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2015年8月の21件の記事

二十五人二十五色

父の遺影と一緒に、高山支部法座に向かう。
今回は高山支部の追悼法座として開いてくださるのだ。
『正信偈』をお勤めし、皆さんにはお焼香もしていただく。
ご法話は、3席とも、父の死を通して味わったことを聞いていただいた。
臨終のありさま、通夜や葬式の様子、そして、遺骨となってきた後のことである。もちろん、父が伝えてくれたお念仏、そのお心をお伝えしたかった。90年の生涯のうち、ぼくが知っているは53年間である。有り難いことに、その間、父の教えを浴びるほどお聞かせに預かってきた。そのご恩徳を一言で語ることはできないが、一貫して、仏法を喜び、その弘通のための生涯を捧げてきた姿に、一瞬のブレもなかった。その父が何を皆さんに伝えたかったはなにか。幸いなことに、そのお心をここに集う人達と共に、心の底からら喜べ会えることが、何よりも有り難かった。

Img_9183高山の皆さんからも、父の思い出や偲ぶ言葉をいただいた。
日頃、座談会は苦手という方か多いが、今回は、皆さん雄弁である。

父が初めて高山支部法座に出講したのが、平成7年8月というのだ。ここ3年はもうご縁がなくなったが、だいたい20年近くの歳月が経っているのである。その間、皆さんがお宿をして、会場を提供し、そしてご法話や座談だけでなくImg_9171、懇親会でもさまざまな仏縁を結んでいただいたのである。

十人十色というが、集まった二十五人二十五色である。
それでぞれのエピーソド、思い出は違う。父から聞いた印象に残った言葉も、全員違った。「南無阿弥陀仏の主になる」「自策自励せよ」「小さく産んで大きく育てよ」「阿弥陀様の仕事をとってはダメだ」Img_9181_2「またはないぞ」「大命まさに終わらんとして…」などなど続く。みんなの言葉が違っても、そのひとつひとつの言葉に、皆さん頷いておられる。すべてお聞かせに預かってきたことばかりである。

25人の言葉はみんな違ったが、そのお心はひとつに統一されている。「わかならい」と歎く未信の方にとっても、「はっきりする教えだ」という言葉が届いてきたからこそ、悩む身にならせてもらったのである。信、未信に関わらず、ここに集う人の胸には、間違いなく父が残してくれた真実の燈火がはっきり灯っていた。

そんな同行と共に、「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」と念仏させていただく。
いまものなお「南無阿弥陀仏」となって、私達を導いてくださっている幸せを共に味わった。

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ソクラテスのまなざし

Img_9191_2国分寺から、東山の寺町界隈を抜けて、すぐにH家につく。

今日は、近くに臨時駐車場を借りてくださっていた。

久しぶりのH家での支部法座である。
Img_9158_2広いお庭も、手入れが行き届いている。
雨にぬれたお庭も風情がある。

庭から、ふとみると、仏壇のよこに仏弟子が立っておられるがの目にとまった。
思わず「舎利弗尊者ですか、それとも…」と尋Img_9163ねると、「いえ、ソクラテスです」というお応え。ああ、Hさんが尊敬してやまないImg_9164「自分は何も知らない」ことを自覚した無知の知の賢者である。

家に入ってよく見ると、仏弟子とはお顔はちがう。もっとも、ソクラテスのお顔を僕は、知らないけど、、。
もともとは日彫展の出品作品だそうだが、ここに帰ってこれらたとImg_9162Img_9189いうのだ。

ギリシャの偉人も、今日は、一緒に法座に出席されて、悟朗先生のお徳を讃仰する集いを、にこやかな温かなまなざしでご覧になっておられた。

他にも、名人のすごい作品に囲まれ、雅な庭を眺めながら、高山支部での追悼法座は始まった。Img_9166_2
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飛騨国分寺

Img_9145数日前に、連れ合いも同行することになった高山支部法座。途中で仏青のYちゃんを拾って、高山に向かう。
高速網が整備されているので、新幹線~特急を使うのと、時間はほんど変わらない。

