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2015年9月の22件の記事

四十九日法要

Img_0074父の満中陰(四十九日法要)をお勤めさせていただく。

正確には、9月24日にあたるので、数日、経過しているが、お許しいただきたい。

もう50日が経過したのだ、とても早いようで、何か遥か昔の夢のような出来事だった気もしている。

いつもの法座は慣れっこになっているが、今日は、どこか特別で、準備や皆さんのお迎えも、なんとなく緊張の趣で進んだ。

Img_0079家族や親族だけでなく、同人の皆様にお声掛けをした。平日にも関わらず、福岡のお寺様、愛知や三重の東海の方、豊岡の方は家族連れで、遠近各地から大勢の方がお参りくださった。日頃はなかなか御参りできない方も、わざわざお出でくださったのが、うれしかった。

皆様とお正信偈をあげて、先生からご法話を頂く。父のことにもいろいろと触れてくださり、「どんな先生の顔が思い出されますか」と最初に問いかけてくださたので、父のさまざまな顔が思い出された。ご法の姿だけでなく、イライラして家族(特に母)あたったり、またよく叱ったりした怖い時の父の顔も思い出す。それよりも面白い一面の父や、柔和な表情で、温かい目のをした父の面影が、やはり目に浮かんできた。常に、細部に渡って細かく躾けてくださったと同時に、よく褒めてもらったこと。それが、常に、ご法を中心にしたお示しであったこことを、ご法話から改めてお聞かせいただいた。

座談会も、皆さんで、父の追悼を分かち合ったが、それぞれが思い出を語ってくださったのが、特に、ある先生の数年前の報恩講の思い出(ぼくの法話の後、父が円座を前に進み出て、「尊いご法話を有り難うございました」と頭を下げ子を拝んだ姿)に関するお味わいが、有り難かった。
最後は、母の挨拶で締めくくったもらったが、60年以上寄り添い、苦楽を共にし、最後の介護や看取りした者の言葉、重かった。

一々に触れることはできないが、今生の父と子である同時に、法を通じる父と子は、今生の親子関係を超えたものであったことを、再確認させられる法要でした。
御参りの皆様、ありがとうございました。

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スーパー・ムーン

Img_9314博多からの帰路、車中から、月を眺めた。
中秋の名月である。

でも十五夜は、満月ではない。
Img_9327翌日の28日が、満月。
しかも、今年、いちばんに地球に接近するスーパー・ムーンである。

明日の準備で出かけたついでに、東寺に足を延ばした。
このあたりはの方は、やはり考えることは同じだ。皆さん、撮影をさImg_9332れていたので、驚いた。五重の塔とスーパー・ムーンをSNSにあげるのだろう。

だんだんと雲が多くなってきたが、薄い雲の合間に、大きな月が見え隠れしている。
ちょっと人工の手を加えて写してもみた。

それにしても、スーパー・ムーンって言葉、昔はなかったような気がしますが…。
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博多しゃぶしゃぶあり田

Img_9267リニューアルなってから、初めて窺った。
以前のお店に近いが、少し移動したところに開店され、店名も、「あり多」から「あり田」に変わった。
Img_9271六本松の地下鉄を降りて、5~6分歩く。初めての場所なので、ネットでは調べてきたが、橋の袂に、あっさりとお店の看板が見つかった。

実は、今回、お食事以上に気にかかったのが、この看板の出来なのだ。縁あって、「あり田」の看板を書かせてもらった。たぶん、これからも書くことはないだろう「博多しゃぶしゃぶ」とか「すき焼き」も一緒にImg_9266揮毫した。

ヘエー、いいんじゃないかなーと、自惚れもあろうが、正直そう思った。

Img_9274夜座は、そのまま懇親会に移る。
料理の方は、相変わらすおいしかった。
しゃぶしゃぶ屋でお肉がメーンなのに、さすがに、海も近い博多だ。刺身がとても美味だった。
Img_9277肉に、刺身に、お酒にと、ご馳走が並ぶことを喜ぶが、要は、すべて命を殺している殺生を喜んでいるのである。

Img_9279加えて、飲酒(おんじゅ)の罪も犯す。
もちろん、ここでは店主お勧めの「五郎」である。

その後、二次会は、こちらも新装なった新たしいお宅にお邪魔した。福岡の住宅街が一望できる12階のワンフローがご自宅。しかものこのImg_9281ビルのオーナーさんが、奥さま。

翌日の昼は、すぐ近くのうどん屋さんを紹介くださる。
博多といえば、長浜ラーメンと思うが、実は、うどんも名物である。
Img_9283麺は、やわくて、こまぎれになるが、のど越しがいい。
あとは、具はゴボウ天が定番というのもは、福岡の特色。
ここは県外からもお客さんが来る有名店で、行列ができていたが、確かに安くておいしかった。
Img_9307でも、ゴボウの天ぷら巨大すぎて、中が見えません

いろいろとご馳走さまでした。
相変わらず、殺生はうまく、ただただ浅ましいだけでした。

(追加)お店のトイレに入ると…

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はい、元で共演でした。

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秋の九州支部法座~生活の隅々まで~

Img_9264秋の九州支部法座。
福岡のリニューアルなった「博多しゃぶしゃぶあり田」が、会場である。

九州支部の皆さんと、悟朗先生を追悼する集いをもったせてもらった。

ここの店主は、仏法はもちろん、書の上でも、父を師匠と仰いでいた。
父が彼の手本として書いた、正月の書初展の書を表装にし追悼の意味で掛けてくださった。ぼくからも、お店のオープンおお祝いに、父の最後の書となった「超世願」の色紙を持参した。

