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骨年齢

「ほんとうに満90歳だったのですか。その年齢の方の時は、いつも心配するんです。でもこの年齢で、こんなにきれいに残っているのは、ほんとうに稀です。骨は60代の方です。歯もたくさん残っておられますね。ああ、足の指にも足仏さまがおられます。これは20~30人のひとりです。ああ、手の指の骨にも、指仏さまがおられます。こちらは、もっと珍しいですよ…」

父の白骨を前に、葬儀屋の担当者は、かなり興奮気味で、その説明にも力がはいっている。

「こんなに重いですよ」と、大腿骨の一部を、手に載せてくださる。ずっしりと重い骨は、まだ温かだった。90歳で、これだけ骨密度の高い骨もないというのである。

親戚だけでなく、同人の希望者にも、お山(火葬場・東山の鳥辺野)にご一緒してもらい、骨を拾ってもらう。いつもお世話になっている京都の方に混じって、広島支部の方も参加くださった。K先生は、そっと焼け残った念珠の玉を袂にいれられていた。

いまさら、骨を褒めていただいても、どこかうれしいような、なんとも妙な気持ちで話を聞いてた。

といっても、所詮は、骨は骨。ここには、父はいない。
そうお聞かせにあずかっている幸せを思う。もちろん、父の遺影をみて、遺骨をみると、父の思い出はさまざまに蘇ってくる。寂しいというか、悲しいというかそんな感情も起こってくる。

しかし、父も、母も、そして、ぼくたち子供も、骨にも、お墓にも、すでに用事がないことを聞かせてもらっている。

そんなことを考えながら、遺骨となった父を膝に載せて、会館に戻った。

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