Img_9155夜から始まる法座を前に、駅前で腹ごしらえ。高山ラーメンの老舗、「ちとせ」に入る。
地元の方に言わせると、有名になって味は落ちImg_9138たらしいが、それでもお客さんは多い。
近くに国分寺があるので、少し立ち寄った。もう5時を過ぎていたが、境内は自由に拝観ができたので、Yさんを少しご案内。ちょうど1年前の8月には、子供たちと一緒に訪れている。

国分寺とえいば聖武天皇の時代、つまり奈良時代である。もちろん建物は後のものだが、国分寺跡を示す奈良時代の礎石が残っていて、時代を偲ばせImg_9143_2る。千年を超える公孫樹の巨木が立っている。

このあたりは、古い街並みや洒落た店もたくさImg_9150_2んあって、外国人(白人系が多かった)や観光客で賑わっていたが、今日は車中から眺めるだけ。機会があれば少し散策したい。

皆さんも、10月10日~11日の「仏青~高山支部合同法座」に出席し、高山祭や高山観Img_9153光のおまけも楽しまれてはどうでしょうか?詳しくは、以下で。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/event/2015/detail/10/bussei2014-10.htm

 

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東京講習会の締切です!

第5回 東京講習会の締切です。

まだ、2週間先ですが、別会場なので、宿泊が必要な方は、お早目にお申込みください。

事前の振込ですので、ご協力をお願いします。

*日時:9月12日(土)午後1:00(受付) 1:30 ~13日(日)午後4:30

*会場:林野会館 東京都文京区大塚3-28-7(Tel 03-3945-6871)

*テーマ:『正信偈の大意(5)』依釈段 源信讃・源空讃・結び。

*ご案内

親鸞聖人の伝道・教化の地となった関東の地での講習会も、第5回目です。

聖人52歳のころ、稲田草庵において、根本聖典である『教行信証』を執筆されました。その「行巻」に収められたのが、『正信念仏偈』です。これは、真宗の教義の肝要が体系的に示されると共に、聖人のお領解の腸(はらわた)そのもので、浄土真宗ではもっとも重要な偈文(歌)であります。
その『正信偈』のお心を、2日間に渡り講義いたします。懇切丁寧な増井悟朗先生のテキストをもとにしながらも、 一方的な講義ではなく、参加者との問答・対話形式での進行を行なってまいりたいと思います。
いよいよ最後の5回目ですが、 今回が初参加の方も、大歓迎です。奮ってご参加ください。

特に東京支部の方、お待ちしております。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/event/2015/detail/09/tokyo.koshukai2015-9.htm

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月と京都タワー

運営委員長のRさんと、9月の東京講演会の打ち合わせをする。
締切日が近いが、まだ受け付けているので、次の記事か、以下のご案内を参照ください。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/event/2015/detail/09/tokyo.koshukai2015-9.htm

他にも、11月の華光大会で、父の追悼法要法座を開くことも決めた。

これから内容などは詰めていくが、法座だけでなく、追悼号に、遺稿の出版などもしたい。

Rさんには、葬儀でもお世話になったが、また今度は、追悼法要である。副委員長の時は、七Img_9132五〇大遠忌法要の責任者を、運営委員長として、継職奉告法要をお願いした。彼の在任中、これで大きな行事が終わったと思っていたら、今回の葬儀と、追悼法要法座である。

追悼法要法座は一座の法要で留まらす、今回の華光大会全体がその意図で臨むことを確認した。準備はこれからである。

葬儀でもさんざんお世話になったRさんと、七条烏丸に、ワインを飲み入った。久しぶりで、少し酔っぱらった。

帰路、月の下には、京都タワーが駅ビルに写っていた。
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Skype

今日は、朝から夜まで、Skype三昧の一日。

朝、ブラジルの子供たちとSkypeをする。時差は、ちょうど12時間と分かりやすい。日本が朝9時なら、彼の地は、一日前の夜9時だ。日本では「おはよう」だか、ブラジルでは「おやすみ」と言って、お別れする。
ただ、電波の状態が悪くて、ブチブチと切れたり、フラストレーションがたまる。声だけだとなんとか通じたりもするが、声もとぎれとぎれで聞こえなかったれして、やはり状態は悪い。まあ、無料で、地球の裏側と交信ができるのだがら、文句はないけど…。