永い永い私の迷いの闇を照らす燈炬となり、往生浄土の道を明らかに示してくださった明師との出会いの喜びを分かち合った。そして、その燈火が静かに拡がり、今、心の底からご法の喜びを分かち合える法友を得たことも、大いなる幸せであること、この2日間の法座で味わった。

特に、九州支部には、子供の時から、仏の子供大会をご縁とした人達が多いので、そのことでも大いに盛り上がった。

たとえば、「歯磨きの時、歯磨き粉はたくさんいらない」とか、「濡れたタオルをかける時は、両端をもって揃える」とか、「戸は静かに、きっちり閉める」とか、または、白衣のきっちりした着付けといった、どれもが身近な話題だ。ぼくの身についていることが、みんなの生活の一部として浸透していることが、なんとも懐かしかった。生活事のようで、実は「冥加」というところで仏法につながる、父の生きた教えである。その子供の時の習った教えが、大人になった今も生きていること、そしてそれを共有できることが、とても有り難かった。もちろん、変わったところでは、水泳の時の「あひる泳ぎ」とか、便秘の対処法など、子供大会アルアルで盛り上がった。確かに、朝、歯ブラシに歯磨きをつける時にも、便秘になってトイレに入った時にも、悟朗先生を思い出せるのだから、なんとも贅沢な話。

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ゆったり焦る

Img_9229 シルバー・ウィークも終わった。
 結局、この5日間は、法事に、法座にとフル回転だった。
 同時に、5日間、久しぶりに晴天に恵まれ、少し暑さも戻った。でも見上げれば、もう秋の空が拡がっていた。

Img_9234 教行寺の昼休み。先生の計らいで、すぐ近くの洒落たカフェを予約くださった。ところが、肝心のK先生は、葬儀の打ち合わせが入り、広島からのNさんとY子さん、そして連れ合いの4名で、ランチをすることになった。

 人気のお店で、休日ともなって、満席だ。でも、予約が入っていたので、席は確保されている。
Img_9233 前菜に、メーン、そして室生村の天然酵母のパンと、コーヒーとデザートがでてくる。男性陣は、メーンを1皿、女性陣は、メーンを2皿のコースを選んだ。

 昼座まで、2時間近くあるので、ゆったりした気分だ。
Img_9238 が、ゆったり時間が流れて、いい気分だったのは、最初のうちだけ。なかなか料理が出て来ない。やっと前菜が運ばれてきた。料理もなかなかおいしいし、お店の雰囲気もいい。でも、ここからまた時間だけが過ぎて、みんな、おかわり自由なパンばかり食べていた。そのうちに、勤行の開始時間になったころ、やっとメーンがやって来た。が、男性陣はいいが、欲張った女性陣の二皿目はまだだ。たまらず、「ちょっとImg_9240だけ急いでもらいますか」とお願いするころには、K先生から電話。お勤めが終わったのだ。やばい。ちょっと時間をつないでもらうことにして、コーヒーとデザートを急いで出してもらって、大急ぎで、お寺に戻った。

 たっぷり2時間30分Img_9239は過ごした。ほんとうは、かなりゆっくりして、ゆったりした気分になれるはずなのに、最後の方は、気ばかりが焦って、ぜんぜん寛げなかったのは、残念だなー。

 急いで、お寺に戻って、すぐにご法話。が、慌ただしいスタートになって、どこか乗れないまま始まってしまった。

 ゆったりするのもいいけど、やっぱりほどほどだよね。

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9月の華光誌輪読法座

 午前中は、お盆参りに変わりに、お彼岸参りを1軒。ちょうど、秋の彼岸の中日にあたる。人生の苦をお聞きする。まさに、老苦であり、若くしての病苦であり、死苦である。人生の実相を目の当たりにさせいただいた。が、しかしである。どれだけ仏法聴聞せよとのさまざまな機縁があったとしも、それがすぐ仏法聴聞につながるかといえば、また別の問題だ。宿善といえばそれまでだが、ここが難しい。

 午後からは、華光誌輪読法座。
 正信偈講讃の続きを読む。改めて、「重誓名声聞十方」の「重誓」について、「何を重ねて誓われたのですか」という質問が、超ベテランの同行さんからでる。
 正直、ちょっとがっかりもした。これまでに法話や講義、何度も、何度も重ねてお話し、特に、今は、聖典講座で「大経」を読んでいるので、四十八願のところでも、重誓偈のところでもお話してきたからだ。
 でも、分からないのだから、率直に質問くださったのは有り難い。では、また重ねて、「重誓」ともいい、「三誓」とも言われる、四十八願、十八願、十七願の三願を重ねて誓ってくださったお心をいただく。何度も、何度もお聞きしても、右から左に流れてしまう凡夫のために、四十八願でも充分であるのに、さらに重ねて、その要点を念入りに誓ってくださったお心をみる思いがした。
 もっとも今回は、というか恒例でもあるが、M夫妻の掛け合いが面白かった。特に今日は、ご主人がエンジン全開で、きれいごとではない人間の姿を教えてくださる。ご法話だけでなく、こんな同行の赤裸々な姿もまた、仏説として聞かせていただけるから、華光の法座は尊いのである。

