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広島真宗カウンセリングWS

2泊3日間、参加者7名と、世話人2名とアドバイザー1名の計10名で、贅沢な時間を過ごす。
華光の同人は半数で、広島の縁をした僧侶の方など、個性あるメンバーが集う。

普段の法座や聞法の集いは、勤行があり、法話や講義が中心で進行するのだろう。しかし、ここでは、仏教学院の先生方や僧侶の方も多いが、講義や法話もなにもない。それどころか、誰かが、テーマをだしたり、話題提供をすることもしない。ここの1日は、車座にみなが座り、称名念仏と黙想で始まり、また称名念仏と黙想で終わる以外は、心が動くままに、自分を開き語り、聞き合うだけである。それが3日間続くのである。

世話人は、参加の皆さんが、安心して自分をうち出せる場を提供する。そのためには、まず、自分が開き、そしてお互いが、自分も相手も尊重する雰囲気作りに勤めていくのだ。
言葉だけならたやすく書ける。が、講演やご示談などの一方通行でプログラムしていくこととは違うので、その態度や雰囲気は、目に見えて分かることではない。目に見える部分でいうならば、世話人は、講義もしなければ、質問に積極的に答えるわけではないので、まるで何もしないようにさえ映るのである。

そんな中で、それぞれの言葉が大切に聞かれていく。聴くことは、その発するその人自身が大切にされることでもある。

最後は、誰もが頷いていたが、ここは、現代のサンガ(僧伽)ではないだろうか。この集いには、先生や弟子があるのではない。確かに経験の有無や真宗教義の学びには、さまざまな立場の方がおられるだろう。しかし、法(ダルマ)の前までは、みな同じ念仏者であ、法友であり、念仏を求める仲間の集いなのである。

「仏法僧の三宝に帰依せよ」「三宝を篤く敬え」と、先師は仰った。
仏を信じ、法(教え)に従い、そして僧伽(さんが)と共に歩む。

それが仏法なのである。

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