夕方は、急きょ、福岡の会計士のY先生と7月月次の相談。離れていても、PCで共通の書類を見ながら、打ち合わせできる。便利になったものだ。おかげさまで、今年の会計は、順調に推移していて、一安心。

夕食を挟んで、呉のご住職と、広島での真宗カウンセリングWSの振り返り。WSでの反省に、連続研修会の取り組みや、ゲートキーパーなどの話題に。

これで終わりと思っていたら、新潟での舞台公演でしばらく出かけていた連れ合いからの呼び出し。新潟のあと、埼玉で劇団の通信作りの予定でいたが、日程変更で、明日、一旦、帰宅するとのこと。ギリギリで日程変更はいつものことだ。

Skype中に、電話が鳴る。名古屋の姉から、母のご機嫌窺い。名古屋とは、まだ電話連絡。

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地蔵盆

Img_9117法座の開始前に、町内会のお手伝いにでる。

地蔵盆である。

子供の数は減ったが、それでも幼時を含めると10名程度はいるのImg_9122かもしれない。

ぼくが子供のころは、2日間あったが、いまは、1日で終わる。内容も、簡素にはなってきたが、テント張りなど設営などの準備は、それなりにある。

Img_9127町内会のお地蔵様も、きれい荘厳された。午前中には、壬生寺(新撰組の屯所で有名)からお坊さんもこられる。

うまい具合で、法座の開始時間に間に合った。

これから、今日も半日だが、たっぷりと称名念仏させてもらう。

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第2回「念仏と黙想と語らいの集い」

広島の3日間を終えて、第2回の「念仏と黙想と語らいの集い」を開催する。

デコボコしないように車座にまん丸に座った同人が、合掌し、一同で称名念仏する。

でも、けっして、みんなで揃えようというのではない。
「ナンマンダブ」と称える方、「ナンマンダー」という方、「ナモアミダブツ、ナモアミダブツ」と律儀にいう方。
スピードも、声の大きさもまちまちだ。力強いものもあれば、か弱いものもある。機関銃のようなものもあれば、ひとつひとつゆっくりとしたものもある。みんな自分自身のペースで称えていく。だから、バラバラである。
でも、それでいて共鳴しあう念仏が生まれてくののが、不思議なのだ。
それぞれはバラバラであっても、同じ親の呼び聲を聞き、親を慕う声をださせてもらうのである。
目を開けると、皆さんが合掌し、私ひとりに手を合わせてくださったいるかのようだ。まるで、諸仏方の護念そのものだ。

称名念仏のあとは、静かに黙想の時をもつ。これは、行としての瞑想(メディテーション)ではない。あくまで、心静かに、内省する時間、沈黙の時間である。

動のあとの静の時間を経て、みんなで語り合い、分かち合いをするのである。
これがまた有り難く、尊かった。
今年は、6~7名のグループでの分かち合いもした。

そして、セッションが終わるたびに、称名念仏に関するお聖教をいただいた。
大行釋であり、称名破満釋であり、時に、現世利益和讃なども、一同で唱和させていただいた。

最後は、昨年と同じく『一枚起請文』で結ばせていただいた。

一文不知の愚鈍の身になして、「ただ一向に念仏すべし」

法然聖人様のご遺言である。

昨年の様子は以下のブログで。

http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-344f.html

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広島真宗カウンセリングWS

2泊3日間、参加者7名と、世話人2名とアドバイザー1名の計10名で、贅沢な時間を過ごす。
華光の同人は半数で、広島の縁をした僧侶の方など、個性あるメンバーが集う。

普段の法座や聞法の集いは、勤行があり、法話や講義が中心で進行するのだろう。しかし、ここでは、仏教学院の先生方や僧侶の方も多いが、講義や法話もなにもない。それどころか、誰かが、テーマをだしたり、話題提供をすることもしない。ここの1日は、車座にみなが座り、称名念仏と黙想で始まり、また称名念仏と黙想で終わる以外は、心が動くままに、自分を開き語り、聞き合うだけである。それが3日間続くのである。