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教行寺永代経法座

Img_9230  教行寺永代経法座に、出講する。

 この夏、広島のあるご住職が仰った言葉が印象に残っている。

「住職が、その一生涯をかけて、必死にご門徒を教化して、その教化が行き届くのは、やっと次の代(息子)になってからだ」と。

  それほど自信教人信の歩みは易くはなく、インスタントな即効性のものではない。同時に、伝統的な寺院が、親から子へと世襲されることにも、意義があるのだとも思った。もちろん、継承するのは、境内地やお寺、門徒だけではなく、儀礼や伝統だけでもない。もっとも大切すべきのが、ごImg_9244法義であることはいうまでもない。

 華光会には、そんな伝統はない。「来るものは拒まず、去る者は追わず」の精神で、多くの出会いと、同じ数の別れを経験してきた。ご縁がなくなれば、この会もなくなるだけのことである。そんな中でも、父は、どんな時も、どんな相手にも、後生に一大事があることを説き続けた。そして、真宗のご信心は、この世の中で、元気なうち、ハッキリとする、つまり自力と他力の廃立があることも、ブレルことなく教示し続けたのだ。
 そのおかげで、今、ぼくが、皆さんの前に立って、お取り次ぎの機会を頂いているのである。

 たとえ、簡単に理解するのも、共鳴するのが難しくても、ここは聞いてもらわなければならない。死んでお終いではない。また誰もが仏る成るのでもない。自分の行いの結果が、自分行き先を造っていくのである。真宗は、後生に一大事があることを伝えなければ、皆さんの前に立つことは詮ないことなのだ。

 そんな気概をもって、父の死を通して味わったことを皆さんにお聞きいただいた。

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年忌法要(2)

100歳でお亡くなりになった、華光同人の七回忌の法要。

この方も古くからの同人で、子供さんやお孫さんはたちは、華光会館での文化教室や日曜学校、子供大会に参加されている。

だから、正信偈や阿弥陀経のお勤めなら、お若い方でも、一緒に声に出してついてきてくださる。

しかしである。「では、お念仏申させていただきましょう」となると、急に、声が聞こえなくなる。もちろん、手は合わせておられる。口も動いているようだが、ハッキリ声に出して、「ナムアミダブツ、ナムアミダブツ」と申すことには、まだ抵抗があるようだ。照れなのか、気恥ずかしさなのか、気持ち悪さなのかは分からないが、とにかく、何かを読むのならできても、自由に声に出すとなると、とたんに静かになってしまうようだ。

次は、なんとか口に「南無阿弥陀仏」と称えさていただくところに立っていただきたいと、南無阿弥陀仏の意味やお心をお話するが、滅多にない法事の機会だけでは、なかなか難しい。

たまたまそんな篤いご縁をぼくが浴びるほどいただいてきただけであるのだが、お育ての有り難さ、宿善の尊さをしみじみと感じさせていただいた。

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大阪支部法座~老いの現実

大阪支部法座。会場の都合で、華光会館開催となる。

仙厓和尚の老人六歌仙をいただく。父が、しばしば取り上げていたのが懐かしい。
身や心の老いを歌っている。身の老苦はともかく、心は、老害といっていい内容だが、その根にあるのは、寂しさか。
65歳以上の人口が、3300万人を突破し、80歳以上も1000万人を超えたというニュースがあったばかり。日本人の4人に1人以上が高齢者ということだ。
そして、今日の現状の厳しさは、老人六歌仙どころのことではない。むしろ、ほんとうの老苦は、ここから始まるのかもしれない。この歌で歌われているうちは、要支援程度であろうが、次に要介護が始まり、認知症が進んだり、寝たっきりになったりすると、もう同じ話も、子供自慢も、達者自慢もできなくなってくる。ジイーッとしているから「じいちゃん」、バアーとしているから「バアちゃん」と言われるのだと聞かされたが、最晩年の父を見ていても、ほんとうに、ただジィーとし、バァーとしかしなくなるのを目の当たりにした。

人として生まれたのなら、絶対に、生老病死の苦しみからは逃れることはできない。にも関わらず、現代の私達は、老や病を嫌い、死を避けて、いつまでも若くて、健康で、長生きすることに、絶対的な価値をおいてきた。しかし、仏法は違う。ほんとうのことをほんとうと教えくださる。つまり、人間は、けっして四苦からは逃れることはできないのである。同時に、逃れられなくても、その迷いを超えていく道に出会うことができると教えてくださった。そして、凡夫の私には、南無阿弥陀仏を聞かせていただく以外に、生死(迷い)を超えていく道はないのである。

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年忌法要(1)

今日から、シルバー・ウィークで、5連休だ。

9月も、雨が多く、すっきりしない天気が続いた。おかけで残暑もないまま、彼岸の入れを迎えた。

幸い、この5連休は、久しぶりに快晴が続きそうだ。

ここの事務所も、カレンダーどおりに休む人もいるが、ぼくはお参りと法座で忙しい。5日間で、年忌が2件、お盆参りの変わりが1件、そして寺院布教に、支部法座と輪読と、ぎっしり詰まって、相変わらずの貧乏暇なしだ。

