二十五人二十五色
父の遺影と一緒に、高山支部法座に向かう。
今回は高山支部の追悼法座として開いてくださるのだ。
『正信偈』をお勤めし、皆さんにはお焼香もしていただく。
ご法話は、3席とも、父の死を通して味わったことを聞いていただいた。
臨終のありさま、通夜や葬式の様子、そして、遺骨となってきた後のことである。もちろん、父が伝えてくれたお念仏、そのお心をお伝えしたかった。90年の生涯のうち、ぼくが知っているは53年間である。有り難いことに、その間、父の教えを浴びるほどお聞かせに預かってきた。そのご恩徳を一言で語ることはできないが、一貫して、仏法を喜び、その弘通のための生涯を捧げてきた姿に、一瞬のブレもなかった。その父が何を皆さんに伝えたかったはなにか。幸いなことに、そのお心をここに集う人達と共に、心の底からら喜べ会えることが、何よりも有り難かった。
高山の皆さんからも、父の思い出や偲ぶ言葉をいただいた。
日頃、座談会は苦手という方か多いが、今回は、皆さん雄弁である。
父が初めて高山支部法座に出講したのが、平成7年8月というのだ。ここ3年はもうご縁がなくなったが、だいたい20年近くの歳月が経っているのである。その間、皆さんがお宿をして、会場を提供し、そしてご法話や座談だけでなく、懇親会でもさまざまな仏縁を結んでいただいたのである。
十人十色というが、集まった二十五人二十五色である。
それでぞれのエピーソド、思い出は違う。父から聞いた印象に残った言葉も、全員違った。「南無阿弥陀仏の主になる」「自策自励せよ」「小さく産んで大きく育てよ」「阿弥陀様の仕事をとってはダメだ」「またはないぞ」「大命まさに終わらんとして…」などなど続く。みんなの言葉が違っても、そのひとつひとつの言葉に、皆さん頷いておられる。すべてお聞かせに預かってきたことばかりである。
25人の言葉はみんな違ったが、そのお心はひとつに統一されている。「わかならい」と歎く未信の方にとっても、「はっきりする教えだ」という言葉が届いてきたからこそ、悩む身にならせてもらったのである。信、未信に関わらず、ここに集う人の胸には、間違いなく父が残してくれた真実の燈火がはっきり灯っていた。
そんな同行と共に、「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」と念仏させていただく。
いまものなお「南無阿弥陀仏」となって、私達を導いてくださっている幸せを共に味わった。
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