四十八願のこころ(7)十四、十五、十六願
「たとひわれ仏を得たらんに、国中の声聞、よく計量ありて、下、三千大千世界の声聞・縁覚、百千劫において、ことごとくともに計校して、その数を知るに至らば、正覚を取らじ。」
(第十四願・声聞無量(しょもんむりょう)の願)
「たとひわれ仏を得たらんに、国中の人・天、寿命よく限量なからん。その本願の修短自在ならんをば除く。もししからずは、正覚を取らじ。」(第十五願・眷属長寿(けんぞくちょうじゅ)の願)
「たとひわれ仏を得たらんに、国中の人・天、乃至不善の名ありと聞かば、正覚を取らじ。」
(第十六願・離譏嫌名(りきけんみょう)の願)
阿弥陀様は、一~十一願で「わたしの国の人々」への誓いを建てられた後、皆さんを迎えるための準備をされます。まず、どの時代、どんな場所の人々も救うために、自ら光明無量・寿命無量となるという十二、十三願。誰もを救うために「わが名を褒め讃えさそう」という十七願が続きます。今回は、その間にある十四~十六願です。
十四願は、四十八願中、唯一「国中の声聞」に誓われた願です。声聞とは、ブッタの声(説法)を聞き悟りを開く、小乗のお悟りの世界で、菩薩や仏に比べると一段低いお悟りです。「全宇宙の声聞や縁覚(小乗の聖者方)たちが束になり、長い長い時間をかけて数えても、わたしの国の声聞を数え尽くせません」という願いです。「浄土の声聞は無数で、定員はない」と誓われることで、低いお悟りの声聞も、阿弥陀様の浄土には居場所があるわけです。
次の十五願は、十三願の寿命無量の願から顕れたもので、「わたしの国の人々にも、無量の寿命を持たせてやりたい」というお誓いです。自らが寿命無量の仏になるだけでなく、浄土の人々も同じように無量寿のご利益をいただくのです。
十六願は、「わたしの国には悪はもちろん、悪を表す言葉さえない国にしたい」という願いです。次の十七願が「わたしの名を諸仏方に褒め讃えさそう」というお誓いですから、名前を褒め讃えられる前に、まずは「悪」という名もない、という願を置かれたところに、お心を配り、用意周到に本願を建てられたことが窺えます。
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