世話人は、参加の皆さんが、安心して自分をうち出せる場を提供する。そのためには、まず、自分が開き、そしてお互いが、自分も相手も尊重する雰囲気作りに勤めていくのだ。
言葉だけならたやすく書ける。が、講演やご示談などの一方通行でプログラムしていくこととは違うので、その態度や雰囲気は、目に見えて分かることではない。目に見える部分でいうならば、世話人は、講義もしなければ、質問に積極的に答えるわけではないので、まるで何もしないようにさえ映るのである。

そんな中で、それぞれの言葉が大切に聞かれていく。聴くことは、その発するその人自身が大切にされることでもある。

最後は、誰もが頷いていたが、ここは、現代のサンガ(僧伽)ではないだろうか。この集いには、先生や弟子があるのではない。確かに経験の有無や真宗教義の学びには、さまざまな立場の方がおられるだろう。しかし、法(ダルマ)の前までは、みな同じ念仏者であ、法友であり、念仏を求める仲間の集いなのである。

「仏法僧の三宝に帰依せよ」「三宝を篤く敬え」と、先師は仰った。
仏を信じ、法(教え)に従い、そして僧伽(さんが)と共に歩む。

それが仏法なのである。

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大文字

Img_9105_2M家から戻って、インタホーンを押しても、返事がない。時計をみると8時を少し回ったところ。どうやら、屋上で大文字を観ているようだ。何度かならしているうちに、気付いてもらった。

五山(妙と法を分けると六つ)あるが、なかなかすべてが見えるところはない。会館では、その昔は、4つも見えていた。仏青の人達と、屋上でビアーガーデンをして見たこともあった。それが3つ(左大文字、鳥居形、船形)になり、船Img_9106も見えなくてって、いまは2つだけ。しかも、昨年からは、クッキリ見えていたの鳥居の左側がかけ出した。

うーん、今年はどうかなーと思っていたが、どうやら、昨年の現状と、ほぼ同じである。

いや、眺める側には大きく変化がある。
昨年は、父や子供たちも一緒に眺めた大文字。今年は、半分に減って、3名だけで屋上にいるのだ。

お盆の送り火に、感傷的になった瞬間。

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唄声酒場

Img_9102お盆参りの最後は、例年同様、M家の京都支部を兼ねた家庭法座だ。勤行が『阿弥陀経』になる以外は、いつも支部法座とはなんら違わない。16日ということで、京都の方は少ないが、大阪や奈良、東京、広島と他府県の方がお参りくださる。
父の死を通して味わった、無常についてお味わいをお話した。

法話や座談のあと、少しアルコールもでて、みんなで会食をするのが、恒例である。

Img_9100ご法のお勧めが行き詰まってきたころ、気分転換のおすすめがある。

ご主人のギターと、奥様のリードで、唄声酒場に早変わり。昨年は「花が咲く」の合唱だった。

http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-36ca.html 

Img_9101_2今年は、とうとう歌集まで出てきた。年輩の方がご存じのロシア民謡をなのに、ぼくが初めて聞くものがあった。

かなり60年代?や思想を反映した唄が多い。こんなご時世である。
反戦のフォークソングを何曲か歌って、大いに盛り上がった。

押すばかりのお勧めだけでなく、気分転換に、一緒に声を出して歌へば、ご縁の浅い方ともぐーんと近づける気がする。
ありがとうございました。

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お盆参り

一桁しかない檀家(?)だが、お参りを予定していた週末が葬儀と重なった。日程をやくりくし、葬儀の翌日からお参りが始める。同人宅以外は、この時にしか会わない方も多いので、近況をお聞きしたり、短いご法話もさせてもらうので、1日で3~4軒しかお参りしない。

何十年も前から父が、ご縁をつけているとこもあるが、なかなか聞法の機縁を結ぶことは難しい。水子の心配やペットの御参りをたのまれたりもする。それでも、よくお話や悩みをお聞かせいただくことに勤めている。きっと、いつか、どこかで深い仏縁を結んでくださると願いつつ。