というわけで、今日は、加茂川を遡り、上賀茂神社を通り抜けて、鞍馬街道を北に、市原のお宅に向かう。

いつものように、勤行から、家族中が大きき声で、積極的に後についてあげてくださる。
ご法話に入って、父の死には、驚かれていた。
会館建設直後の60年以上前、おばあちゃんの代から、すでに4代目のご縁となっているのだ。

個人的には、今生事だが音楽の上でも、共通の友人がいたり、趣味があったりもする。でも未明に成立した安保法の改正の問題で、いろいろと話し合った。長年、仲間たちとフクシマの子供たらの支援活動をされたているので、原発に安保にと、この夏の変化には敏感に反応されている。
残念ながら、安保法は成立してしまったが、今からでも、反対なら反対の声をだし続けることが大切ではないか。同時に、それが出来る世の中であり続けることも、また重要なことである。いろいろなところで、彼とは共感できることが多くて、充実した時間をもたせていただいた。

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華光誌編集終わる

華光誌が印刷所に渡った。
これで、10月1日に発送が出来る。

追悼号にしたかったが、記事が集まっている途中なので、当初の予定通りの構成となった。

悟朗先生の正信偈の続き。そして、評判がいい2つの体験記の連載がメーンだ。
この3つの記事を、ぜひ何度も読んでいただきたい。長年「分からない」「分からない」と悩んでいる方は、真宗の信心とは何かが、きっと体験的に分かっていただけると思うのだ。それだけのものが、ここにあると断言していい。
悟朗先生がお説きくださる、善悪も智愚も超えた本願のお救いは、阿弥陀様のお心そのものだ。その阿弥陀様のおこころ体験的に聞こうとされる二人の歩み。
「ストーカー聞法」のNさんがお育てを頂いき、聞法が進んできたと自惚れていたのが、実は、聞き始めも、聞法が進んだ今も、実は自分は何も変わっていないという気づきから、ほんとうの聴聞が始まるくだりもすばらしい。
そして、Yさんの壮絶な体験記。でも、不思議な、人が体験できないことが不思議ではなく、徹底して「後生はどうか」と妥協せずに問いつづけ、そしてその先に、広大無辺の真実信におどりだすくだりは、真宗の信仰体験のエッセンスが詰まっているかのようだ。
未信の方は、自分の信が徹底するまで、この3つを繰り返して読み返してほしいものだ。

ぼくは巻頭言を書いた。いつもにくらべて苦労した。父の死に触れないわけにいかなかったが、あまり個人的なことは巻頭言に相応しくないというのが、父の編集方針である。が、これを避けるわけにいかず、結局、『大経』の「易往而無人」から、何故、浄土は往き易いにも関わらず、往く人が無いのかを、『大経』から窺って、善知識に遇う難しさと、出会いがうべてを決定させた尊さに触れていった。

完成は、9月下旬になる。乞うご期待である。

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予告! 華光大会での追悼法要

運営委員長のRさんと、11月の華光大会の悟朗先生の追悼法要の打ち合わせ。

まず、21日~23日の3日間を、追悼法座の華光大会とすることに決めた。

中でも、22日の昼座を追悼法要を営み、悟朗先生のDVDの上映や、近親者によるシンポジウム、そして総会を挟み、夜座で偲ぶ会としての会食を計画した。その時に、希望者から先生を偲ぶ一言もいただきたいと思っている。ご法話も、若手の先生だけでなく、中堅の先生方がご出席いただけることになった。

他にも、遺品や書などの展示したり、記念品も作製したいと思っている。今日は、Rさんの提案を聞いて、いろいろアイデアを考えた。

華光大会に慌てて臨時の華光誌を「追悼号」として発行することも決めた。

いろいろとやらねばならないことは増えてたいへんになった。が、これまでの華光の歩みを考える時、先生にいたいだた薫陶をよくよく味わい直し、そのご遺徳を同人の皆さんと味わい直すことで、ひとりひとりのさらなる聞法の一歩としたいのである。その意味で頑張って準備を進めていきたい。
詳しくは、これから発表していくが、ぜひ、皆さん御参りください。

なお、11月21日からの華光大会に合わせて、「増井悟朗先生追悼号」の臨時の華光誌を発送する予定です。
ぜひ、皆様の原稿ご投稿ください。ただし、ひとりでも多くの方の記事を掲載していので、1人800文字程度(多少は増えていいです)。期日は、10月1日〆切でお願いします。華光会館までお願いします。

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真カ研~9月の月例会

真宗カウンセリング研究会、9月の月例会。

ロジャーズの影響に入って、「体験過程療法、フォーカシング」のジェンドリンと、表現療法のナタリー・ロジャーズの章。

共に、2~3頁程度にまとめられた特色や純粋ロージリアンからの批判が、概説的に紹介されているので、これだけではほとんど詳細は分からない。が、これまでと違って、多少なとりも、理論的にも、体験的にもかじったことがある分野ということもあって、興味をもって読むことができた。

