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東京支部法座~三つの法語を味わう~

 熱海での東海・東京合同法座から3週間で、東京支部法座がある。

 今回は、1)平安時代の源信僧都の作といわれる『横川法語』
(2)鎌倉時代の法然聖人(源空聖人)の遺言でもるある『一枚起請文』と、『一枚起請文』と比較するために親鸞聖人の言行録といっていい『歎異抄』第2章
(3)室町時代の蓮如上人が作製されたという『領解文』(『改悔文』)を、連続で取り上げることにした。

 『横川法語』から『一枚起請文』までがだいだい150年、『一枚起請文』と『歎異抄』はたぶん50~60年ほど、さらにそこから、『領解文』までが150年くらいの年月があると思われる。
 源信僧都は、天台宗比叡山の高僧。法然聖人は、浄土宗を興された開祖で、蓮如様は、浄土真宗本願寺の第八代の宗主で中興の祖だ。 

 源信僧都には『往生要集』、法然聖人にも『選擇本願念仏集』という、日本の仏教史上でも特筆すべき著述がある。その大部の漢文の著述に比べると、ここで取り上げたものは、B5の1枚で収まる、和文の御文だ。誰もが親しめる御文でありながら、流暢な名文の中には、それぞれのお祖師方のいちばんのお心が簡潔に、凝縮して述べらているのだ。

ある意味、同じ日本浄土教といっても、年代も、立場もそれぞれ異なっておられるのだが、この3つの法語を並べて味わってみると、一文一文ではよく見えてこなかった、日本の浄土教に流れている精神、難しくいうと、受容と発展の歩みが感じられて、興味深かった。

 たとえば来迎の問題もしかり、称名念仏の位置もしかりだ。称名そのものから、その称え心を問題にする-つまり「念仏」と「信心」の関係などの変化もよく分かる。とくに、浄土真宗の安心の要(型)を間違いないようにお説きくださった『領解文』は、この3つを並べてみると、ますますその発展が顕著だ。覚如~蓮如様と流れた浄土真宗の「信心正因・称名報恩」が前面に出されているのである。

 しかし、分かりやすくその要をお説きくださったわりには、肝心の第1段の安心・第2段の称名報恩の文は、かなり難しく、表現にも誤解が生じやすいので、よくお聞かせに預かりたい。行為が前面にでた「称えよ」のお勧めは分かりやすい。一方で、称名を信後の報恩行として、前面に「たのめ」というお勧めされても、他力での「たのむ」ということはどういうことかを、よく聞き分けなければ、「祈願請求(しょうぐ)」の誤解を生む恐れもあるのだ。

もろもろの雑行雑修自力のこころをふりすてて、一心に阿弥陀如来、われらが今度の一大事の後生、御たすけ候へとたのみまうして候ふ。(安心)
たのむ一念のとき、往生一定御たすけ治定と存じ、このうへの称名は、御恩報謝と存じよろこびまうし候ふ。(報謝)

もちろん、安心の段には、「後生の一大事」と「自力他力の廃立」(「捨自帰他」)の聴聞の要が示されていることは言うまでもない。

 ちょっと小難しい話になったので、このあたりで止めるが、これからも宿泊での支部法座では、この3つを取り上げて味わっていこう。

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