華光誌輪読法座~如来の仕入帳
K先生の「仏願の生起本末」についての巻頭言を読む。まさに「聴聞の角」を教えてくださっている。
巻頭言なので1000文足らずの中に、内容が凝縮されている。一読しただけでは難しいところもある。それで区分けして読み、母の提案で、全員で声を出して読み、解説を交えて皆さんで味わった。
ぜひ、もう一度、巻頭言を読み直してみてください。
質問が出たので、最後の増井悟朗先生の『念仏の雄叫び』の中から、「仏願の生起本末」の章を紹介した。
仏法を値切る心を取り上げる。
さすがに、大阪の商家出身である。一般の商売上でも、値切る人こそがほんとうに買う人だというのだ。仏法の上でも同じ。もしほんとうに、自分の後生が問題となったなら、上辺で聞き流して「ありがとうございます」では、すまなくなる。自分を問題にご本願に向かったなら、いろいろと計らいやわが胸を問わずにはおれないのだ。しかし、それは自力の心で捨てもの。自力をふり捨てて聞かせていただくのである。でも、一度、仏法を値切る心に出会わせてもらえることが、ある意味で尊い。ほんとうに仏法を聞く人だというのである。
自力をふりすてるとは、仏願の生起本末を聞いて、疑心あることなしの世界である。どれほど仏様の元手(いのち)がかかっているのか。その仕入帳をすべて見せられたら、もう値切ることが出来なくなるのだ。
聞法の堂々巡りで足踏みしている人、まだまだ値切りたいと思う心がある人は、どうぞ、自分のこととして、仏願の生起本末を聞かせていただいて、仏様の仕入帳を見せてもらてください。
もう、グーの音もなく、ただただ頭を垂れるばかり。
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