指示的、カウンセリング側が指導的だという意味で、批判されるジェンドリンだが、ぼくはそうは思っていない。確かに、形としては異なる。それだからこそ、「体験過程療法、フォーカシング」という名称が生まれのわけだが、けっして、カウンセラー側が、その思いままにクライエントをリードしたり、導いたりするのではなく、あくまでも、焦点は、クライエントに流れる命の流れ、体験過程にあるのであって、それが導くのであって、けっして、カウンセラーが、結果や結論に誘導したり、指示したするのではないからである。ただ、より明確にクライエントの体験過程を信じていくという点に焦点が絞られていくので、クライエントの人間性に焦点を当て、その成長力を信じるという純粋主義とは、アプローチが異なってくるのではあろうが、指示的がという批判は、ぼくはあたらないと思っている。

詳細は、いまとなっては煩わしくて、触れる気持ちにはなれない。ただ、今回、いちばん驚いたことは、いつも一緒に勉強している実践大学院のO君の指導教授やお父さんが、ぼくと同世代(厳密には、1学年上であったが)であったことだ。同じ学びする仲間のように思っていたが、実際は親子としての開きがある。別にそれがどうということはないが、どことなく不思議な感覚がした。

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東京講習会(2)

 正信偈の全体の構想から、味わうことも多かった。ごく簡単に触れておくと、お正信偈は、

 親鸞様の体験告白である「南無阿弥陀仏」で始まり、
 弥陀の救済の因果があり、
 釈尊の出世本懐があって、「応信如来如実言」として、それを信じさせていただくと窺い、
 説教による信心の五徳と、
 にもかかわらず難信であることで、「依経段」結ばれる。
 そして、釈尊の本意を受け、弥陀の本願が誰のものか明かにする七高僧が顕れることで、「依経段」が始まる。
 トップパッターは、釈尊が予言された龍樹菩薩。本来菩薩だが、仏様が授記(出世を予告)される故事を加えることで、仏と同等とみることができる。
 それは曇鸞様も同じで、像法時代であるが、皇帝から「鸞菩薩」と敬われる故事を導入されて、菩薩と同等と拝んでおられるのだ。
 そして、最後の結びは、「唯可信斯高僧説」と結ばれるのである。
 つまり、南無阿弥陀仏、弥陀の本願は、釈尊の説教として、そして七高僧のご説法として信じさせてもらえようというのが、親鸞様の「お正信偈」となったのである。
 それを、蓮如様が、朝晩読誦するようにお勧めくださったおかげで、身近に真宗の教義を聞かせていただくことができるようになり、
 その深い深い「仰せ」を、悟朗先生のテキストを通して、今、ここでお聞かせに預かっているのである。

 いまここに届いてきた真実の尊さを仰ぐばかりだ。

 

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東京講習会(1)

東京講習会も第5回目。
「正信偈」の最終回で、源信讃~源空讃~結びの部分だ。

これが5回目だが、ぼくには、これまでとは少し違う思い入れがあった。
第1回の東京講習会は、父と二人で担当した。そのころから、一人では遠方の宿泊法座が難しくなっており、母も付き添った。2日間を一人で講義するのも難しかったので、ぼくと二人で担当を交互に行ったのだ。そして、もうひとつ思い出すのは、いまは亡きSさん(一人さん)が、ぼくたち3人を東京駅まで見送ってくだり、4人で駅でお茶を飲で別れたことだ。人一倍、気が利く彼は、ぼくたちに気をつかわさないように、「支部からです」と駅弁まで買ってくださった。ご自分で負担されていたのは分かっていたが、喜んで頂いた。その時が、父が東京支部にお邪魔した最後となった。

その父を偲んで、冒頭、東京支部としての追悼の勤行をし、講義に入る前に、父の思い出をご法話させていただいた。

ただ、追悼法要あるので、申込みのない東京支部の皆さんに電話やメールをしてお誘いをしてみた。それでご参加くださった方もあるので、中には、「講習会、勉強はいいです」と無下に断るベテランの方もあって、正直、がっかりもしたが、でも、お出会いの長短ではなく、お出でくださった方のご縁を喜ばせていただいた。

親鸞様が、『教行信証』をだいたい書かれたのは、推測で、53歳ころだと言われている。もしかすると『正信偈』はもう少し早い時期に書かれていたかもしれない。
そして、講習会のテキストとして、父が50~52歳ころに講話した「正信偈講讃」を使っている。
そのぼくも53歳になった。先達の偉大さが改めて身に沁みるばかりだ。

 しかも、今回は、源信様から、源空(法然)様のところである。法然様と親鸞様の関係を、伊藤先生と悟朗先生の関係に絡めながら、我が身に届いてきた真実の偉大さも味わわずにはおられなかったのだ。

 それで、本文とは直接は関係ないが、父のことにもずいぶんされたような気がした。

 同時に、いつも正信偈の講話をするとる時には、必ず押さえるのが、全体の構想から、味わうことも多かった。少し長くなるので、続きで。

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「仏法東漸」~仏教の典籍と美術~

Img_9192先週の木曜日、終了間際に、国立京都博物館の「仏法東漸」~仏教の典籍と美術~を観た。

http://www.kyohaku.go.jp/jp/project/daizoe.html

壮観というのとは少し異なるが、静かな感動があった。

最澄、空海、法然、証空、親鸞という、日本仏教の巨人たちの肖像画と、彼らの国宝の直筆の数々が、体系的に展示されていた。
他にImg_9194も、禅宗では臨済宗を中心に、国宝の墨跡や肖像画が展示されている。日蓮系統のものはなかったのは、京都に本山があったり、関係大学がある縁で、天台、真言、臨済、浄土、西山、そして浄土真宗の各本山の逸品が展示されていたからだ。それでも、平安仏教以降の日本仏教の流れが、通史的に俯瞰できるようであった。

