介護が始まり、認知症が進んだり、寝たっきりになったりすると、もう同じ話も、子供自慢も、達者自慢もできなくなってくる。ジイーッとしているから「じいちゃん」、バアーとしているから「バアちゃん」と言われるのだと聞かされたが、最晩年の父を見ていても、ほんとうに、ただジィーとし、バァーとしかしなくなるのを目の当たりにした。

人として生まれたのなら、絶対に、生老病死の苦しみからは逃れることはできない。にも関わらず、現代の私達は、老や病を嫌い、死を避けて、いつまでも若くて、健康で、長生きすることに、絶対的な価値をおいてきた。しかし、仏法は違う。ほんとうのことをほんとうと教えくださる。つまり、人間は、けっして四苦からは逃れることはできないのである。同時に、逃れられなくても、その迷いを超えていく道に出会うことができると教えてくださった。そして、凡夫の私には、南無阿弥陀仏を聞かせていただく以外に、生死(迷い)を超えていく道はないのである。

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