四十九日法要
正確には、9月24日にあたるので、数日、経過しているが、お許しいただきたい。
もう50日が経過したのだ、とても早いようで、何か遥か昔の夢のような出来事だった気もしている。
いつもの法座は慣れっこになっているが、今日は、どこか特別で、準備や皆さんのお迎えも、なんとなく緊張の趣で進んだ。
家族や親族だけでなく、同人の皆様にお声掛けをした。平日にも関わらず、福岡のお寺様、愛知や三重の東海の方、豊岡の方は家族連れで、遠近各地から大勢の方がお参りくださった。日頃はなかなか御参りできない方も、わざわざお出でくださったのが、うれしかった。
皆様とお正信偈をあげて、先生からご法話を頂く。父のことにもいろいろと触れてくださり、「どんな先生の顔が思い出されますか」と最初に問いかけてくださたので、父のさまざまな顔が思い出された。ご法の姿だけでなく、イライラして家族(特に母)あたったり、またよく叱ったりした怖い時の父の顔も思い出す。それよりも面白い一面の父や、柔和な表情で、温かい目のをした父の面影が、やはり目に浮かんできた。常に、細部に渡って細かく躾けてくださったと同時に、よく褒めてもらったこと。それが、常に、ご法を中心にしたお示しであったこことを、ご法話から改めてお聞かせいただいた。
座談会も、皆さんで、父の追悼を分かち合ったが、それぞれが思い出を語ってくださったのが、特に、ある先生の数年前の報恩講の思い出(ぼくの法話の後、父が円座を前に進み出て、「尊いご法話を有り難うございました」と頭を下げ子を拝んだ姿)に関するお味わいが、有り難かった。
最後は、母の挨拶で締めくくったもらったが、60年以上寄り添い、苦楽を共にし、最後の介護や看取りした者の言葉、重かった。
一々に触れることはできないが、今生の父と子である同時に、法を通じる父と子は、今生の親子関係を超えたものであったことを、再確認させられる法要でした。
御参りの皆様、ありがとうございました。
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