Img_9200インドで興った仏教は、大きく、スリランカや東南アジアに拡がった南方仏教と、中央アジアを経て、中国、朝鮮半島、そして日本に至る北方仏教がある。北方仏教は、主に大乗仏教として発展するが、独自に発展するチベット仏教以外は、ほぼ漢字文化圏にもあたるのだ。

Img_9201釈尊の教えは、もともと口誦されたものだ。それが、結集によって、ついに文字となり、「経」として残されてきた。最初は、紙ではなく、貝葉に梵語で書かれた。それが、インドに入った西域や中国の僧によって中央アジア、シルクロードにもたらされ、中国に入り、漢文に翻訳されたのである。中国仏教は、翻訳仏教だといっていい。同時に、中国は、文字と、紙と印刷技術に長けた最新の文化国家だったので、お経は印刷され、膨大な量の経文が翻訳されるが、それが体系的にまとめられていき、「一切経」とか「大蔵経」と呼ばれるものになる。
ちなみに、それが日本に入ったとき、日本人は、それを日本語訳するのてはなく、漢文を日本語読みする技を身につけていくのである。

本展覧会は、第一部で、釈尊の教えと題して、大蔵経を中心にさまざまなお経が展示されていた。
そして、第二部は、「教えの拡がり」と題してだが、日本での仏教の受容と、日本的展開を歴史的に追っていた。

日本では、平安時代になって、最澄、空海という二大巨人が現れて、本格的な日本的な発展を遂げることになる。そこから、鎌倉時代にはいり、禅系統や浄土系統へと展開して、日本民衆の仏教へとなっていくのである。

何より、仏教のスーパースターたちの、直筆の書物に触れるだけでも、それぞれの個性が窺い知れる。もちろん、日本の三筆のひとり、弘法大師の書などもいいが、やはり、浄土のお祖師方のものに心を奪われた。

『選擇集』の題字などを書かれた、法然聖人の力強いながらも、肉厚で、穏やかな書は、晩年か。一方、親鸞様は、50代の書なので、跳ねるように躍動的だ。国宝の『教行信証』坂東本は、「教行」「信」「証」「真仏土」「化身土」本、「化身土」末の六冊が、すべて揃っていた。正信偈の箇所が開いていた。

ちなみに展覧会の最後の展示は、高僧ではない「恵信尼公」の肖像画で終わるのも、象徴的な感じがした。仏法東漸とは、仏教が東へ、東へと伝播してくるのことだが、同時に庶民の仏教になっていくのであろう。

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1ケ月

父の逝去から、ちょうど1ヶ月。

早いような、 なにか慌ただしいような、1ヶ月が過ぎた。
お盆参りの日程を数日ずらしていただいた以外、法座や行事は、予定通り行うことができた。

四十九日までは、七日、七日にあたることもあって、各支部の法座などでは、遺影を持参し、お正信偈をお勤め、お焼香もお願いして支部の追悼法座の形をとってもらっている。

他にも、お悔やみの方も、ボチボチだが御参りくださる。遠方の方も多い。

が、なぜか、最近は疎遠になっている方ばかりなのが、不思議だ。勿体ないことではあるが、父のお悔やみも有り難いことだが、できれば日頃の聞法、御参りに来ていただきたいなと思ってしまう。父が最も願っていたことは、誰の人も、まず、まずわが身の後生の一大事を解決せよということだ。もしそれが解決ついたというのなら、これかは、往生の一大事をかけて、ますます聴聞せよという、そのことひとつの人生であったからだ。

せっかくお悔やみにきていただいた方には、たいへん失礼な話したが、中には、父に大恩があると仰りながら、何を聞かれてきたのか不思議になるくらい、今生の自慢話ばかりに終始される方もあった。世間のおつあいあいなら、わざわざお悔やみにくることで不義理をわび、義理もはたせるのだろう。が、そんな今生事のつきあいを嫌い、後生の大事の峻別をしっかり教えてくださった父の遺影を前にすると、とても寂しい思いがしたのだ。

もちろん、そのお示しをよく分かってくださる方が大半で、ご法座に合わせてお悔やみをされる方が圧倒的に多いのだ。

華光会館から、お念仏の声がなくなれば、単なる会館になるように、私の聞法から後生の一大事が外れると、単なる講演会を聞いていると変わらないのである。どうか、父の死を機縁して、お互いが無常のことわりに驚きをたて、一層の聴聞の場が賑やかになることを願ってやまないのである。

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9月の聖典講座~浄土の聖衆の果報~

 今月は、国土の荘厳を述べ終わり、浄土の聖衆が受ける果報についてである。まず略説し【十七】、次いで譬えをもって説かれ【十八】【十九】、その聖衆が身を置く環境(依報)の徳が述べられる【二十】。
 その要点は、次の浄土和讃から窺うことが出来る。『浄土和讃』27・22・23首