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お盆法要

輪読法座に引き続き、予定どおり、お盆の法要を営む。

得度されたばかりのSさんにも、座っていただく。とても感心したのは、堂々と、大きな声で、勤行くださることだ。

特に檀家をもたない華光会館だが、父の代から、ほんの少しだけお盆参りはさせてもらっている。ぼくも、子供のころから、父と一緒に、お盆まいりをさせもらってきた。だから、ぼくの中では、最初に覚えたのは、お正信偈でなはく、阿弥陀経のお勤めである。

そんな感慨に浸りながら、法話は、父の死を通して味わったことをお聞きいただいた。

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華光誌輪読法座

平日ながら、参加者はいつもより多い。

初めての方もお参りくださる。広島からの参加もある。葬儀に出席できなかった方が、お悔やみにお参りくださる。

有り難いと思ったのは、法座に合わせてお悔やみにきてくださったことだ。もしお悔やみだお出でになりたいと思われるのなら、ぜひ、法座にお参りいただきたいのである。

それが、亡くなった父の遺志でもある。

真宗は平生業成の教えだ。元気なうちに、阿弥陀様のご回向に遇わせていただく。その信の一念の時こそが、これまで一度も死んだことのなかった、迷いのいのちの葬式なのである。だから、世間の葬儀は、肉体のものであって、葬儀やお墓に、一般のように執着する必要はない。

また、お別れの時、「では今度、またお会いしましょう」と言われる方には、「またはないよ」というのが、父の常の仰せだった。まさに一期、一期に、お別れがすんでいるのである。南無阿弥陀仏

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骨年齢

「ほんとうに満90歳だったのですか。その年齢の方の時は、いつも心配するんです。でもこの年齢で、こんなにきれいに残っているのは、ほんとうに稀です。骨は60代の方です。歯もたくさん残っておられますね。ああ、足の指にも足仏さまがおられます。これは20~30人のひとりです。ああ、手の指の骨にも、指仏さまがおられます。こちらは、もっと珍しいですよ…」

父の白骨を前に、葬儀屋の担当者は、かなり興奮気味で、その説明にも力がはいっている。

「こんなに重いですよ」と、大腿骨の一部を、手に載せてくださる。ずっしりと重い骨は、まだ温かだった。90歳で、これだけ骨密度の高い骨もないというのである。

親戚だけでなく、同人の希望者にも、お山(火葬場・東山の鳥辺野)にご一緒してもらい、骨を拾ってもらう。いつもお世話になっている京都の方に混じって、広島支部の方も参加くださった。K先生は、そっと焼け残った念珠の玉を袂にいれられていた。

いまさら、骨を褒めていただいても、どこかうれしいような、なんとも妙な気持ちで話を聞いてた。

といっても、所詮は、骨は骨。ここには、父はいない。
そうお聞かせにあずかっている幸せを思う。もちろん、父の遺影をみて、遺骨をみると、父の思い出はさまざまに蘇ってくる。寂しいというか、悲しいというかそんな感情も起こってくる。

しかし、父も、母も、そして、ぼくたち子供も、骨にも、お墓にも、すでに用事がないことを聞かせてもらっている。

そんなことを考えながら、遺骨となった父を膝に載せて、会館に戻った。

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葬儀

Img_9020無事、葬儀を終えた。

お導師の先生方、お世話の皆様、また遠近各地からご参集の皆さま、自宅でお念仏くださった皆様、ほんとうにありがとうございました。

父の教えでもあり、母の意向でもあったので、葬儀も、あまり華美にならないように臨んだ。それで、ご香典も、ご献花も、そのお気持ちだけを頂戴することにした。

それでも、大勢お参りくださった。ずいぶんご無沙汰の方も多かったImg_3290_2し、お盆参りでお忙しだろうに、ずいぶん、僧侶の方もお参りくださった。有難いことに、華光会の方も、町内の方も、お世話になった方も、お参りくださった方全員のお顔が分かった。おかげで、懐かしいお顔に合わせてもらえた。

確かに寂しくなったが、やはり、不思議と「長年にわたり、ほんとうにありがとうございました」と念仏する以外、臨終のときも、遺体を観ても、最後の焼場でも、普通の感覚でいた。いや、むしろすがすがしい思いさえしたのは、父が、「娑婆永劫の苦をすてて」浄土往生の身となったからだろう。

