最後の晩餐は、母の手料理で、子供たちを送ることにした。
別に、一生のお別れではないのだろうが、気分はそうである。ぼくの父や母と一緒の時間を考えると、その可能性は高いかもしれない。
翌朝、道場にお参りして、如来様にもご挨拶。
ぼくから、二人に手紙をわたす。
子供たちに向き合って、本気になって手紙を書くのは、これが2度目。寂しいだけでなく、さまざまな思いが去来してくる。たった15年、12年の付き合いだったが、家族として、実にさまざまなことがあった。3年前のアメリカ行きの時も、寂しかったが、あれは1年間という限定(実際はその後、プラス3ケ月伸びたが)で、しばらくすれば帰ってくるとの思いがあった。
が、今度は、地球の裏側で、ある意味で、永住の覚悟での渡伯なので、正直、先のことは分からない。
長女からも、長文の手紙を受け取った。これも、3度目。
柱に、二人の身長を刻んだ。ぼくも一緒に書き入れる。何年先か分からないが、たぶん、まだ小学生の下の子は、ぼくの身長を超えているかもしれない。
最後、仏青大会や京都支部に参加できたので、京都や仏青の皆さんから、お餞別変わりにプレゼントをもらったり、寄せ書きをいただいた。これも、法のお徳である。
別れに際して、父や母の苦労した背中を見て育ったぼくが、ふたりから受けた思いや、ご法について、子供たちに話した。
その話の流れから、お別れの見送りの途中で、父や母の出発点である殿田球場(公園)前のアイスキャンディー屋(駄菓子屋や文具、ボールなども売っていた)の場所に経由した。
「みんなが、誰に気兼ねやなく、仏法を讃嘆し、念仏できる同人が集える念仏精舎を作りいたい」との一心で、龍大に通って苦学をしながら、建設資金を貯めた場所だ。その後、まだ10代の母の一心に働く姿が、ある方の目に留まり、夢は現実へと動き出すことになるなのだ。
もちろん、アイスキャンディー屋はすでにないが、普通の長屋になっている場所だけでも見せたかった。ある意味、ここが華光会館の出発点だからだ。
何度も訪れいるので、勝手は分かっている。ところが球場の横を抜けて、そのまま行き過ぎてしまった。う。あれ、ここじゃないのか。バックして、びっくりした。
長屋は全てなくなって、学校の施設になっている。行き過ぎるはずだ。5年前、ここにあった中学校を取り壊して、この地域初の小中一貫の公立学校が建てられた関係で、このあたりの家が取り壊されていたのだ。アイスキャンディー屋はなくても長屋の雰囲気残っていただけに、様変わりした風景に、がっかりした。
が、最後に旅立つ子どもと一緒に、原点の地に立て、感無量
ブラジルまでは、アラブ首長国連邦経由で、28時間もの長旅。まずは、無事に!