« 骨年齢 | トップページ | お盆法要 »

華光誌輪読法座

平日ながら、参加者はいつもより多い。

初めての方もお参りくださる。広島からの参加もある。葬儀に出席できなかった方が、お悔やみにお参りくださる。

有り難いと思ったのは、法座に合わせてお悔やみにきてくださったことだ。もしお悔やみだお出でになりたいと思われるのなら、ぜひ、法座にお参りいただきたいのである。

それが、亡くなった父の遺志でもある。

真宗は平生業成の教えだ。元気なうちに、阿弥陀様のご回向に遇わせていただく。その信の一念の時こそが、これまで一度も死んだことのなかった、迷いのいのちの葬式なのである。だから、世間の葬儀は、肉体のものであって、葬儀やお墓に、一般のように執着する必要はない。

また、お別れの時、「では今度、またお会いしましょう」と言われる方には、「またはないよ」というのが、父の常の仰せだった。まさに一期、一期に、お別れがすんでいるのである。南無阿弥陀仏

|

« 骨年齢 | トップページ | お盆法要 »

法味・随想」カテゴリの記事