【27】〈依報を総讃〉
  安楽仏土の依正は   法蔵願力のなせるなり
  天上天下にたぐひなし 大心力を帰命せよ

【22】〈五乗斉入〉
  安楽声聞・菩薩衆   人・天・智慧ほがらかに
  身相荘厳みなおなじ  他方に順じて名をつらぬ

【23】〈平等の一果〉
  顔容端正たぐひなし  精微妙躯・非人天  
  虚無之身・無極体   平等力を帰命せよ

 そして、最後に、華光出仏【二一】で、上巻が結ばれていくのである。

 釈尊の出世本懐は、弥陀の本願を説かんがためであるが、釈尊だけでなく、三世十方の諸仏も、それはおなじである。そして、釈尊始め三世十方の諸仏方は、この華光から出現された仏ということになるのだ。つまり、阿弥陀仏の大慈悲は、凝って西方極楽の建設となり、散っては三世十方に諸仏として顕れて、衆生を引導されると窺えるのである。

 さらに身近に感じると、私達の華光会の活動も、この華光出仏から起る働きだといっていいのだ。

 伊藤康善先生は、『仏敵』の中で、およし様と、そのお徳を慕う野口道場の同行の姿を、

「『大無量寿経』の上巻には、一々の華の中よりは、三十六百千億の光明を放ち、一々の光の中よりは、三十六百千億の仏身を出す、とありますが、ほんとうに一信者の心蓮華からは無量の光明が放たれていますね」(『仏敵』48頁)

と讃えておられる。

 また、親鸞様は、浄土和讃で次のように讃えておられる。

【42】〈華光の遍照〉
  一々のはなのなかよりは 三十六百千億の   
  光明てらしてほがらかに いたらぬところはさらになし
【43】〈華光出仏〉
  一々のはなのなかよりは  三十六百千億の   
  仏身もひかりもひとしくて 相好金山のごとくなり
【44】〈諸仏の教化〉
  相好ごとに百千の   ひかりを十方にはなちてぞ
  つねに妙法ときひろめ 衆生を仏道にいらしむる

以上で、「如来浄土の因果」が説かれた上巻が終わり、「衆生往生の因果」、さらに「釈尊の勧戒」が説かれる下巻へとうつっていくのである。

10月4日(日)1時30分は、十一・十七・十八願成就文を窺っていく。

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広島支部法座~準備は万全~

広島支部法座でも、悟朗先生の追悼法座を行う。
お正信偈をお勤めし、お焼香もしていただく。
法話も、臨終の有り様や葬儀などの様子についてお話しする。
座談会も、先生を偲んで、その思い出などを分かち合った。

さて、その一節を詳しくは述べられないが、聞法の要点になるべき箇所がでてきて、思わず、僕自身が篤く語ったしまった。

それは、ある方が、そろそろお救いに出会う準備ができてきたのかなーと発言されたら、
別の方が、準備が出来てきたなら頂かれたらどうか、というお勧めをされたのを聞いたからだ。

確かに、お育てをいただくことで、お念佛ができると身になったり、ご聴聞も内容分かるようになったりもする。
その意味では、徐々に、獲信の準備が重なり、いよいよその時がくるかかのように聞いてしまう。

しかしである。それは、この世の中の延長のお救いになってしまうのだ。

どれだけお育てをいただこうと、私は、どこまでも地獄一定の救われようがない身なのだ。悪は悪のまま、愚は愚のままなのだ。
つまりは、こちらの側に阿弥陀様のお救いを受け入れる準備など、百座、千座聞いてもできないのである。
聞き始めたときから、どれだけ聴聞を重ねたとしても、この自力が死なない限り、わたしは何一つも変わらないでのある。
ほんとうに何一つ変わらないのである。
ここを聞き間違っている限り、ダメなものはダメなのだ。

実は、準備は阿弥陀様のお仕事なのだ。けっして、私の方ができることではない。
救われる手がかりが一切ない私を、必ず救って見せるという阿弥陀様は、十劫の昔から、そのための準備を万端にしてくださった。
それが、五劫の御思案なのである。
私の側には、なんの準備もいらないのだ。。いや、それすらできないのである。そこをお聞かせに預かるのだ。
その阿弥陀様が、「はやく来い、いますぐ来い、そのまま来い」と、十劫の昔から叫びつづけている。
私に心の準備が出来ようが、出来まいが、「汝一心正念にして、直ちに来れ」の勅命に、泥凡夫のままで飛び込んでいくかしない。それは格好悪くてもいい。泥臭くてもいい。腹見せて、阿呆のままでいってもいい。そのお呼び聲一つに、丸々おまかせするのだ。
すると、この自力が廃り、始めて他力が満入してくださるところなのである。

その意味で、こんなにもハッキリするお救いはない。

悟朗先生こそ、この真宗の自他力廃立の要を、身をかけて、私に伝えてくださった善知識だったのではないか。
思わず、ぼくも力が入ってしまった。

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9月の伝道研究会

7月に続いて、信心正因についての悟朗先生のテキストを輪読する。
その中で、「信心」「正因」の文字と、その出拠についての箇所だ。
法然様の『選擇集』の三心章のご文から発生し、法然様のお正信偈の箇所を説明になった。
法然様といえば「専修念仏」の行が表看板だが、なぜ、お正信偈は親鸞様は、法然様の教えを「信疑決判」として押さえておられるのかをお話した。

その時、何気なく「親鸞聖人の時代から、正信偈をお勤めされていたのだすか」という質問があった。

『正信偈』と合わせて、『三帖和讃』を開版して、朝晩の勤行にせよとお示しくださったのは、蓮如様の大きな功績である。おかげで、一般の門徒もまた、真宗のみ教えの要に、日夜触れることができるようになり、合わせて、安心の鑑というべき『御文章』をいただくことで、日夜の勤行を通して、正しい真宗教義や安心の要に触れることができるようになったのである。