それにしても、お通夜も、葬儀も、有り難かったし、厳かでありながら、和やかで、温かい雰囲気に包まれていた。

涙もあるけれど、笑いもあった。号泣する先生たち(複数)もあったが、「おめでとうございます」の弔電も何通かいただいた。それどころか、親戚でもないのに、通夜で酔っぱらうやつもあって、もう普段の法座の雰囲気そのものだった。ただただ、お念仏の声にあふれていたのが、有難い。

お導師のS先生の葬儀での表白も、まるで弔辞のようだったし、直前に急きょお願いした、K先生の葬儀での法話(普通はやらない)にも、たいへん感銘した。ほんとうに尊いご法縁だった。

父の遺体や骨には用事はなく、南無阿弥陀仏として、すでに働いてくださっている。そのお念仏が僕の口から溢れでってくださっているのですから、うれしいではないか。

その意味でも、寂しくはあっても、ほんとうに楽しい法座でありました。

ありがとうございました。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

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力なくして終わる時に

最期は、あっけなかったようだ。

「ようだ」というのは、タッチの差で、息が絶える臨終には立ち会えなかったからだ。

朝から病院に詰めていたが、名古屋らか姉も駆けつけ、落ち着いているようにも見え、関係者への連絡や葬儀屋探しなどで、一旦帰宅した。ところが、家に戻って30分もしないうちに、「いよいよかもしれない」との電話がある。

大急ぎで、病院に戻るも、正面玄関の前で、訃報の知らせが入った。

8月7日夕方6時26分のことだった。

病室に入ると、眠るような、静かな、父の姿があった。やはり、「長々のお育てありがとうございました。南無阿弥陀仏」以外に言葉は必要なかった。せっかくなので、父の遺体と一緒に、みんなで記念撮影をする。

それまでは、全身で息をし、胃にあるものを全部吐き、苦しそうにセク姿をみると、いのちがあるというのはたいへんなことだと思われたし、死ぬことは並大抵の事業ではないと実感させられてきた。そんな父の姿に「娑婆永劫の苦」という言葉が浮かんできた。
父と二人の時間には、このご和讃を、口に出して何度かお称えもしてみた。

でも、最期は、こんなにあっけなく、静かに終わるのかと思わされた。まさに、
「なごりおしくおもえども、娑婆の縁つきて、ちからなくしておわるときに、かの土へはまいるべきなり」(歎異抄)のである。

Img_8956_2準備が整う間、控室で待っていた。先ほどまでは明るかった西の空が、紫色に染まっている。Rちゃんが撮影している姿が面白かったので、ぼくもその姿を撮らせてもらった。

その間も、葬儀社を決め、先生方や役員の皆さんに連絡し、町内役員さんにも連絡し、バタバタと時間がすぎていく。

2時間ほどしたら、葬儀社も駆けつけ、遺体が自宅に戻る段取りが整った。父と一緒に、病院の中をグルグルと歩き回った。どこに行くのかと思っていると、裏口にある霊安室にたどり着き、そこから遺体は静かに出ていた。噂どおり、入り口からはいって、死ねば、一目のつかない裏口から出て行くのである。

父の遺体とならんで、一緒に会館に戻る。

「金曜日に迎えにくるからな」といって別れた言葉が、最期となったのだが、約束どおり、金曜日に一緒に家に帰ることになった。しかし、こんな形で、一緒に帰ることになろうとは、まったく思ってもいなかったので、何か不思議な気分だった。

すぐに簡単な打ち合わせをし、町内会にご挨拶をしたり、お悔やみにきてくださったTさん一家の皆さんと、臨終勤行(世間でいう枕経)を営んだ。

Img_8963布団に寝かせていたので、静かに眠っているかのようだった。触れると、またほのかに温かくもあったが、それ自体に、それほどの感慨はなかった。これはもう屍であって、平生業成の身にとっては、もう用事のないものであることをお聞かせあずかってきたのだ。そして、そんなすばらしい教えを、父から教えていただけた、この身の幸せに心をはせると、涙が静かに滲んできた。

