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お見舞い

ご縁あって、同人のお見舞いに行く。

家族にも、ご縁を結んでもらいたいとの篤い思いで、1年半前から、定期的に家庭法座をもってくださっていることもあって、一対一でお話させてもらう機会も増えていた。ところが、ご自身は、なかなか計らい心から離れられずに、「どうしたら」とか「はっきりせねば」と、長年、ご信心のことで苦慮され、華光の座談会でも、幾度となく、集中砲火に晒されておられた。

ところが、少し前に心境の変化を伝えるお手紙をいただいたが、その直後に、大病での入院である。もし、モヤモヤとした不安なご心境でおられるのなら、少しでもお話もさせてもらいたいと、お見舞いした。

しかし、どうやらその心配はいらなかった。

「今度のことで、ほんとうにすべて虚仮不実、何も当てにならない、真実がないということが、身に沁みて知らされました。長い間、その頼りにならないわが胸に、はっきりさせようにかかり、おこころを聞いてきませんでした。どれだけ皆様にご迷惑をかけ、集中砲火を受けたことだしょう。でも、たったひとつの南無阿弥陀仏がわかりませでした。しかし、これ(合掌されながら)ひとつだったのですね。このひとつが真実だったのです。南無阿弥陀仏」と、涙ぐみながら、手を合わせ、何度もお念仏される姿が、とても尊い。

以前なら、どんなすばらしい正解でも、どこか自分に言い聞かせていたり、相手の言葉に合わせたりで、その言葉とは裏腹に、腑に落ちない様子が、はっきりと伝わってきた。

が、この度は、まことに自然体で、力むことなくそのまま六字を喜んでおられるお姿が、有り難く思えた。

体調の許す限り、その喜び、覚悟のほどを、お聞かせいただいた。ずいぶん、方向違いで頑張ってこられたが、どこどこまでも、この私を見捨てずに、ずっと呼び詰め、叫び詰めの大悲の涙が注がれていたのだ。

今生では、大きな病を得られたが、それを機縁として、後生に大きなお徳を得られたのである。

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