これは、悟朗先生の正信偈講座に出た方なら、よくよくご存じのところだ。でも、これだけの顔ぶれが集まっているのに、ほとんどの方が、分からないといわれて、逆に、ぼくの方が、びっくりした。別に、知識の有る無しではないのだ。といのも、正信偈の構造として、ぼくとしても、何度も繰り返していたところだったので、プチショックだったのだ。

さて、そのお正信偈は、「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」で始まり、法蔵菩薩の発願の因果、そしてお釈迦様のご出世、それを「如来如実言を信ずべし」と顕される。しかし、その信楽は、自力では「難中之難」である。そこで、お釈迦様の正しいお心を受けた七高僧様が顕れ、本願を機に合うようにお説きくださった。それで、最後に「ただ、この高僧の説を信ずべし」と結ばれているのである。さらに、私どもが、その「信ずべし」の教えを、お正信偈を通して親鸞様のお言葉としてお聞きすることができるのであるが、それも蓮如様のご功績があればこそである。しかも、そのことを、かみ砕いた悟朗先生のご講話としていただいているのだと、常々お伝えしていたつもりだったからだ。

でも、基本的なことなので分かってもらっているつもりだと思い込むのも怖いと思った。分かりきっていることでも、何度も、懇切丁寧にお伝えしていくことの大切さを、逆に教えられた気がした。

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『戦場ぬ止み』(いくさばぬとぅどぅみ)

辺野古沖の基地反対運動を取り上げた三上智恵監督の『戦場ぬ止み』は、いま見るべき映画だ。

http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/post-ae9e.html

監督は、今年の冬、東本願寺で講演を聞いた三上知恵監督。『標的の村』以上に、無力感に襲われ、やるせない、空しさといか、悲しさを感じさせられて、打ちのめされる思いだ。

150806映画は、基地問題のいつくかの問題点を浮かび上がらせる。

まず、講演会の感想でも触れたが、辺野古沖の基地建設は、普天間基地の単なる代替基地ではないということだ。辺野古沖のにつくられるのは、飛行場だけでなく、巨大船が使用できる軍港が併用され、オスプレイの訓練地がある高江と連帯もでき、しかもその費用は、日本の税金で建設されるという、アメリカには、こんな願ったりかなったりの案はないのである。

そして、犠牲になっているは、サイゴとジュゴンの最後の楽園という自然だけでなはい。国策によって、ひき割かれ、全線でぶつかり合うのは、日本人同士であり、同じ沖縄県民同士の心も破壊されていく。にもかかわらず、けっして対立の前面にはアリメカは出でこないのである。

さらに、知事選の応援演説で、故菅原文太氏の「海も、山も、自然も、国家のものではない。そこに住む人々のものだ」という当たり前のことが、国民の安全を守るという「安全保障」の大義では、通用しない現実がある。
民主主義国家でありながら、知事選でも、国政でも、反対派が完全勝利しても、国策を楯に、地元の声を黙殺し続ける政治。現に、太平洋戦争末期の沖縄戦では、軍隊は沖縄の人達を守るどころか、住民を楯にして、沖縄を捨て石にして、国体を護持することを最優先した。いや、それしかなかったのだ。それなのに、今、住民の小さな反対運動のために、尖閣を防衛している武器を備えた「軍艦」(名称は巡視船だが)銃口は、反対派の沖縄の一般市民に向けられているのだ。これまでの歴史を鑑みるだけで、主義やイデオロギーでの反対でも、単なる住民エゴとは明かに一線を画す、人間として最低限の生活を踏みにじられた人々の、怒りの声だ。

しかもこの映画がいいなと思ったのは、反対派の人達以上に、保証金を手にしたり、諦めムードの賛成派の人の無力感の態度に、この問題の本質が観る思いがしたからだ。この無力感や諦めムードこそが、基地を抱える沖縄の人達の、人間としての心を蝕んでいるものではないだろうか。

とにかく考えさせられました。

立場が異なるけれど、この映画評論家の声が面白かったので、参考までに。

http://movie.maeda-y.com/movie/02007.htm

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清志郎ばかり聞いていた夏

今年の夏は、暑かった。
それでいて雨もよく降った。

惜別の情を禁じ得なかった夏だった。

7月には、子供たちがブラジルに渡り、8月には、父が逝去し、家族が半数になった。

この夏、忌野清志郎(RCサクセション)を、よく聞いた。

ひとつは、園子温監督の映画『ラブ・アンド・ピース』のラストに、主題歌「スローバラード」がぴったりあっていたから。

もうひとつは、鈴木君代さんのライブで聞いた「ラブ・ミー・テンダー」。
生うたはもちろんよかったけれど、やはりここは本家を聞かないなと、RCサクセションの名盤『カバーズ』を、繰り返し、繰り返し聞いた。泉谷しげるや三浦友和がバックコーラスをつとめる「サマー・タイム・ブルース」は、大事故の予言であり、今日の警告そのものだな。

東京オリンピックのゴタゴタのかげで、いつの間にか原発の再稼働し、安全保障法案の審議で揺れる夏だった。

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