その夜は、普段とさほど変わらぬ気持ちで、床に就いたなのが、不思議だった。

 弘誓のちからをかふらずば いずれのときにか娑婆をいでん
 仏恩ふかくおもひつつ つねに弥陀を念ずべし
 娑婆永劫の苦をすてて 浄土無為(むい)を期(ご)すること
  本師釈迦のちからなり 長時(じょうじ)に慈恩を報ずべし
                 (高僧和讃・善導讃)

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危篤

仏の子ども大会の翌日、父をショートスティに送っていく。

老々介護で疲労している母が、少しでも休まるようにと、月に2度、3泊4日のお泊まりである。

体温や血圧などの健康チェックを受けるが、今日は、いつもより少し血圧が低くいらしく、聴診器をあてながら念を入れて調べてくださった。

父の上着のボタンを留めながら、
「じゃ、お父さん、金曜日の4時に迎えにくるから、心配ないしな」
と、いつものように声をかける。

「うん」と声に出した返事があったか、それとも、ただ頷いたけだったのかは、今、もう思い出せない。
スタッフに会釈し、父の方を振り返ることもなく、そのまま施設をあとにした。

そして、6日の木曜日の深夜、正確にはもう日付が変わった金曜日になるが、電話がなる。
直感的に、父の体調ことだと思った。

やはり、そのとおりだった。夕食を食べ、テレビなどをみながら寛いで、9時すぎに寝室に入ったが、その後、定期巡回の時に、異変に気付いたという。吐瀉物があったので、誤飲を心配して吸引をされたが、意識はなく、高熱、血圧も低下しているので、すぐに近くの第一日赤に運ばれたというのである。

詳しくことは分からなかったが、これまでも、夜の救急車のお世話になってきたので、尿路感染の類なのかと思ったりもした。

とにかく準備し、ぼくだけ先行して病院に急ぐ。タクシーなら10分もかからない。

すぐに担当医が説明くださる。「脳幹出血で、肺炎もおこし、胃からも出血しています。たいへん重篤な状態で、数時間で急変することもあります。90歳まで生きられた生命力もありますが、もしこの危機を脱しられても、植物状態で、意識が戻られることはないでしょう。今は、延命処置をどの程度なさるかという段階だと思います」との説明し、「近しい親族などにお声をかけてください」と、付け加えられた。

Img_8949先生のかなり深刻な話を、どこかボンヤリと聞いていた。戸惑うわけでも、驚くわけでもなくて、平然としている自分がいる。もしかすると、その前まで元気だったので、あまり実感がなかったのかもしれないし、または、少しずつ老いていく父の姿に、覚悟していたからかもしれない。

以前、過度な延命処置はしないと決めていたので、なるべく楽な形で、最期を迎えてもらいたい旨を伝え、処置がすんだ父と対面した。

その姿をみても、まだ深刻な気分にならなかった。ああ、ここで終わるのかと思いつつも、別に涙も、動揺なかった。

酸素マスクをした父は、呼びかけてもすでに意識はない。それでも、からだ中で、苦しそうに息をしている。そして、時よりせいては、痰や血を吐き、胃の中も吐いていた。以前、恩師より、「いのち」の語源は、「息のうち」だという話を聞いたことがあるが、まさに、全身を使って息をしている姿に、いのちの尊さをみた。普段、何気なく、何の意識せずに行っているいのちの営みが、これほどたいへんなことなのか。同時に、死ぬこともまたたいへんな大仕事であることも感じさせられた。

ここ数年の父からは、老苦の厳しい現実を身をもって教えられてきたが、ここにきて、この肉体のある苦しみ、病の苦しみ、そして死に向かっていく最期の苦しみを、身をもって教えてくださるようであった。

集中治療室にうつり、母と連れ合いと3名で、早朝まで、静かに父を見守っていた。

苦しそうにからだ中で息をし、時折、咳き込む父をみながら、ただ、「ありがとうございました。南無阿弥陀仏」と申させていただく以外、特に言葉もなかった。お念仏申していると、涙が滲み、温かい気持ちがしてくるのが不思議だった。(つづく)

