葬儀
お導師の先生方、お世話の皆様、また遠近各地からご参集の皆さま、自宅でお念仏くださった皆様、ほんとうにありがとうございました。
父の教えでもあり、母の意向でもあったので、葬儀も、あまり華美にならないように臨んだ。それで、ご香典も、ご献花も、そのお気持ちだけを頂戴することにした。
それでも、大勢お参りくださった。ずいぶんご無沙汰の方も多かったし、お盆参りでお忙しだろうに、ずいぶん、僧侶の方もお参りくださった。有難いことに、華光会の方も、町内の方も、お世話になった方も、お参りくださった方全員のお顔が分かった。おかげで、懐かしいお顔に合わせてもらえた。
確かに寂しくなったが、やはり、不思議と「長年にわたり、ほんとうにありがとうございました」と念仏する以外、臨終のときも、遺体を観ても、最後の焼場でも、普通の感覚でいた。いや、むしろすがすがしい思いさえしたのは、父が、「娑婆永劫の苦をすてて」浄土往生の身となったからだろう。
それにしても、お通夜も、葬儀も、有り難かったし、厳かでありながら、和やかで、温かい雰囲気に包まれていた。
涙もあるけれど、笑いもあった。号泣する先生たち(複数)もあったが、「おめでとうございます」の弔電も何通かいただいた。それどころか、親戚でもないのに、通夜で酔っぱらうやつもあって、もう普段の法座の雰囲気そのものだった。ただただ、お念仏の声にあふれていたのが、有難い。
お導師のS先生の葬儀での表白も、まるで弔辞のようだったし、直前に急きょお願いした、K先生の葬儀での法話(普通はやらない)にも、たいへん感銘した。ほんとうに尊いご法縁だった。
父の遺体や骨には用事はなく、南無阿弥陀仏として、すでに働いてくださっている。そのお念仏が僕の口から溢れでってくださっているのですから、うれしいではないか。
その意味でも、寂しくはあっても、ほんとうに楽しい法座でありました。
ありがとうございました。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
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