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予期せぬ刺激

輪読法座が終わり、龍谷大学の深草学舍へ。

6月の真宗カウンセリング研究会の月例会。

終了後、今年からメンバーに加わったばかりのK君と。

真言宗醍醐派の僧侶で、一度ゆっくり話して見たかった。

真言宗といえば、子供が保育園でもお世話になっていた、東寺(東寺派)が身近にあるけれども、醍醐派の方と知り合うのは初めて。そもそも、密教や真言宗の実体は、何も知らない。

大学院で仏教学を勉学されているので、かなりの理論派。天台や唯識にも詳しい。 修行のこと、教学のこといろいろと聴かせてもらった。 大自然の中での修行が、自然と一体となる体験で快感で楽しいという。でも、それは悟りそのものではないことも、よく認識されている。

ぼくも、浄土真宗の真髄である他力回向信の一念の世界を語らせさてもらう。浄土真宗の僧侶の方には、なかなか理解されなかったり、批判されることが、逆に、興味に深く伝っていく。そもそも浄土真宗に魅力を感じなかった点が、やはり学問中心にしか映っていなかったようだ。

昔のある集まりで、ぼくとある人の議論から、彼の唯識の師である岡野守也氏が「信の仏教と、覚の仏教の違い」との説明で、浄土真宗と聖道門との相違を指摘いただいた。でも、ぼくは、浄土真宗は、確かに信の教えだけれでも、「無上覚を覚るべし」で、その信とは、目覚めであり、「覚」の教えだと思っていることなども話した。

彼から、「浄土真宗の始まりは、『大乗起信論』ですよね。信を起こすのですからね。」の指摘。いやいや、そんなことを聞くのは、凝念大徳の『八宗綱要』を読んだ時以来。如来蔵思想にたち、今日では中国作と推測される『起信論』が起源ではなく、龍樹菩をその起源とするのだが、浄土真宗の外にいる人ならではの視点で、面白かった。

他にも ずいぶん予期せぬ刺激をいただいたが、岡野さんの紹介で春秋社から出ることになった『仏敵』と、華光誌をお渡してて、お別れ。次回の感想が楽しみ。

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