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真宗カウンセリングWSの案内

第25回「真宗カウンセリング・ワークショップ」 (みみずくの会共催)を、以下の日程で開催します。

もう締切ましたが、参加者が少な目なので、興味のあるかたは、ぜひご参加ください。広実さんまで、お問い合わせください。

★日時 8月18日(火)(13:00 受付)13:30 開始~8月20日(木)16:00 終了(2 泊3 日)

★会場 神田山荘
(広島市東区牛田新町1 丁目16-1)
Tel (082)228-7311

★参加費 18,000 円 ((学生 17,000 円 研究会・みみずくの会会員 16,000円)

★宿食事 19,400 円(2泊6食付・研修パックを利用します)

★世話人 増井  信 (真宗カウンセリング研究会事務局長)
       岩崎智寧(真宗カウンセリング研究会会員・広島カウンセリング学習会事務局)
アドバイザー 松岡宗淳(真宗カウンセリング研究会代表)

★問合先 広実(ひろざね)智子
 〒731-0152 広島市安佐南区毘沙門台1-17-4
Tel(082)879-9482(みみずくの会)
 Fax (082)962-0245

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第2回 念仏と黙想と語らいの集い ご案内

お盆参りや法座も終えて、あすから2泊3日間の日程で、広島での真宗カウンセリグWSにでかけます。

その後、8月22日(土)~23日(日)、第2回「念仏と黙想と、語らいの集い」を、華光会館で行います。

昨年大好評(詳しくは、華光誌74-2号参照)でしたので、第2回目が実現しました。

すでに、それなりの参加者がありますが、多くの方に実際に経験をしてもらいたいので、皆さんの参加をお待ちしています。従来の聞法の枠を破る試みとなります。聞法に行き詰まりを感じておられる方、座談会が苦手な方も、奮ってご参加ください。

詳しくは、以下で。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/event/2015/detail/08/nenbutu2015-9.htm

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「仏の子供大会」~真摯なまなざし

例年の3泊4日から、急遽、2泊3日で開催された「仏の子供大会」。

猛暑の中での仏の子供大会となった。初日から、38、5度、2日目は、さらに暑くて39、1度。しかも京都独特の蒸し暑さが加わって、まさに酷暑である。しかし、いまの華光会館には、冷房が完備しているので、熱中症を心配することなく、快適に開催することができる。

人数が少なかったこともあったが、何よりも、1日の短縮されただげで、ずいぶん疲労度は違った。ぼくが、子供大会に初めて参加してから、47年になるが、初めて4日間から、3日間となったのである。いろいろと違った面があったが、いちばん残念だったのは、分級座談会が少なくなったことだ。その意味でも、子供大会は、4日間たっぷり行いたいと思った。

それでも、少数精鋭ながら先生方は、ほんとうに頑張ってくれた。人数が少なくても、法話や分級座談、おつとめの作法、スライドなと、行事の内容はほぼ変わらない。人気の追セキハイキングは取りやめたが、水泳や室内ファイヤー、楽しみの夕べなどの野外活動は、そのまま行ったので、先生方の負担は、それほど変わらない。

さまざまな行事をこなし、子供たちが寝かしつけてから、明日の打合わせを確認し、今日の反省点も話し合うと、終了は、0時を回っている。後片付けを終えて、就寝しようと最後の見回りにでると、炊事場の片隅で、ひとり静かにレジュメを確認されている先生の姿が目に止まる。明朝の法話担当者が、最終確認をされているのである。

疲れ切っているであろうに、真剣なその姿が尊い。これもまた、これまでの子供大会の何度も繰り返されてきた光景のひとつである。そんな先生方の真摯な姿勢の上に、この大会が続いてきたことがなんとも尊い。明朝は、6時30分からスタート。進行役も兼ねたいるのなら、もっとはやく起きて準備もあるのだ。

すべて含んだ上で、一言「おやすみ」とだけ声をかけて、ぼくは寝ることにした。

こんな場面をくぐって、先生方が成長されていくプロセスを何度もまたみてきたのである。 これだからこそ、子供大会の伝統をなんとかつないでいきたいのだ。

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